1. 1991年3月
超不定期更新です。
チクショウめ。
ショウ・サトナカは、ジメジメとした草木生い茂るその場所で、衣類が汚れるのも構わず這いずり回っていた。
雨季である。よりによって雨季である。最悪だ。
いや、今はそんなことはどうでもいいだろう。問題はそう、ショウの頭に穴が開きそうな現状にあった。
ショウはゆっくりとした動作で、両手を頬の横まで持ち上げたのだった。
世間はベルリンの壁が崩壊したとかで大騒ぎだ。それから間も無くの冷戦終結。
ソ連崩壊によるドミノ倒しで冷戦と、それに付随する代理戦争という名の激烈悪趣味クソボードゲームに終止符が打たれた——、少なくとも表面上は——、わけだが平和など、ここアフリカ大陸ではとんだ絵空事である。
そんなもの、味のなくなったガムほどの価値もありゃしない。
平和平和平和。平和ってなんだっけ。ショウはその少年の顔を真っ直ぐに見て考えた。
ショウの頭を今まさに吹っ飛ばさんとするのは、おそらくソ連製のAK47。それを構えるのは年端もいかぬ少年兵であった。年齢は十四、五と言ったところか。ショウとは十程度しか違わないだろう。
攫われ逃げ出し追いかけ回され、このザマだ。
逃走から既に一時間程度だろうか。
いや、道とも言えない場所を走ってきたのだから体感として一時間とか感じているだけで実際はもっと短いのかもしれない。
場所は森で少しばかり高台だ。逃げてきたのと別方向、かなり遠く……、十数キロ先ぐらいだろうか、そのあたりに光が見えた。
街、いやこの際、村でもいい。とにかく彼から逃げられた暁にはそちらを目指そうと考える。
だが。
(逃げられるのかねえ……)
絶望的な状況下であるがまあ仕方がない。
こんなこともあるさ、と諦めモードである。死ぬ気はないが、最後に鰻食いたかったな、などとついつい考えてしまうのは疲労のせいだろう。
それにしても、とショウは自分に銃口を突きつける少年を見た。
ショウは彼らを「何かしらの強い意志を持ち立ち上がった者たち」であり「これは資金確保の誘拐」だろうと推測していたわけであるが、奴らの断片的な会話から推測されるに、どうもそれは誤りのようであった。
ポルトガル語をベースに様々な言語が混じっていて、会話のはっきりとした内容は判然としなかった。
だが、ショウが昨日終えた取引に、何か問題が生じたのだろうということは容易に推測された。
問題は何をしたか判らないことだ。
ショウは己の行動を振り返っても、ビジネスライクな態度にそれほどの失礼があったとは思えかった。
ならば最初からショウに売る気はなかったか——、あるいは——。
(横流し品だったか……)
鉱山主の意図せぬ売買だった可能性が浮上した。
いいタンザナイトだった。喜び勇んで買ったのは誤りだったのかも知れない。
最悪だ。最悪ではあるが、だが、幸もあった。
少年兵と思しき彼らだが、その手腕が総じて甘いのだ。
雇われた者は他にいて、子飼いにされてきるのが彼ら……、そして彼らにショウの処分を任せられたのかもしれない。
なにかしらの組織のちょっとした小遣い稼ぎ。そんなシナリオが頭に浮かんだ。
成熟した組織はもっと警備が強固だ。
今は人員確保の過渡期で、おそらく組織運営も手探りな状態だ。だから逃げ出せた。
だが。だがである。
そんな奴らに捕らえれるなど、いかんせん真抜けが過ぎる。政府のご厄介になり救出されるのは避けたかった。
なんとかことが公になる前に逃げ出さねばなるまい——、そんな気持ちから、かなりの無茶をし比較的短時間で基地から逃げ出した。
何か敷地内でトラブルがあったらしいが、その内容をショウが知る必要はない。
ただ逃げ出せた。この事実だけが重要だろう。
追手は複数人いた。
少年兵が合計三人。うち一人の、射撃の腕が良さそうなやつは撒いた。
残りは二人だが、片方はいつの間にか姿が見えなくなっていた。
人質を殺してどうなるってんだ、と思うがそんな理論が通じる相手ではないだろう。彼は逃走中もあらぬ方向へとドンパチを繰り返していた。
とは言え現在の状況は決して楽観視できるものではない。何せ己の頭に銃口が突きつけられているのである。
(わっかいなぁ……、子供だ)
少年だ。いつからこんな生活をしているのかは知らないが、こういう場に置かれた者というのは、大抵は筆舌に尽くしがたい経験をしているものだ。
例えばそう、親を目の前で殺されるなどして強制的に連れてこられた、だとか。自らの意思でああ言った組織に加わっていることは稀である。
フ、フ、という短く浅い呼吸が聞こえる。どちらの呼吸なのかは判然としない。
それから風の音。
月明かりが妙に明るい。
その光を受けて、銃身が鈍く光る。
と、ショウは気づいた。
銃身が小刻みに震えている。
禁断症状かあるいは恐怖心か。
そんなことを考えていると、雲間から月が顔を覗かせた。ぼんやりとした月明かりではなく、はっきりとした明るい光。
その光に照らされた少年兵の顔——、しかしその視線が交わらないことに気づく。
焦点が合っていないし瞬きも異常に多い。
タチの悪いモノを使われているのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。
気にすべきは、彼にはショウの姿があまり見えていないのではないかと、という疑念だ。
試しに彼の視界から外れている足をそろりそろりと音を立てずに動かすがそれに気付いた様子もない。
もう片方の足も動かすがやはり気づく様子はなかった。
ならば話は早い。
月が雲間に隠れる。
瞬間、ショウは立ち上がった。
少年兵の腕もそれに伴い、やや遅れてショウの動きを追う。
銃口が向けられそうになるが、ショウは左腕でを使い、銃身を外側に向かって跳ねさせる。
少年兵の両腕流れるようにショウの左側へ移動する。銃身が真横を向いた。
彼が何事かを叫ぶ。
ショウはそのまま銃身の真ん中を引っ掴み、そして力一杯彼の腹を目掛けて足を振り上げる。
銃が少年兵の手から離れ、そして体は軽く跳ね地面へと落ちていく。
鋭い悲鳴。声がまだ幼い。
発育の悪い痩身が丸まるようにして地面へと転がった。
だが、逃がさない。
情けをかけてはショウが殺される。
「悪いな……!」
そしてショウはそれを振り上げて彼の頭を幾度も殴打した。遠くまで響く発砲音を放つことは悪手だ。だから容赦なく殴打を繰り返す。
重い反動が腕に伝わる。ビリビリとした衝撃が掌、腕、上腕、そして首まで駆け上がる。
遠くで鳥の羽ばたく音がした。
そして静けさが訪れる。
肩が激しく上下する。
少年が完全に沈黙したのを確認すると、ショウはようやく血濡れのAK47をその場に放り投げた。
デカい・重い・国境で引っかかる。そんな銃器なんぞ護身用に持ち歩くわけには行くまい。
ショウは傍に倒れた少年を一瞥した。まあ、死んではいないだろう。
それにしてもひどい有様だ。
月明かりに照らされ自身の有様が明らかとなる。衣類は自分の血で汚れていた。顔中が泥だらけだし、不衛生極まりない。
さて困ったぞ、と空を見上げるが、現在地がどこかは判然としない。
拉致されたのはアンゴラの国境沿いである。ではここはどこだろう。
星を見ればなんとかなるだろうが、正直なところ面倒くさい。だがやるしかない。
これから住まいのある南アを目指して帰るわけだが、当然歩ける距離ではなかった。
アフリカ大陸はとにかくデカいのだ。まずは、どこかインフラの整った街を目指すべきだろう。遠くに光が見える。そちらを目指すしかない。
「あーちっくしょう、腹いてぇ。思いっきり蹴りやがった!」
少年の衣類を探り、あった、とそれを回収し懐に収める。15カラット級の、濃い色合いのタンザナイト。
まったく難儀な仕事である。割に合わない。
たかだか10000米ドル程度のために受けていい仕事ではなかった。
「あー、もう!」
やはり日本のパスポートは駄目だ。ここアフリカ大陸で少しばかり分が悪い。親米政府が多いのだからアメリカ人として歩くべきだった。
「ああクソ、ここどこだよ!」
ショウは小声で叫びながらマガジンをポケットに入れてその場を立ち去るべく泥を落とした。
蚊が飛んでいる。
メフロキンを飲んだのはいつだったか——、確か一週間前にはきちんと服用したはずである。
転がる少年兵を見ながら、まさかこいつ、副作用の幻覚じゃあないよな、などと考えるが、ポケットのマガジンがこれは現実だと訴えかけていた。
ああ、本当に最悪だ。
ショウはぶつくさと小声で文句を繰り返しながら、風呂を夢見て歩き出した。




