水曜サスペンス劇場
水曜サスペンス劇場
市内から1日1便の連絡船しか来ない島。
連絡船で20キロ2時間の人口が2,000人の、蒲鉾と漁業とみかんと民宿の島、その島でかなえは図書館の司書として働いている。
「ねぇ、かなえちゃん。こんなにたくさんの本はどこから来るの?」。
健太が無邪気な瞳で聞いてきた。
「市内からよ。お姉さんの選んだ本がこの島に来て、そしてここに来るのよ」。
「ふーん、市内から来るんだ。行ってみたいな。本がたくさんあるんやろ」。
「もう少し大きくなったら、健太くんも行けるよ」。
「でも遠いんでしょ?」。
「そうね、連絡船で2時間よ」。
「おしっこ我慢できるかな」。
「大丈夫よ。ちゃんとトイレはあるからね。それよりも船酔いのほうが心配よ」
「ふーん、船酔いってなに」。
「乗り物酔いよ。気持ち悪くなるの」。
「ふーん」。
この島にいる限り乗り物酔いになることはない。
かなえの島はゆたか島と呼ぶ。
島と市内には、おなじ行政区域であるがそこには目には見えないはっきりとした境界線がある。
「もしもし、かなえ。ちゃんと食べているの。たまにはこっちに来なさいよ。お父さんも待っているわよ」。
留守電のメッセージは、いつも同じだ。いくらこんな島でもスマホの電波はあるが、両親はその使い方を知らないのでわたしはいまでも固定電話を処分できないでいる。両親は市内に住んでいるが、わたしはめったに行くことはない。
市内のJAに勤めていて週に一度連絡船でこの島に仕事でやって来るのは、かなえの恋人の雄太である。
「ばあちゃん、変わったことないか」。
「なにもないわね」。
「そうか。そりゃよかった」。
彼女が畑でもぎ取っているトマトやキュウリはじつに鮮やかに実っていて、雄太はそれを見ていると元気なかなえの姿を思いだす。
「市内の方はどうや」。
「そうやな、市議会議員選挙で騒々しいわ」。
「関係ないの。こっちじゃ選挙の車も来んしな。チラシが郵便受けに入っているだけやからな」。
彼女のそばにはトマトとキュウリが山となっていた。つぎはトウモロコシの方へと行ってしまった。
「そんじゃあな。ばあちゃん。俺行くな。息災にな。つぎに来るときは肥料持ってくるから。お金頼むな」。
「おぅ、わかったぞ」。
彼女は次にぴしっと実がつまった、トウモロコシを土の通路に積みはじめた。
今日の仕事はこれで終わった。これでやっとかなえちゃんに会える。
人口が少ないこの島では、情報や噂はあっという間に伝わってゆく。どこそこの誰が市内の高校に合格した、あそこの家に初孫ができたなど。なかにはあの子とあの子がつきあいはじめた、別れたとか、そういう噂話も聞こえてくる。雄太とかなえのことも皆知っているし、そろそろ結婚するという噂があることも2人は知っている。これが田舎だと割り切ればそんなもので、慣れると人情味があってよいことだと雄太は思う。
かなえは、いつもの喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら暇を持て余しているようだ。
「かなえちゃん、なに見てるの」。
「民宿のお客さんが海で遊んでいるとこ」。
「ふーん」。
「あそこで遊んでいるひとはこの島をどう思っているんだろう」。
「市内のひとだったら、船で行ける公園みたいな島?船でちょうどいい時間かもな」。
「そだね。わたしにとって市内は遠い遠いところかな」。
ストローをくるくる回しながら遠い目をしている。
雄太は最近会うとたまにかなえに聞くことを口にした。
「かなえちゃんはそんなに市内が嫌い?」。
「ううん、憧れているけど住むのは・・・アタシにはこの島が合っているの」
「そう・・・ま、おいおい考えておいて」。
「うん・・・」。
「その民宿客が遊んでいるあたりに行こう」。
「うん。ごめんね」。
2人はまた気まずい雰囲気になった。最近会うとこの話題ばかりになる。今日はその雰囲気にならないように気をつけていたが、結局はいつもとおなじことになってしまった。
「雄太くん、仕事のほうはどう?」。
かなえは道端に咲いているハイピスカスを覗いては香りをかいで、つぎは隣のに移って覗き込んでは香りをかいでいた。
「順調だよ。とくにこの島に来る日が一番楽しい」。
「ばあちゃんとじいちゃんの相手するだけなのに?」。
「・・・ん、かなえちゃんがいるから」。
「ありがとう」。
小さな港の堤防に2人、腰掛けながらまだ遊んでいる民宿の客を眺めている。彼らは素潜りしては魚たちを観察しているようだ。
「かなえちゃんの方はどうなん?」。
「楽しいよ。無邪気な子が来るし、優しいおじいちゃんおばあちゃんが来る。みんな友達のような」。
「そっか。よかった」。
「ねぇ」。
「なに」。
「キスして」。
「こんな所でこんな時間にいちゃついてたら、噂になるよ」。
「いいの。それで」。
海はこれ以上ないほどに青く澄み、太陽は天高くにあった。一年で一番太陽が高くにあり、その日差しを容赦なく降り注ぐ時節である。
いつもの喫茶店の港の見える席でアイスコーヒーのストローをまわして、かなえはどこを見るともなくテーブルにひじをついて座っていた。
「ごめん。またこっちが待たせたね」。
「うんん。そんなことはどうでもいい」。
「俺、配置換えで仕事が市内だけになっちゃった。この島に仕事で来ることはなくなった」。
「そうなん」。
「かなえちゃんに会う機会が減る。そうしたら仕事でこの島へ来るわけじゃないし、会える回数が減って寂しくなる」。
「そうね。寂しくなっちゃうね・・・」。
「でも、土日はこの島に来るから。かなえちゃんも休みのときは市内に来てよ。市内でもかなえちゃんと会いたい」。
「わたしは・・・なるだけこの島から出たくない」。
「なんで?」。
「どうしても」。
「どうしてもって?これまで会いに来てた」。
「居続けるのはできない」。
「だって、かなえちゃんの両親もそれに俺の両親も市内にいるじゃない。仕事だって司書の仕事があったよ。このあいだ市役所に行ったら、募集しているって教えてれた。だから、安心して市内に来ればいい。それが皆にとってベストだよ」。
「ベストじゃないよ。わたしのことも考えて」。
「・・・どういうこと。なんで?わかんないよ。そんなんじゃ結婚なんてできないじゃない!」。
雄太がこんなに感情をあらわにしているのを、かなえははじめて見た。
「わたしだって雄太くんと結婚したい。でもこの島からは離れられない」。
「意味わかんない・・・・・市内に帰るよ。もう連絡船の出る時間だから」。
連絡船は島で一番大きい港から市内へ出航し、そして戻って来る。それを延々と一日一往復している。ある者は市内に出てある者は島へ帰って来る。島に帰って来る乗客の数と市内へ向かう乗客の数は、ほぼ毎日一致する。
このゆたか島を雄太はいま去ろうとしている。もうこの島には来ることはないだろうと。さっきのは決定的だった。
かなえは、なにも考えられずに港でただ雄太を探している。
「雄太くん、雄太くん!待って」。
もともと人が少ない。雄太が連絡船の後ろの席に座っているのが見えた。まだ連絡船は出航していない。岸につながれたままで、ふたりのための時間をつくっているようだ。
「雄太くん、雄太くん、雄太くん」。
雄太がかなえに気づいて、驚いて船尾までやって来た。連絡船はゆっくりと港から離れはじめていた。
「かなえちゃん・・・」。
ふたりをつなぎ止めていた連絡船と岸との距離は少しずつ広がって行く。
「かなえちゃん、こっちに飛んで。こっちにおいでよ」。
「ごめん・・・・・」。
我慢比べをするように見つめあうふたり。夕焼けに浮かんだ雄太のシルエットはゆっくりと小さくなってゆき、ぼんやりとして儚く消えた。
こうなることはわかっていた。でも忘れることができると、雄太が忘れさせてくれると思っていた・・・わたしはどうしようもない女だ。決定的だと思った。もう雄太くんと会う資格はない。
「かなえちゃん。これ、こないだ注文した本だよ。かなえちゃんが居なかったから宅配のひとから預かってた」。
「ありがとう」。
そのなかには、県内の観光についての本と市内と島の歴史についての本があった。
「なかなか良いチョイスだよ。こっちにいて向こうのことを知るなんて機会はなかなかないし」。
「そうでしょ。そう思って選んだの」。
一成は斜め読みしている。どこまで理解しているのやら。
「だいたい向こうの奴らはこっちはいまどんな花が咲いているのかわかってないしな。えーと、なんだっけ?」。
「(笑)オリーブとかでしょ」。
「そうそう。あっちは秋が近いだろうけどこっちはまだ夏真っ盛りなんだ。そういうことを言いたかったんだ(笑)」
かなえは笑ってくれた。最近笑顔を返してくれないので一成は少しだけ嬉しかった。
「そうそう。かなえちゃんはそうやって笑顔でいてくれないと、みんなも元気がでないよ。じゃ」。
「ありがと」。
一成は島生まれの島育ちで、とくべつ遊んだり話したりすることはなかったが、幼いころからかなえとは2つ上の顔見知りでいまは島の食品加工業者で働いている。主に蒲鉾をつくっている会社だ。工場の近くにくると蒲鉾の匂いが強くなる。島の匂いといえば「ここの蒲鉾」と島のひとは言うくらいの島で一番大きな会社である。実際この会社で働いているのはほとんどが島民だ。もちろん美味しい島を代表する味でありお土産でもある。
「聞いてや。オレ好きなひとがいるんだ」。
この辺りで1軒しかない居酒屋で一成は意を決したように同僚に向かって言い放った。
「そんなもん誰でも知っとる。かなえちゃんだろが」。
「なんでわかる?」。
「みんなわかっとるわ(笑)おまえがかなえちゃんに惚れとるってみんなの噂になっとる。かなえちゃんを見る目がいやらしいって」。
「そうなんか」。
「でも一成。かなえちゃんは雄太と別れたばっかりやぞ。ガードが固いとみんなが言うとる」。
「・・・・・」。
「ま、おまえとなら島を離れずにいられるか。それにしてもかなえちゃんも変わった娘やな。ふつうは喜んで市内に出ると思うけれどもな」。
「なんとかする」。
「そのまえに、かなえちゃんと会うときはいやらしい目をするな。嫌われるぞ(笑)」。
麦わら帽をちょこんと頭に載せて、レジ袋を持って歩くかなえの横にゆっくりと音もたてずに屋根のない黄色くて小さな車が止まった。
「かなえちゃん、乗ってかない!」。
かなえは驚いたようだ。この島で軽トラ以外の車から声をかけられることは珍しいことだ。
「一ちゃん、どうしたの。そのかわいい車」。
「気分転換になればと思って」。
「ふーん。でもこの島には必要ないでしょうに・・・軽トラならわかるけど(笑)」。
「ま、乗りなって」。
「あら?この車、オープンカーだ。へぇー」。
「屋根はボタン一つで開閉する!音も静かやったろ?ハイブリッドって言うやつ。結構高かったんやぞ。なにが高いかっていうと市内から島までの輸送費。わざわざこれをここの港まで運ぶのに船一隻使ったんや(笑)笑う?」。
「ホント、馬鹿ね(笑)で、どこへ乗せってくれるん」。
「島1周や!2周でも3周でもする」。
黄色くてかわいいオープンカーは2度エンストした・・・・・「軽トラとは違うから・・・・・」。
「うわー贅沢ね。もっと風にあたるかと思ったけれど、助手席はあんまりないのね。麦わら帽も大丈夫だね」軽く麦わらを抑えながら、かなえは姿勢を崩して気持ちよさそうに風に吹かれている。その雰囲気を感じると一成は黄色くてかわいいオープンカーを買ってよかったと安堵した。
「もうここまで来たんだ。島で2番目に大きい港ね。島一回りは何キロあるんだっけ?」。
「どれだけやったかな?すぐにわかるよ。距離も測っているし。ここまで25キロくらい」。
「島はもっと狭いかと思ってた。意外に大きいのね。あの灯台はわたしたちのより立派かも」。
「それもそうや。ここは会社の蒲鉾に使う魚を上げる港。おれたちの港のそばで蒲鉾をつくるためにこの港はある」。
「そうなんだ。島にいてなにも知らなかった。わたしの交通手段は自転車だしね。仕方ないか」。
ここだ!と思った。一成は今日一番言いたかったことを、このときに緊張しながら言った。
「いつでもどこにでも乗せて行ってあげるよ。連絡して」言い切った。
「本当?うれしい。まだまだ知らないところがこの島にはあるみたいだし」。
「そしたら・・・連絡先を」。
「あ、そうね。lineでいい?」。
ゆたか島は一周28キロだと判明して、かなえと一成は笑いあった。
「一ちゃん、きょうはありがとう」。
「俺のほうこそ」。
「じゃね」。
「おぅ。ねぇ、すこしは気分転換になった?」。
「うん」。
あれ?気分転換てわたしの・・・か。あのときの一成の緊張した顔を思い出してほくそ笑んでいた。
「小林のじいちゃん、さつまいもの苗このくらい?あと今年は玉ねぎどうする?」。
雄太は市内の本部に配置換えとなり、ここでも営業を任せられている。基本の業務は島とおなじだ。稲刈りのときコンバインが田んぼの途中で動かなくなったときにはまず雄太に連絡が来て、何をしていても直行し状況を把握してから、JAの技術担当に連絡をしなければならない。そういうことが何度もある。コンバインで刈れない箇所を田んぼに入ってかまで刈り取ることもあるし、休憩のお茶とお菓子を差し入れすることだってやる。コンバインに乗っているよりも疲れるんじゃあないけかと内心真面目に考えている。1番しんどいのは1俵30キロの米俵をそれぞれの家からJA軽トラに積んでJAの倉庫ンに運ぶときで、いつか腰を壊すときが間違いなくやって来るだろうと思っている。それも営業の仕事だ。JAの仕事だな。後継者不足が深刻でJAもみな総出で稲刈りの手伝いをしている。おまけに長袖、ジーパンだ。暑い。
「雄太さん、いろいろごくろうさまです。はい、これ」と麦茶を水筒から入れて小さな声で渡してくれたのは、麦わらを被った金融課窓口担当の冴子だ。いつも自信なさげに応対するので、年寄からは「冴子ちゃん、もっと大きい声でしゃべってくれんか」と言われることが多くて、その度に「ごめんなさい・・・」と顔を赤らめて蚊の鳴くような声で謝っている。しかし外見は裏腹で、「どこぞの女優か!?」と思わせる端正な顔だちとスタイルをしていて、いつも隙のないメイクと服装をしている。みんなからは「じょゆうさま」と呼ばれている。
「サンキュウ。今日も暑いね。こんなときはお茶に救われるよ。今日のお茶係は冴子ちゃんか。ごくろうさま」。
「雄太さん、「じょゆうさま」でいいですよ。あたし気に入ってます」。
「そうなんだ。じゃあ、じょゆうさま!」。
「ありがとうございます(笑)このお団子も食べてください」。
「お礼を言われるほどのことじゃあないし(笑)田んぼのときも立派なじょゆうさまだね。こういうときにふさわしいパーフェクトな恰好だよ。赤とんぼがよく似合うよ」。
顔を赤らめ、うつむいて小さな声で「ありがとうございます」と言って、自転車でつぎの田んぼへ向かっていった。
なんだかんだと言って、仕事は島に比べてやることは多いしクレームも多い。ストレスも溜まる。島に行くことがなくなって、懐かしく感じることが多くなった。島のことを思い出すと自然にかなえのことも思い出してしまう。あれ以来、連絡を取ってないしかなえからも連絡がない。島にも一度も行っていない。かなえとはもう会うこともないのだろうと感じている。
「ねぇ!?これ違うんじゃないの」会計課の小坂さんがどこか間違いを見つけたらしい。金融課に来ている。
「うーん。ここね。ここが違うのよ。19万もらうところを10万しかもらってない」奈良さんが答えを見つけたらしい。
「これは・・・・・じょゆうさまね。謝って9万もらってこなきゃね」たしかに、その伝票にはじょゆうさまの受付印がある。
「す、すみません。行ってきます」いつもよりさらに小声で、かつ泣きそうな赤ら顔で準備を始めた。
「でも、じょゆうさまだけじゃあ、ダメよね。こういう時に限って課長と補佐はいないなんてね」。
「だれか一緒に行ってあげてよ」。
「・・・・・」。
「このなかで人当たりが良くて・・・雄太くんね。お願いね」。
俺は営業課の通りすがりなんだが異論はなさそうだな。
「わかりました。じゃ行ってきます」。
いまどきMTでエアコンもろくに効かない軽で45分ほどか。まだ暑いのに・・・キツ。
まだまだ稲刈りのシーズンの最中だ、この時期は晩稲の品種を刈り取っている。コシヒカリだろう。コンバインがあちらこちらでまるで戦車のように勇ましく稲を刈り取って行く。運転は案外簡単だ。おそらく本物もおなじ動かし方なんだろうと思う。右に曲がりたければ右のキャタピラーの回転を止め、左に曲がりたければ左のキャタピラーを止める。あとはスピードの調節だ。子供のころにつくった有線で動く模型戦車とおなじだろう。
「あの・・・すみません。私・・・」今度はうつむいて、いつもよりもさらに小声になった。なるほどいろいろなバリエーションがあるんだ。
「どうしたん?いつもはこんなことしないのに」。
「すみません・・・私。コンタクトを家に忘れっちゃって。眼鏡も・・・」。
「寝坊でもしたん?」。
「いえ。その・・・メイクに時間を取ってしまって。すみません・・・」今度は小声に恥ずかしさが加わった。
「あらら(笑)でもそれ、本物の女優らしいよ」。
「すみません・・・」。
残りの90,000円をもらい要件は滞りなく終わった。じょゆうさまはホッとして帰りは泣きっぱなしだった。
「泣いてたら、大切なメイクが落ちるよ。はい、もうお仕舞い」。
「はい・・」助手席のサンバイザーを裏返して鏡をスライドさせて出して、メイクしはじめた。
「ここでやんの?」。
「はい。いまはここが一番安全なところです。一度落としますから絶対に見ないでください」お、少し声が大きくなったな。
「了解・・・」。
「じゃあ、明日は初詣に行こうか」。
「白川神社ね。連絡船出られればいいね」。
「大丈夫。天気予報は問題ない。気温は低くても波は凪いでいる。文句ない」。
「そうね」。
かなえは浮かない顔をして、うなずいた。
「どうしたん?そんなに連絡船が気になるんか」。
「うん、ちょっと」。
「ふーん、船酔いするから?」。
「そうよ。馬鹿にしないでよ!まだまだ子供なんです(笑)」。
市内の白川神社は、全国3,000社の白川神社の総本宮である。どの季節に参拝に来ても全国からの人々で賑わっている。大社の前には昔からあるであろうお茶屋があって、参拝客がおはぎや団子、甘酒で表参道を歩いて上って来た疲れを癒してくれる。そして短いがさらに険しくなる参道に覚悟を決めている。
これまでも雄太と何度か市内には来ている。たとえば気持ちが悪くなったとかそういうことはなかった。
わたしはなんで、こんなに市内に行くことが嫌なんだろう。わからない。なぜあのとき連絡船に飛び乗って雄太の所へ行かなかったのか。時あるごとにその答えを探しているが、まったくこころ辺りがない。雄太は今頃この市内でどうしているのだろう。あらためて謝りたいと思うけれども、答えがなければそんなことはできないと思う。それにいまさらで雄太も迷惑だろう。そう、一成がいる。そんなことは思ったりすることもしてはいけない。
「かなえちゃん、どうした?そんなしかめっ面して」。
「大丈夫、ちょっとこの坂に疲れたの。でもこの表参道を上がっていくたびにわたしの穢れも取り除かれていくのかな」。
「なに?かなえちゃん、なにか穢れに覚えがあるん?」。
「そう、小学校のとき体育館の窓のガラスを割ったのは、実はわたしだったの(笑)校長先生、犯人を捜してた」。
「なるほど、それは大きい穢れだ・・・」。
一成はきっと雄太に関することだろうと思っていたが、冗談でも口にできなかった。
表参道の西側を賽川が峡谷のように流れている。その向かい側は小さい様々な家々がびっしりと並んでいて歴史を感じさせる。時代をさかのぼれば宿泊宿やお茶屋や蕎麦屋、木工所だったのだろうか。よく見ると木材を使った箪笥や机などの家具を扱う家がところどころにあることがわかる。そして下流に行くと大きな酒造会社や味噌蔵があり、いずれも日本を代表するものをつくっている。かなえは日本酒が好きで、ときどきこの酒蔵の日本酒飲んでいると、一成は聞いたことがある。そういうときの彼女は生き生きとしていて見ているとその笑顔でうれしくなる。一成は酒は一切駄目でもっぱらノンアルコールである。ノンアルコールは好んで飲む。
ひと通り参拝をすませると寒いので、お茶屋で温まろうと暖簾をくぐったとき、レジでお勘定を払っているカップルがいた。後ろ姿でしか確認できないが・・・・・この背中は雄太くんだ。女の子がこちらを向いたとき目が合った。わたしとすこし年下で可愛らしかった。わたしは固まってしまったので、もし雄太くんが振り向いたりしたらと思うとさらに固まってしまっていた。
「かなえちゃん、どうしたの?行こう。順番待ちだって」。
「なんでもない」。
こんなに動揺するなんて・・・・・。
「でもなんでかなえちゃんは市内に来るのがそんなに嫌なん?」。
「よくわかんないけど、子供のころから。怖い?あとはわかんない」。
いつものコンビニ前でカルピスウォーターを片手に冴子を待っているが、珍しく彼女は遅れている。またメイクに手間取っているのだろうか。コンビニには客は数人しかいないようで、女性客は1人だ。冴子を探すが店内にはいない。
「・・・・・さん」。
「私です。私ですよ。雄太さん」。
コンビニのドから出てきた、女の子が聞き取れなく小さい声で雄太の名前を呼んでいる。
「?」。
「私コンビニの中に居たんです。ぜんぜん気づいてくれないんです(笑)」。
「冴子ちゃん?」。
「はい」。
「えっ、マジで冴子ちゃん?」。
「マジでございますわよ(笑)」。
雄太の目の前にいる彼女は、いつもの隙のない服装とはかけ離れてカジュアルである。
そして、かわいらしい顔をしている。「どこぞのアイドルか!?」と見とれてしまうくらいに笑顔で輝いている。
「これでも先月から雄太さんの前ではメイクを少しづつ薄くしていたんです。でも気づいてくれなくて、今日は思い切ってほとんどすっぴんにしました」。
「ぜんぜん気づかなかった・・・ごめん。それすっぴん!?」。
「はい。なにか可笑しいですか」。
「ぜんぜん。どこぞのアイドルかと・・・」。
「私、どっちもおなじくらい好きでどっちも選べないんですが・・・雄太さんの前ではすっぴんの自分でいたくて今日は恥ずかしいけど思い切りました」。
雄太の黒い中古のマークXはコンビニの駐車場をするりと出て国道8号を白川神社に向かった。
「今日は天気がよくてよかったね。たぶん白川さんはおなじ考えの参拝者でいっぱいかなぁ」。
「そうですね。それにしても雄太さんって晴れ男です。初デートのときからずっと雨とか雪はないんだから。太陽です。雄太さんは」。
「そんなことはないって。太陽は冴子ちゃんかもよ(笑)」。
「まっさか(笑)」。
白川神社には古くからある表参道から上がって歩いて境内へと行く。
白川神社ではまず大きな鳥居の端で礼をする。真ん中をくぐるのはNGだ。真ん中は神様が通る。手水舎で手を洗い口をすすぐ。そして本殿前にて賽銭を入れ、鈴を鳴らす。二礼二拍手一礼する。これが基本だ。信仰深いひとはこの後境内に6つ参るところがある。たとえば大きな石。この石の向かう先には信仰対象の白川山がある。白川山の頂上に登らなくともその代わりに手を合わせると、ご利益があるとのことだ。たとえば馬像では交通安全。たとえば小さなほこらは病気平癒を祈願する場所である。樹齢1,000年と言われている老欅は人気パワースポットとして若者に人気がある。
「雄太さんは物知りです」
「あ、これは堀越のばあさんに教えてもらったんや。あのひと白川信仰に厚いから。これだけ回るとかなり時間がかかるよ。それにご利益がたくさんあってありがたく思う。一日参りといって毎月はじめに参拝すると更にによいって。 俺はときどき堀越のばあさんにつきあわされて一日参りに行っている。あのばあさんは一日参りをかかさないでいるんだよ。
「あのおばあちゃんが。そうなんですね。奥深いな。そしたら今日はフルコースでお願いします」。
「OK」。
ふたりは拝殿で作法に乗っ取って、鈴を鳴らし礼をして参拝した。空気がひんやりとしている。それがさらに厳かに感じさせる。先日の雪のなごりで境内の隅には雪が残っている。
「おみくじ引こう!」。
「うん」。
「この白川神社の一番の後利益は・・・」。
「恋愛成就です」。
「知ってた?(笑)」。
「きのう少し調べました(笑)」。
さすがに冷えたのだ。雄太が握っている冴子の小さな掌は冷たくなっていた。鳥居側のお茶屋でぜんざいを食べて温まることにした。
「おみくじ、おたがいに吉でよかった」。
「そういえば、冴子ちゃんはなんでメイクしたりしなかったりするん?」。
「なんでなんでしょう・・・わかんない。雄太さんはどちらのわたしが好きですか?」。
「どっちの冴子ちゃんも好きだよ。とても魅力的だよ。でも時間がもったいないからすっぴんのほうだな」。
冴子の顔がすぐに赤く染まった。
「温まった?空く席を待っているひとが多いから、出ようか」。
「はい。たまには私が払いますよ」。
「僕が払うから。また今度ね」。
「でもJAのお給料なんて安いですから」。
「心配ないよ。さ、行こう」。
支払いを済ませようと思うけれどもレジ係は新人なのか、まごついている。すこし気が緩んでいるとき、「かなえちゃん」と呼ぶ声がした。ふと声がした方を振り向くと、そこにはかなえの後ろ姿があった。間違いない、この子はかなえちゃんだ。一緒にいるのは一成くんだ。2人は店内へ入っていった。
一成に嫉妬した・・・・・。
「じゃあ、バイバイ。一成くん」。
「もう一成でいいよ」。
「じゃあ、バイバイ♪一成」。
「バイバイ、かなえ」。
かなえのアパート前を黄色くかわいいオープンカーが去ってゆく。
「あの・・雄太って呼んでもいいですか?」。
「もちろん」。
「きょうもありがと。雄太・・」。
「もうすこし大きな声で呼んでよ(笑)聞こえない」。
「じゃあ・・・雄太」赤い顔が恥ずかしさでさらに赤くなっていた。
「冴子、またね」。
黙ってうなずく、冴子。
島には5軒の居酒屋があるが、3軒は観光客向けで、地元民が好んで利用するのは2軒である。そのうちの大港側の店は漁業関係者が多く、一成が勤める蒲鉾工場も近くにある。市内にはもうそろそろ春が訪れそうな気配がしているが、この時期に気軽にリゾート気分を味わうことができるのはこの島だ。島の海は温かい。
「一成とかなえちゃんはそろそろ結婚してもいいんじゃないか」。
「まだ早いだろ」。
「そうか。つきあって半年くらいになるだろ」。
「お見合いじゃないんだから」。
「いや、まだ若い。まだ早いな」。
昨日と同じ答えのない話題に夢中になっている。
「どっちにしても、かなえちゃんは雄太のことがあったけど一成とくっついてよかったな」。
よしよしと言いたげに満足そうにイカの一夜干しを食いちぎっている。
「かなえちゃんは、この狭い島のアイドルだからな。幸せにならないと。一成め!」。
本当に腹立たしそうに生中を飲み干した。
このようなやりとりがいつものメンバーで毎日のようにされている。
今日も楽しかった。
でもわたしはなぜ島にだわるんだろうか・・・・・なぜ市内へ行くのが怖い?
「もしもし。ねぇ、わたしはなんで島に住み始めたの?お母さん、お父さんとなんで一緒に暮らしてないんだっけ?」。馬鹿なことを聞く娘だ。
「あなた。どうしたの。お覚えてないんか?」。
「・・・・・ない」。そう言われればそんな気がするけど。
「あんた、お父さんとお母さんと一緒にこっちで住んでいたんじゃない。それをあんたが中学生になるときにどうしても島で住みたいと言い出して、叔父さんのやっかいになることにしたんじゃあないの。あんた大丈夫?」。
「そうだっけ」。固定電話は掛けているときは移動できないのが嫌いだ。わたしのは子機がない。いまさら買いかえる気もない。
「雄太くんとじょゆうさまはどうなるのかな?」金融課の奈良がポテトをつぎつぎと口に運んでいる。
「順調でしょ。私、見たよ。4丁目のユニクロでTシャツを探しているところ。あれはお揃いのを買ってたと思うよ。遠くから見かけたから女の子の方はじょゆうさまじゃない別の子かな?って思ったけど、よく見るとじょゆうさまだったの。ちょっとおかわりしてくるね」京野は残ったアイスコーヒーをストローで飲み干した。
「でも最初は驚いたけど、結構お似合いよね。雄太くんて包容力あるし、じょゆうさまも安心して甘えられるよね。わたしにも雄太くんみたいなひと現れないかな」電子タバコをふかして保険課の志賀野は羨ましそうに言う。
京野はアイスコーヒーのおかわりを持ってきて席に座って「あんたみたいなの雄太くんの好みじゃないわよ」と正直に言い放った。
雄太って呼べた。夢みたいだ。でもなんでわたしは本当の顔をメイクで隠そうとするのだろう。
もうそろそろ春が訪れそうな気配がしている。まだまだ寒い市内の人にとって気軽にリゾート気分を味わうことができるのがこの島だ。
山のなかにいる。ずいぶん歩いた。迷子になった。あたりは桧木の木漏れ日のおかげで明るい。声が聞こえる。なんて言っているのかわからない。声がする方を見るとわたしと同じくらいの女の子とすこし年下の女の子がいる。年上の女の子の手には光が木漏れ日で反射している、短いものがあった。
じっと目を凝らしていると喧嘩をはじめた。取っ組み合いになった。年上の女の子が馬乗りになった。そうしたら年下の女の子はぐったりとして動かなくなった。
さっぱりなにがあったのか理解できなかった。ただわたしは動けないでじっとしていた。
彼女がわたしに気づいてやって来る。左手には小さな包丁があった。
「あんた。手伝ってよ。見たよね?」
うなずいた、わたし。
ふたりで大きな穴を掘って動かなくなった女の子を埋めた。
「ありがとう」「誰にも言わないでね」「ふたりだけの秘密よ」「もし誰かに言ったら、わかるよね」
女の子は山道を歩いて降りて行った。
わたしは秘密を守り続けている。
寝汗をかいた。
「久しぶりやの。かなえ。もっと顔を見せに来い。うちのも喜ぶさけな」もういい年齢なのにまだ畑仕事をやっている。「後継者不足だ」が理由だそうだ。実際にこの島でも農業をやっている若者は少ない。叔父さんの年頃でも「まだまだ現役」なひとが珍しくはないし、大きなトラクターなんかの重機をよその家から委託を受けてやることがあるので。まだまだ老いてはいられないらしい。それらは今は納屋で眠っている。
「ごめん。ちょっと変なこと聞くけどわたしはいつからこの島にいる?」。
「なに言うとる。おかしなこと聞くな。中学生になるとき、どうしてもこの島に住みたいって言いだしてこの家に来たんやぞ。忘れてしまったか?」。
「それでこっちの中学と高校に行った?」。
「何言っとる(笑)」。
「覚えてない。なんでこの島で暮らしたいって、その理由は?」。
「なんか、市内は怖いとか言っていた気がするけど、忘れたな」。
「しまいにはお父さん、お母さんも諦めて島に来させたんやぞ。忘れたか?」。
「・・・・・」そう言われればそうだったような気がする。
かなえは一成と子の3人で島で暮らしていた。結婚後12年が経っていた。
島は変わらずに時の流れは緩やかだった。かなえと一成はその流れに任せていた。連絡船は変わらずに1日1便20キロ2時間で島と市内を渡している。一成は変わらずに水産会社に勤め、月に一度は市内へ出ることはあるが、かなえの方はめったに市内へ出ることはない。ごくたまに両親に会いに行く程度だ。
2人には小学5年生の男の子がいる。彼は市内の中学に通いたいと言っている。島の中学へ行ってもらいたいと思ってはいるが、もしものときはかなえの両親を頼ることになりそうだ。
かなえは今も島の図書館で司書として働いている。
とても幸せで、文句などない。
しかし、またあの夢を見るようになった。次第に間隔が短くなってゆく気がする。そして現実にあったことのように思うこともある。
誰にも言えない。あのときあの女の子が「もし誰かに言ったら、わかるよね」と言ったからだ。
「そんな馬鹿馬鹿しいこといつまで、言っている気だ」と言われそうだが、夢がどんどん現実味を帯びてくるので怖い。
一度意を決して市内に渡ったが、いつのことだったのかどこの山だったのかも何も思い出すことはなく、両親にもわたしがおかしかった時期がなかったとか聞いたが何もわからなかった。
もはや、それが現実にあったことなのか、わたしの夢の産物なのかわからなくなった。
ただ人を殺してみたいという欲求だけは芽生えて来ている。
12年後雄太と冴子は市内で子供2人と暮らしている。共にJAでいまも働いている。
あの夢を見る。最近よく見るようになった。
私は山で迷子になってしまった。周りは竹林だったので光が射していた。
声が聞こえる。ふたりの女の子がいた。喧嘩を始めたらしい。取っ組み合いになった。
大きい方の女の子が小さい子に馬乗りになった。包丁みたいなもので小さい方の女の子を思い切り突き刺した。小さな方の女の子は動かなくなった。
大きな方の女の子は左手に包丁みたいなものを持って私のところにやって来た。
「あんた、見たよね。手伝って」。
私はうなずいた。
ふたりで大きな穴を掘って、小さな方の女の子を埋めた。
「ありがとう」「誰にも言わないでね」「ふたりだけの秘密よ」「もし誰かに言ったら。わかるよね」。
女の子は山道を歩いて降りて行った。
私は秘密を守り続けている。
寝汗をかいた。
20年ほど前の、それに子供の頃の話のようなものなので、そのことが実際にあったことなのか・・・と問われれば何と答えればよいかわからない。
ただ人を殺してみたいという欲望が芽生え始めている。
あの夢をほぼ毎日のように見るようになってきた。あれは現実にあったことだと思うようになった。そして欲求はますます大きくなった。いつもいつも人を殺すことを考えている。もう抑えきれない。
人を殺してみたい!
今日もあの夢を見たいと、寝汗をかくけれども望むようになった。
あの夢をほぼ毎日のように見るようになってきた。あれは現実にあったことだと思うようになった。そして欲求はますます大きくなった。いつもいつも人を殺すことを考える。もう抑えきれない。
人を殺してみたい!
なにげなく「人を殺す」と検索した。検索結果が出てくる。下へスクロールしてゆくと最後から3つ目に「交換殺人」とあった。いくつかクリックしてゆくと「どうせ殺すならば愛するひとを殺しあいましょう。あなたが初心者ならば愛するひとを自分の手で殺すよりも、ためらわずに殺せます。世間にばれることを考えても交換殺人がふさわしいと思います。この上なく満足することを約束します。あなたのこころは必ず満たされます」
更にクリックすると「ばれない方法」とあった。
わたしの動悸はますます激しくなってゆく。
「ばれない方法」をクリックしてみた。
「ほぼない。その覚悟を持ってターゲットを確実に殺す。代償は大きい。それでも殺せますか。代償は大きいかもしれないが、それ以上の満足が得られます」
「あえて言えば、だれも来ない山中で殺してそのまま埋めるのがよいでしょう。だれかに見られる確率は他の方法と比べて低いです」
とあった。
人を殺したい
人を殺してみたい
人を殺したらわたしはどうなるのだろう
最愛の人が殺されたらわたしはどうなるのだろう
満足するのだろうか
もう止められない
そのことを考えると興奮して眠れない
わたしは誘惑に負けた・・・・・
なんで私は本当の顔を隠そうとするのだろう。メイクという手段で本当の自分をいつも隠している。いつからだろう。あの夢を見るようになってからのような気がする。社会人になりたての頃だ。メイクして隠さないとあのことがばれるような気がしてたまらない。ここ何年かメイクなしで家の外に出たことがない。無防備でいることが怖いのだ。いつも誰かから見られているような気がしてたまらない。うっかりあのことを話してしまうことがないかいつも気が張っている。あの子だ。あの子が見ている。聞き耳を立てているから、大きな声をだせないでいる。
この間、思い切って素顔で雄太に会ったけれどもなにも起こらなかった。もう誰も見ていないのだと安心した。それ以来あの夢を見ることがなくなった。雄太のおかげだ。わたしを救ってくれるのは雄太だ。
そして誰かを殺したいという欲求は消えた。
これで私は自由になった。私を縛るものはなくなった。雄太が救ってくれた。
忘れていたサイトを開いた。「交換殺人」とあった。いくつかクリックしてゆくと「どうせ殺すならば愛するひとを殺しあいましょう。あなたのこころは必ず満たされます」さらにクリックすると「ばれない方法」とあった。
動悸はますます酷くなってゆく。
「ばれない方法」をクリックしてみた。
ほぼない。その覚悟を持ってターゲットを確実に殺す。代償は大きい。それでも殺せますか。代償は大きいかもしれないが、それ以上の満足感が得られます。
「あえて言えば、だれも来ない山中で殺してそのまま埋めるのがよいでしょう。だれかに見られる確率は他の方法と比べて低いです」。
とあった。
なんて馬鹿なものを見ていたのか。狂っていたとしか言いようがない・・・・・
もしかすると雄太を失うところだった。「殺せない」をクリックしておいた。
そのまま春が過ぎ夜でも冷えない日が続くようになった。
「もう大丈夫。「殺せない」をクリックしてからあの夢から解放された」と思った。
周りからは「明るくなったね。声もしっかりしている。誰かさんのおかげか?(笑)」なんて言われることがある。「じょゆうさま」とも呼ばれることもあるし、「冴子ちゃん」とも呼ばれることもある。雄太からも「じょゆうさまにならないの?」ってからかわれた。
「冴子。結婚。しよう」って。
またあの夢を見るようになった。決まってあの場面になる。女の子が小さい方の女の子を刺したあと「あんた。手伝って。見たよね」と言われる。私は頷いてふたりで穴を掘って彼女を埋めた。寝汗をかく。
毎日毎日繰り返す。
またどこまでが本当のことなのか、どこまでが夢なのかわからなくなってしまった。区別がつかない。そしてまた人を殺してみたくなった。
雄太には絶対に知られたくない。嫌われたくはない。
そしてわたしは「じょゆうさま」に戻った。
ある日、発信元不明のメールが届いていた。
「この度は本サイトの会員に登録くださりまして誠にありがとうございます。つきましては、あなたに殺してもらう人物をお知らせいたします」。
【ターゲット】
・氏名 大川 一成
・生年月日 H3.9.14
・住所 渡河県渡河市ゆたか島4-1
・勤務先 株)ゆたか水産
あなたのこころが救われるようお祈り申しあげます。なお、この交換殺人が無事成功された場合、報酬といたしましてわが社へ寄付金の支払いが生じます。いくらでも構いません。あなたのお気持ちをお支払いください。失敗された場合は、社会的制裁を受けられてください。わが社は責任を負いかねます。
交換殺人の期限は本日より1週間です。期限をお守りください。期限を過ぎた場合はあなたの命をいただきます。
以上、よろしくお願い申し上げます。
こころが救う会
ついにひとを殺すときがやってきた。成し遂げたとき、私のこころは救われるはずだ。
ターゲットは大川一成と言う。誰かが1番愛している人だ。あえてそれ以上は調べなかった。知ってしまうとできなくなるかもしれない。ただ住んでいるところはゆたか島だとわかる。画像が1枚添付されていた。案外近くにあのサイトで会員登録した人がいたとは思いも寄らなかった。
私は女で大川は男だ。このナイフで一度で殺さなければならい。失敗はない。
ここはゆたか島だ。人気のない場所はいくらでもあるが埋める場所は思いつかない。
大川が居酒屋から出てきた。1人だ。時間は午後9時を過ぎた。歩いて帰るようだ。
歩き始めて15分が経った。ちょうど小さな港が見える。人気がない。灯かりもない。迷っていてもしょうがない。
私は彼の背後からナイフを両手で強く持ち、刃先を彼の背中に向けている。
迷いはなかった。
これで私のこころは救われる。
軽く走って思い切り刺した。
彼の背中が血で染まって行く。
いままで経験したことがない手ごたえがあった。
彼は倒れる前にわたしを見た。
動かなくなった彼を堤防から捨てた。
その代償として私の愛しいひとはこの世を去ることになる。
これで私は救われた。
よりによって雄太なんて・・・神様のいたずらとしか考えられない。この1週間迷いに迷った。いま迷うというのは彼を殺すことが前提にある。殺さないというのは2番目の感情だ。
雄太の笑顔を思い出す。彼の声を思い出す。彼の優しさを思い出す。それぞれがわたしの中で蘇る。
でも今を逃せば永久に機会は訪れず、あの夢から解放されることはないのだと決めた。
雄太を殺せば縁のないひとを殺すことよりも、何倍もわたしのこころは救われるだろうと思うこともあった。
最後は人を殺すという欲求に負けた・・・・・。
やりきった。私はやり遂げた。人を殺した。あの感触を今後忘れることはないだろう。あのときの彼の顔も忘れない。
私は救われた。気持ちが軽くなった。なんて清々しいのだろう。活力がみなぎっている。なんて素晴らしいのか。
そして、またひとを殺したくなった。
「海道冴子さんですか。渡河県警の者です。ちょっとお話を・・・・・」3名の私服の警官が家にやって来た。
「はい?」なんの用だろうか。私はよいことしかしていない。
冴子は、物事の善悪を判断して自らの行動を制御できる能力がないと判断されて、責任能力は認められなかった。
冴子と雄太の子が邪魔だ。
わたしには雄太を殺すことはできなかった。
どうしても、どうしてもできなかった。足が、腕が動かなかった。どうしようもなかった。
代わりに彼の子供2人を殺すことにした。
雄太と冴子の子を殺すことにした。
次の日、連絡船でわたしは雄太の家に向かった。冴子がいなくなったので家の中、外とも慌ただしい。
チャンスを伺う。ここは田舎だ。周りには人気がない。
「ちょっと教えてほしいんだけど、海道っていう家はどこ?」。
「僕らの家」。
「どっちにある?」。
「あっちです」。
そのときのわたしは彼らには鬼のように見えたに違いない。
思いっきり海へ突き落した。堤防から海面までは2mほどあったので小学生には上がれない。
港から出た。
人気はなかった。
独特の感触が残っている。
まだ十分でない。気が済まなかった。邪魔なものは排除しなければならない。
わたしと一成の子が邪魔だ。自分の子が邪魔だ。わたしはなんてことをしようとしているのか。気が触れているに違いない。それでもあの子は必要がない。それで完全になる。思った通りになるに決まっている。
「お母さん、どこに行っとったん?」。
「お散歩。成人、ちょっとお母さんとお出かけしようか」
車に乗せて島で唯一の山へ向かった。山と言うよりも丘と呼ぶ方がふさわしいのかもしれないが、高くはないが渡河山と正式に名づけられているので、そうなのだろう。そして樹々が生い茂っているので人目につかない。
「おいで。成人」。
わたしは涙した。人生でもっとも深い涙を流した。こんなに愛おしい自分の子を殺す。母親でもない鬼だ。
彼はぐったりとした。
あらかじめ掘ってあった穴に埋めた。
これでいい。
わが子の首を絞めたときの何とも言えない感触、そして成人の苦しそうな顔が脳裏に焼き付いた。
もうわたしたちを邪魔する者はいなくなった。完全に。
一成の葬儀のために仕事上、雄太は島に来ていた。冴子は県警に拘束されたままだ。意味が分からない。まったく理由が分からない。激しく混乱している。家族も親戚、友人、そして葬儀の会場もそのような雰囲気を醸し出している。誰も理解できないのだ。
わたしは連絡船の乗降口へゆっくりと歩きながら雄太を探していた。
「雄太くん」。
彼は驚いてこちらを見た。
「かなえちゃん、どうしたの?」。
彼がこちらにやって来るのを待った。
わたしは島と市内の境界線を飛んだ。
連絡船はゆっくりと出航し、岸から離れはじめた。次第に島と市内を結ぶ連絡船は市内へと速度を上げてゆく。
わたしの気持ちも上がって来た。
「今度は飛べたよ」。
「何やってんの?帰れなくなっちゃう」。
「さ、行こうよ」。
「どこに?」。
「あの日」。
あれから20年・・・あのとき、ここで殺した。まさかこんなところで2人の女の子に見られていたなんて、あのときは驚いた。
約束は守られているようね。
これからも2人とも破滅の道を生きなさい。




