50.心内
サリアの誕生会から一週間後のことだ。
晴れやかな日差しが照りつける真昼。外に出かけたくなるような爽やかな日和だった。
雲が優雅に流れる青い空を眺め、テツオとミカゲはうんざり白目を剥いていた。
「……やっぱこうなるよなぁ」
「ですね……」
二人はともに、グレゴドール城のとある一室で重なった紙の山に埋もれていた。
グレゴドール一家並びに、サリア嬢の誕生パーティーに出席していた貴族の名簿、食材や花の仕入れ先、楽団との打ち合わせのメモまで、膨大な資料を整理して王室に提出しなければならない。
理由は至って深刻──
王権の第一後継者〈カウラス・フォン・ソマリ〉が失踪したからだ。
カウラス王子はどこへ消えたのか、王室が総出で捜索している。
真っ先に疑われたのはグレゴドールの当主であるドミニクスだ。サリア嬢の誕生会へ出かけた王子が消えたのだから、当然その主催者が疑われる。
現在の王政を打ち壊そうと企んでいる反抗勢力、その一味に加担していないかと、ドミニクスは王族から強い疑念の眼差しに晒され、身辺を徹底的に洗われるようだ。
ゆえに明後日、身の潔白を証明する資料をかき集めて、ドミニクスを王城に送り出さないとならない。
もし、当主であるドミニクスへの疑念が晴れなかった場合、いずれ王室の聞き取り調査はテツオたち使用人にまで及ぶだろう。
そうなってくると、果てしないほどに面倒くさい。
ここで無実を勝ち取らせて、心地よく天界に帰還したいところだった。
「それにしても、まさかミカゲさんがねえ?」
「うっ……」
揶揄うように言及すると、相棒が胸を押さえてうめき声を上げる。
「何度も説明したようにですね……あれは天秤に宿っていた神様が……」
視線を移ろわせて、ミカゲが辿々しい弁明。
そう言われても、テツオはその神様とやらを見てはいない。
「『現地人に危害を加えちゃいけない』って言って、俺によく言ってたのに」
「本当に、違いますからね?」
「結構大胆なことするね」
「ちょ、聞いてます?」
テツオは努めて平坦な顔をしながらも、腹の底では笑いが込み上げてしまう。
ミカゲは揶揄うと面白い表情をしてくれる。このまま少し突いていたい。
「はは、しばらくこれで遊べるかも。気まずそうなミカゲさんは面白いからなぁ」
「テツオさん……性格悪いです……」
持った紙をヒラヒラ煽って吹き出すと、ミカゲがじとりとした視線で睨んでくる。
またやりすぎたか。大切な相棒をイジメ過ぎてはいけない。少しフォローに回ろう。
「でも実際、不謹慎ではありますが……とても助かりました。あのまま王子が王城に戻っていたら、かなり厄介なことになってましたし」
「感謝は天秤に伝えてください。まあでも……肉体を乗っ取られていたとはいえ、関与してしまったことにはなるので、一応は殺人幇助とか国家反逆罪ということにはなりますね」
観念したように、ミカゲは両手を上げて見せる。
「テツオさんも天界に戻ったら尋問が待ってますよ? スキルを直接見られてますからね」
「そうだった……どうしよう……」
「お互いに地獄行きにはならなそうですが、まあ……ね? 執行官は怖いですから……」
言われて、テツオのブルっと肉体を震わせる。
桐城イザネならまだしも、あの苛烈な恫喝を行なっていた鬼乃愛スオラという執行官に睨まれたらおしまいだ。どうか彼女だけは今回の尋問によこさないでほしい。
「まあ、なんにしても、一件落着ですね」
「ですね」
互いに安堵を交換し、口元を緩める。
サリア・グレゴドールの惨殺を防げた。それが何よりのことだ。
「しかも」とミカゲが指を掲げて言い添える。
「転生所〈研究部〉の占いスキルによりますと、なんとサリア嬢の死亡確率は限りなくゼロに近くなったそうです」
「それって、つまり──」
「転生者がサリア嬢の肉体に転生すること叶いません」
そういえばそうだった。毒殺か頭の強打などの事故死か、肉体に大きな損傷がない状態の死体にしか、転生者は転生できない。そういう話だった。
「はは、じゃあ、異世界転生所の職員としては、よろしくないことしたかもね」
テツオが肩を揺らすと、ミカゲも「そうですね」と書類をクリップにまとめながら微笑む。
「『転生者のため』という責務は全う出来ませんでした。しかし、それでいいんです」
深く納得するような響きに、テツオは首を傾げる。
「いいんだ? なんか怒られたりしないの?」
聞くと、ミカゲが平手に拳を打ちつけて「そうだ」と呟いた。
「以前『なぜ異世界転生所が、転生者の魂を異世界に送り出すか』と、テツオさんの問いにお答えしていませんでしたね」
覚えている。他者の死体を不動産のように扱う転生所の在り方に、疑問を持ったのだ。
確か『プレッシャーに感じてほしくない』というミカゲの思いから、答えの保留されていたのだった。
「教えてくれるの?」
「転生所の最大の目的は──『種の滅亡の阻止』にあります」
あっさり告げられた答えに、テツオはつい瞠目して口を半開きにする。
一発で咀嚼できない。予想を上回る、規模が大きい話だ。
「種の滅亡の阻止? 脳が追いつかない言葉の並びですね……」
「ですよね。私もいまだに実感はないのですが──」
言いさして、ミカゲが居住まいを正してテツオに向き直る。
「〈バタフライエフェクト〉という言葉はご存知ですか?」
「知ってる。蝶々の羽ばたきで起きたごく少量の風が、回り回って大きな台風になるって話だよね?」
「そうです。日本にも『風が吹けば桶屋が儲かる』など、小さなことが大きな出来事を呼び込むことわざがありますよね。仏教でも『縁起』と呼ばれるものです」
形や世界観は違えど、どれも似た概念の話だ。
「で、現象というか、その比喩表現と転生所になんの関係が?」
「この異世界におけるバタフライエフェクト、それは〝サリア・グレゴドールの死〟でした」
「なるほど……?」
「どういう作用の連鎖でそうなるかは、神様にしかわかりません。ですが、巡り巡って、サリア嬢の死が引き金となり、そこからこの異世界の人類史の滅亡が始まるそうです」
「ええ……それはあまりにも……」
途方もない、巨大な話だ。小難しいSF映画を見てるような気分になる。
SFは好き方だが、理解が追いついていない作品は山ほどある。
「なんか、込み入った宇宙の話されてるときと同じだ。実感を掴めないから……なんの話されてるかわからないや」
「ですよね。超新星爆発からブラックホールが発生するとかそういう話って、実際に観察できるものじゃありませんからね。実感は全くもてませんよね」
テツオが眉根を揉んで唸っていると、ミカゲが揶揄うように肩を突いてくる。
「もっとテツオさんの頭がパンクするような話もできます。時間を空間として認識できる五次元宇宙にいらっしゃる日本の神様の話とか」
「なんか簡単な話に要約して……」
手を合わせて懇願すると、ミカゲが「ゴホン」と咳を払った。
「では要約しますと、転生所を運営してる神様というのは、人間が地図を見るみたいに〈時間を眺めることができる存在〉です。その地図の異常な箇所──〈種の滅亡の引き金〉を見つけて、我々や転生者を異世界に送り出し、その滅亡の引き金を書き換えているんです」
現実感がない。わかりやすくしてもらったはずなのに、頭が拒絶してしまう。
「わからないな……責任重大すぎて頭が拒絶する……もっとわかりやすく、手元に寄せられる質感でお願いします……」
「例えば、高速道路です。たった一台が急ブレーキを踏むと、後ろで玉突き事故の連鎖が起きますよね? 私たちはその〝事故現場〟だけを見れる。ですが、神様は〝高速道路全体の地図〟を見ています。だから『この一台を止めれば、十キロ先の事故が消える』とわかるんです」
なるほど、と、テツオはようやく腑に落として膝を打つ。
「じゃあ、この異世界における急ブレーキが、サリア嬢の死だった。っていう神様の見解?」
「はい。もちろん人間である私たちでは実感はできません……私たちには未来《道路》の地図がないので」
「ってことは……俺たちが関わる仕事一つ一つが、人類とか生物の存続に関わる重大な急ブレーキを阻止することなんです?」
「まさに、その通りです」
理解しても実感を得られないが……責任重大過ぎることだけはわかる。徐々に胸の奥が、ずしんと重くなってきた。
プレッシャーを負わせたくない、と今まで話さなかったミカゲの内心を理解できてしまう。聞きたくなかっとさえ思ってしまう。
「その……ミカゲさん、今のタイミングでその転生所の重い事情を話してくれる気になったのは、どうして?」
伺うと、相棒はあっさり即答するのだ。
「どんな重大な使命があろうと、テツオさんの決断は一切変わらないと思ったからです」
「変わらない……かな?」
「変わりません。私は人を見る目があるんです」
信頼を込めた響きを打ち込まれ、しかし、テツオは「いやいや」と頭を掻く。
「俺はプレッシャーに弱いよ? 人類の存亡がかかってるなんて言われたら、身動き取れなくなっちゃうかも」
「そうですか?」
まるでこちらの弱音を指先でなぞるような視線を送り、ミカゲは眼鏡の位置をなおした。
「サリア嬢の命がかかってるのに、マリア嬢まで救おうと画策しましたよね? はっきり言って、正気では渡れない危ない橋でした。転生所のどんな調査官でもあそこまでしませんよ」
「いや、それはアイカさんが見てくれてるってのもあって──」
「ですよね。楽しんでほしかったんですよね?」
射抜かれるように言われて、ギクっとテツオの肩が跳ねる。
「そんな、人命がかかってる場面で、楽しんでほしいとか……」
「まるで映画を見せるかのように、アイカさんを楽しませたかった。テツオさんの最大の動機はそこですよね?」
「うーん、どうでしょう…………」
「もちろん、サリア嬢とマリア嬢の命も心も救いたいと思っていた。それも中心にあったのは事実ですが、今回の計画を練るテツオさんから、それだけではない強い執念のようなものを感じていました」
「俺、そんなにギラギラしてるように見えた?」
「見えました。路地裏にしゃがみ込んで、ゴキブリ一匹一匹を撮影してる時なんか、異常なこだわりを感じました」
「そこだけ切り取られると、ただの変態じゃん……」
しかし、事実だ。完全に見抜かれている。
作っている瞬間がいちばん楽しい。観客の顔を想像した途端、胸の奥に火が点く。
〝作りたい〟という、燃えるような衝動に、どうしても抗えないのだ。
「刑事さん……そうです、その通りです」
断崖絶壁で自白するサスペンス劇場のごとく、テツオは明後日の方向を見てため息を漏らす。
「正直、計画がこけて、サリア嬢が本当に死んじゃうことになったら、ミカゲさんとサトル君がどうにかしてくれるだろうと、心の奥底で思ってました」
「おっと……想像以上に無責任な自白が飛び出しましたね」
言われてテツオは自嘲気味に笑う。
良いように言えば『信頼』なのだが、確かに最終防衛戦を二人に委ねていたことに変わらない。
「なので、自分は場をかき乱して、アイカさんが楽しめるような展開を作れれば、もうそれで『満点、満足、満腹』って気分でしたね。ギャルが楽しめるシナリオを作れるか、一番の勝負でした」
言葉を終えて振り返ると、ミカゲが呆れたように眉根を揉んでいた。
「ちょっと、予想の斜め上でした……なんかテツオさんって実は、ずっとふざけてますよね? シリアスな顔してるときも別のこと考えてません? どう楽しくするかいつも考えてるんです?」
「流石に、ずっとではないですよ? でも、悪い癖です。自覚はあります」
言って、手錠をかけてくれと言わんばかりに、テツオは両手首を揃えてミカゲに差し出す。
「地獄に連行してください。頭おかしいです俺。人命がかかってるような場面で、ずっとシナリオ作りに勤しんでたんですから」
「ふふ、テツオさんはテツオさんで、〈揺るがぬ天秤〉を胸に抱え込んでたんですね」
しょうがないとばかりに、ミカゲが肩をすくめて、テツオの両手に手を添える。
「だから、話したんです。どんなに〈種の存亡〉という重責がかかっていても、テツオさんならどこまでも楽しく、軽やかに、誰かが笑顔になるような解決策を描いてくれると」
そう愛らしく微笑まれて、テツオの心臓が跳ねた。
ミカゲの慈しむような視線が、脳を蕩かしてくる。
(え……まさか、付き合えちゃう?)
行くか? 行けてしまう流れな気がする。
好きでもない男の手を何度も握ってこないだろう?
明らかな好意を示されてるんじゃないのか? どうする?
迷っていると──
ミカゲの指先が、逃げ道を塞ぐように、そっと手の甲を撫でた。
「ミカゲさん……」
もうこの勢いに乗る。乗るしかない。
勘違いだった場合、勘違いさせた向こうが悪いのだ。
今、告白してしまう。勢いと行動力だけが自分の武器だ。
「俺、実は──」
喉から溢れる衝動を吐き出そうとした。
しかし、その直前だ。
「テッツォ、いる?」
その怜悧な声に、時間が止まる。廊下からサリア嬢に呼びかけられている。
いないフリをするか、一瞬逡巡するも、部屋の扉が半開きになっており、サリア嬢がその隙間から顔を出す。
「ちょっと来なさい」
背中にそう、ぶっきらぼうに投げかけられる。
「行ってあげてください」
ミカゲもしょうがないと柔らかく笑んで、そう促してくる。
(ああ、やっぱり俺は……空回る……)
◆




