51.シネマ
春の訪れを邪魔されたテツオは、複雑な面持ちでサリアの背中に追従する。
よくも邪魔したなという気持ちもありながらも、わずかな充足感に満たされていた。
誕生パーティーの一件以来、サリア嬢は出会った当初より健やかな雰囲気になった。
冷たく他者を嘲笑うような佇まいではなく、どこかシャンと背筋を立たせる快活な淑女になった気がするのだ。
なんとなく感じ取れる些細な変化ではあるが、それが何よりの報酬であると、テツオは安堵に口元を綻ばせる。
「これはなに?」
サリア嬢は自室へ着くなり、ビシリと部屋の中央に鎮座した〝ある物〟を指差した。
「ああ……それは」
誕生パーティーで集まったプレゼントの開封をしていたのだろう。
積み上げられたドレスや宝石類の中、その物体はあまりにも異質だった。
「ささやかながら、私からの誕生プレゼントです」
それは、木箱に小さな観覧車を押し込めたような奇妙な装置だった。
側面には短いハンドルが突き出し、それを回すと、内部で紙束がびっしりと並べられた輪っかが回る。正面には一人分のスコープが備え付けられている。
ミュートスコープ──地球でそう名付けられた、映写機の祖先とされる代物だ。
「プレゼント? ありがたいけど、あまりにも得体が知れない……」
この世界にはまだない技術と発想らしい。
作りは単純なのだが、警戒を解く必要がありそうだ。
「安心してください。これは、おもちゃみたいなものでして」
言いさして、テツオが箱に備え付けられた覗き穴を指で叩く。
「ここに目を近づけて、中を覗き込んで見てください。それで、傍にある取っ手を回すんです」
テツオは一通りやって見せると、サリア嬢は怪訝に眉根を寄せる。
「あなたは本当に、わけがわからないことをするわね」
まるで飽き飽きした子供のお遊びに付き合うような、そんな呆れた響きを乗せて、サリア嬢は覗き穴に顔を近づける。
すると途端に──
「わぁ……」
ゆっくりハンドルを回すと、サリアの口から息を呑むような感嘆が漏れた。
仕組み至って簡単──手動の映画だ。
およそ2000枚の紙束に描かれたパラパラ漫画を、ハンドルを回して再生する装置。
映画に使われるフィルムの源流にある仕掛けで、一分間のアニメーションを楽しめる。
「動いてる……凄い……私が踊ってるわ……」
呼吸するのも忘れるように、サリア嬢は魅入られる。
作った甲斐がある。惨殺阻止の事前準備に勤しむ傍ら、テツオは手作業と〈アイテム作成〉を組み合わせ、ミュートスコープをコツコツ組み上げていた。
描いたのは、サリア嬢が優雅に踊る姿。
誕生パーティーで披露するダンス。その練習をしていた彼女の姿に、テツオは〝自由〟を見た。
身分も、しがらみも、宗教も、纏わりつくそのすべてを捨て去るような躍動は、どうしても形になるもので残しておきたなかった。
「気に入って頂けたました?」
聞くと、サリア嬢がスコープから目を剥がし、爛々とした瞳をこちらに向けるのだ。
「これはどうしたのッ? どういう……」
途端、無邪気に喜んでいる自分を恥じ行ったのか「ゴホン」と咳払い。自身の黒髪を取り繕うように撫で付けて、すまし顔を作って見せる。
「なんなの、これは?」
「おもちゃです。気分が重い夜の、ささやかな逃げ場に」
言うと、サリア嬢が首を傾げて先を促すも、テツオは答えず、ただ微笑みを浮かべた。
彼女はこれから、今まで信じてきた『メノイラ教』と『揺るがぬ自分』の間で揺れ動くことになる。
これからの生き方と、価値観を取り落として転びそうになったとき、自分を支える松葉杖が必要なはずだ。
「あなた自身の、戻れる場所が多い方が良いと思いまして」
多くは語らず、短く、そう告げる。
サリア嬢にはもう、わかっているはずだから。
「……そう……」
少しばかりの相槌を打って、サリアはまたミュートスコープを覗き込む。
社会の歪みや、他者の言葉に心を殺さそうになったとき──
テツオを救ってくれたのは映画だった。
映画を見て、笑える自分がここにいる。
怒れる自分が、泣ける自分が、感動できる自分がいる。
それだけ、自分がどんな状況でもそれだけは変わらず、揺るがなかった。
小さなことでも良い。ほんの少しだけでも良い。
魂が反応する場所があれば、彼女のこれからの人生の一助になるかもしれない。
テツオ自身が、そうであったように。
「サリア様、少し先の話になりますが──」
テツオは意を決して、静かに語りかける。
名残惜しいが、告げなければならない。
「私と、ミカと、サトゥルは、今回の王室の一件が片付きましたら、モンカーの故郷に戻ろうと思います」
「へ……?」
サリア嬢がミュートスコープから目を剥がし、ゆっくりこちらに首を動かす。
その顔は、ひどく動揺するように目を見開いていた。
「故郷にいる母が、病に伏せてしまったのです。なので、その世話をしようと思います」
心をかき乱しながら、テツオは『嘘』をつらつらと述べた。
どれほど名残惜しくても、テツオたちは天界から来た死者だ。この世界から立ち去らないとならない。
「短い勤めになってしまい、本当に申し訳ございません」
しばしのお別れです。そう告げると、一瞬、ほんの一瞬だけ、サリアの瞳が揺れた気がした。
その双眸が、迷子のような心細そうな質感で、ひどく罪悪感に駆り立ててくる。
「サリア様には色々とお手数をかけさせてしまったのに、本当にごめんなさい」
重ねて謝ると、サリアは「そうね」と静かに落とした。
「……本当に。ポンコツのあなたにどれだけ労を割いたか」
「重ね重ね、申し訳ありません」
「はぁ、また新人を雇い入れないといけないのね。手間がかかるわ。本当に。無能を使い物にするのに、こちらがどれだけ煩わしい思いをするのか考えたことある?」
いつもの悪態のような言葉並びではあったが、深く惜しむような響きにテツオには聞こえた。
「申し訳ありません」と何度も頭を下げると、サリア嬢がこちらに背を向け、窓辺に首を向けながら言う。
「故郷に戻るまで……それまでしっかり、勤めなさい。辞めるからと言って、甘やかすつもりはないから」
「はい、もちろんです」
テツオが恭しく一礼すると、サリアは煩わしそうに手を払う。
もう語ることはないと言う合図だ。
「では、失礼致します。何か御用があればまたお申し付けください」
いつもの使用人の定型分を置いて、テツオは部屋を後にする。
扉を押して、静かに廊下に出る。再度、一礼してそっと扉を閉めようとした。
──その直後だ。
「いつでも、戻ってきなさい」
扉の隙間、サリア嬢がこちらにしっかりと目線を合わせて、そう言った。
凛々しくも、晴れやかな笑顔だった。
その背筋をまっすぐ立てたシルエットが鮮烈で、テツオは目を奪われる。
やはりどこまでも美しく、優しい子だ。
戻れる場所を、こちらにも用意してくれるなんて。
「かしこまりました」
静かに一礼し、テツオは扉をそっと閉めた。




