永遠の控え室
幕が開けば劇が始まる。そう言われてから、もう千年が経っていた。控え室は、最初は賑やかだった。役者たちは互いに台詞を確認し、衣装を整え、出番を待ちながら笑い合っていた。
「だからねえ、私は前から言ってるんですよ。幕なんか待ってたって、しょうがないんじゃないかって」
化粧の崩れた顔を鏡に向けながら、田宮フサはため息をついた。七十年前は看板女優だった。今は年齢もわからない。白粉はひび割れ、口紅は乾き、それでも毎朝欠かさず化粧をする。
「また始まったよ、フサさんの“幕はいらない論”が」
角の丸椅子で煙草をふかしているのは、大工の棟梁役を三百年続けている大沢清吉である。腹巻き姿のまま、もう二百年ほど同じ煙草を吸っている。火はついていない。
「いらないなんて言ってませんよ。私はね、“開かないものを待ってどうする”って言ってるんです」
「でも決まりなんだから」
若い娘役のミチルが言った。若いと言っても、ここへ来てから二百八十年経っている。
「決まり決まりって、誰が決めたの」
「演出家でしょう」
「その演出家はどこにいるの」
「……」
誰も答えない。控え室の天井では、裸電球がぶうんと鳴っていた。切れそうで切れない。ずっとそうだった。
隅では、老人役の徳兵衛が台本をめくっている。紙は真っ黒に擦れて、もう字は読めない。
「徳さん、まだ読んでるの」
「読んでるんじゃない、確認してるんだ」
「何を」
「出番をだよ」
「だから、その出番が来ないんでしょうが」
フサが苛立って言うと、徳兵衛はゆっくり顔を上げた。
「フサさんねえ、人間ってのは待つ生き物なんだよ」
「嫌ですよ、そんなの」
「嫌でも待つんだ。あんたも待ってる」
「待ってません」
「じゃあ何で化粧してる」
フサは黙った。ミチルが慌てて間に入る。
「まあまあまあ。朝からそんな」
「朝かどうかもわからないじゃないの」
フサは鏡を閉じた。
「時計だって止まってるし、外の音も聞こえないし。これ、本当に舞台の裏なんですかね」
すると清吉が鼻で笑った。
「今さら何言ってんだ。三百年前にも同じこと言ってたぞ、あんた」
「言いました?」
「言った。“ここ、本当に劇場なの?”って」
「そう……」
「で、そのあと皆でおでん食った」
「ああ、あったわねえ」
「大根が硬かった」
「百二十年くらい煮てたのにねえ」
その瞬間、皆が少し笑った。笑い声は長く続かなかった。沈黙が落ちる。奥の扉を見る。舞台へ続く扉。黒くて重い扉。一度も開いたところを見た者はいない。
「ねえ」
ミチルが小声で言った。
「もし開けたら、どうなるんでしょう」
「だから、開けちゃいけないんだよ」
清吉が即座に言う。
「なんで」
「芝居が始まるからだ」
「始まったら、いいじゃない」
「よくない」
「どうして」
「終わるからだ」
誰も喋らなくなった。徳兵衛が、擦り切れた台本を閉じる。
「始まるってのはね、終わるってことなんだ」
「……」
「ここは始まらない。だから終わらない」
フサは立ち上がり、扉の前まで歩いていった。皆が息を呑む。
「フサさん」
「やめなさいよ」
「ルールだよ」
フサはしばらく扉を見つめていた。手を伸ばしかける。だが、触れない。ゆっくり振り返る。
「……お茶、入れましょうか」
全員がほっとした顔をした。
「ああ、もらおうかな」
「私、薄めで」
「砂糖ある?」
「ないわよ、そんなもの」
フサは給湯器の前に立つ。湯気は出ない。何百年も壊れている。それでも彼女は、毎日お茶を入れる。誰も飲まないお茶を。そしてまた、同じ会話が始まる。
「もうすぐらしいですよ」
「何が」
「幕ですよ」
「そうかい」
「緊張するねえ」
「ほんとだねえ」
裸電球が、ぶうん、と鳴る。扉は閉じたままだった。
「もうすぐだな」
「緊張するな」
誰もがそう言っていた。けれど幕は開かなかった。一日が過ぎ、一年が過ぎ、やがて百年が過ぎた頃には、誰も時間を数えなくなった。
台詞は擦り切れた。何度も繰り返され、意味を失い、ただの音になった。衣装は古びた。それでも脱ぐことは許されない。役を降りることはできないからだ。
「まだか?」
誰かが聞く。
「もうすぐだ」
誰かが答える。
そのやり取りも、何百年と繰り返された。
「勝手に開けてはいけない」
いつからか、そういう決まりになっていた。 あるとき、一人の男が言った。
「開けてみよう」
空気が凍った。
「やめろ」
「ルールだ」
「台無しになる」
男はしばらく黙っていたが、やがて笑った。
「じゃあ、待とうか」
それからまた、時間が流れた。
誰もが役のまま老い、役のまま朽ちていった。それでも消えはしない。控え室に留まり続ける。台詞はもう誰も覚えていない。それでも口は動く。意味のない言葉が、延々と空気を震わせる。
ある日、ふと気づいた。幕が開かないのではない。初めから、ここにいる人たちは、僕も含めて、幕を開ける気がなかったのだ。
そして、もし、今開けたら、千年の時が過ぎて、僕たちは、朽ち果てた骸骨になるだろう……。けれど、その考えはすぐに消えた。考えること自体が、役にない行為だったからだ。
僕は椅子に座り、何度目かわからない台詞を呟く。
出番を待っている。ずっと。永遠に。
――幕が開く、その瞬間を。
控え室には扉がひとつある。舞台へ続く扉だ。だが誰も開けようとしない。
「我々が求めているから、開かない?」
キリストの「求めよ、さらば与えられん」という言葉は、あまりにも有名であり、同時に、あまりにも誤解されている言葉でもあるだろう。
多くの人はこれを、「願えば夢は叶う」だとか、「努力すれば成功する」みたいな、自己啓発の標語のように読んでしまう。しかし、あの言葉には、もっと不穏で、もっと深い響きがある。
そもそも、「求める」とは何なのか。
人間は、普通、求めているつもりで、実際には、既に答えが決まっているものしか探していない。金が欲しい人は、金を求める。承認が欲しい人は、賞賛を求める。恋人が欲しい人は、恋人を求める。つまり、「求める」という行為は、多くの場合、自分の欲望の輪郭確認でしかない。
しかし、キリストの言う「求めよ」は、そういう安全な探索ではない気がするのである。
むしろそれは、自分が何を欲しているかもわからない状態で、それでもなお探し続けろ、という命令に近い。
考えてみれば、キリストの周囲には、病人、罪人、裏切り者、貧者、狂人のような人々が集まってくる。彼らは、社会の中で、「自分が何者なのか」が既に壊れている人々だった。つまり、安定したアイデンティティを持たない人間たちである。
そして、そういう人間に向かって、「求めよ」と言う。
これはかなり恐ろしい言葉だ。
なぜなら、本気で求め始めた人間は、現在の自分ではいられなくなるからである。
例えば、本当に「真理」を求めた人間は、途中で、自分の信じていた常識や道徳や所属集団を疑い始める。本当に「愛」を求めた人間は、恋愛幻想の気持ちよさだけでは満足できなくなる。本当に「神」を求めた人間は、しばしば、既存宗教の安心感すら失う。
つまり、「求める」という行為は、自己破壊を含んでいる。
だから人間は、途中で求めることをやめる。あるいは、「もう答えを知っている」というフリを始める。思想に閉じこもり、共同体に閉じこもり、役割に閉じこもる。
以前あなたが書いていた、「幕が開かない控え室」の話にも近いが、人間は本当は、幕が開くことを恐れている。求めるということは、幕を開けることだからだ。そこでは、今までの自分が崩れてしまうかもしれない。
だから、「求めよ」という言葉は、優しい励ましというより、かなり危険な招待状なのである。
しかも厄介なのは、キリストは、「何を求めよ」とは細かく指定していないことだ。
ただ、「求めよ」とだけ言う。
これは逆に言えば、人間存在そのものに対する肯定でもあるのだろう。未完成であり、欠けており、揺らぎ続ける存在であっても、その探索運動自体は否定されていない。
むしろ、完成してしまった人間の方が危うい。
「私はもう知っている」
「私は正しい」
「私は救われている」
そう言い始めた瞬間、人は求めることをやめる。そして、多くの場合、その停止した場所が、その人の牢獄になる。
だから、「求めよ」という言葉は、人生の成功法則ではなく、人間が未完成のまま歩き続けることへの許可なのだと思う。
だが、この状況はどうしたことだろう。部屋の奥の方では、とうとう白骨化している人々も出始めているとのことらしい。僕は、怖いので、そっちの方は見ないで済ますようにしている。
そもそも、何の演目をしようとしていたのか。何で、役者なんてしようとしていたのか。それさえも忘れかけてしまっている。人生の殆どがこの待合室で過ごしているからだ。待っている姿勢が人生そのものになった時、幕が開いても何もできないような気がものすごくするのであるが……。




