49.制裁
広葉樹が規則正しく配列する並木道で、一台の大きな馬車が駆けていた。
その室内、ゆったりとした座席の上、王子カウラスが血走った眼で怒声を放つ。
「早くしろ!」
「も、申し訳ございません!」
相席している侍女を急かし〝とあるもの〟を用意させる。
すり鉢に白い結晶が入った容器、嗅ぎ管と呼ばれる銀製の小さな筒。
王子は貧乏ゆすりをしながら、鉢の中で砕かれてゆく白い粉を見つめて怨嗟を吐く。
「馬鹿にしやがって……」
サリア・グレゴドールに、マリア・ブロンドール。そして使用人テッツォ・サクノルノ。奴らにどんな制裁を加えてやろうか。
この国では王族の命令権は絶対だ。父である現王に泣きつけば、奴らを苛烈な拷問にかけることだってできる。
公爵令嬢であっても関係ない。王子である自分に、明らかな反逆をしたのだ。いっそ家族丸ごと大罪を背負ってもらおうか。
「カウラス様……こちらを……」
用意が終わったのか、侍女が嗅ぎ管を恐る恐る差し出す。
カウラスはむしり取るようにして、即座に自分の鼻に嗅ぎ管を押し付けて吸引した。
「オオッ、オァア……」
ニワトリが絞め殺されるような呻きを上げ、王子は白煙を吐いて座席に背を預ける。
やはり最高だ。脳が一気に覚醒し、全身の肌の表面がふわりと泡立つような心地よさに包まれる。この感覚に比べれば、先ほどの出来事はただの悪い夢だ。
「これだ。これが現実だ……」
世界が美しさに満たされてゆく──花も、人も、風景も、血も、すべてが鮮やかに色づくこの感覚。これが自分の正常だ。
凄まじい全能感に、自然とカウラスの口元に笑みがこぼれる。
今年の〈秘薬〉は質が良い。王族だけが許されたこの薬は、現実をクリアにしてくれる。
「脱げ」
顎をしゃくって、侍女に命じる。この秘薬の効能のメインディッシュだ。下半身に血流が集中して、いてもたってもいられなくなる。
元々、王室で密かに使われていた媚薬であったと聞く。先々代の王が専属の医者から勧められたそう。優秀な後継者を望むなら、多くの女性に産ませ、世継ぎを選別するべきであると。
「はやくしろ」
恐怖で震えているのか、侍女の動作がもたつく。シャツのボタンを中々外せないようだ。
「さっさとしろ! お前まで僕をイラつかせるのか!」
怒号を発し、侍女の顔面に荒々しく平手を浴びせる。
そしてそのまま、王子は馬乗りになり、座席に倒れ込んだ女の細首を締め上げた。
「ハハッ……泣けよ、ほら……」
「カウラス様……」
侍女の顔が絶望に濡れてゆく。抵抗はない。念入りに調教した甲斐がある。
女の泣き顔がどうしようもなく好きだ。抗いようがない、生まれながらの権力の差を、ただ受け止めてゆく女の顔が愛しくてたまらないのだ。
「ああ……もっと、苦しめ。女に産まれたんだろ? 受け止めろよ。受け止めるのが女の役割だ」
悦に入って、青ざめてゆく侍女の顔を見つめながら、スラックスのベルトを緩めてゆく。
馬鹿な令嬢たちと愚かな使用人《下民》に与えられた侮辱の憂さ晴らしだ。
いざ、罵倒と快楽の海へ──。
王子が嬉々として自身の上着を脱ぎ捨てた、その直後だ。
「どうもー」
コンコン、と、馬車の窓をノックされた。
「こんばんは、王子様」
王子はギロリと、血走った眼で窓を見る。
走っている馬車をノックされた。そんな違和感より、今は享受している悦楽に水を差されたことに腹が立つ。
「誰だ……なぜ邪魔をした」
「ミカと申します」
見覚えのある顔だ。グレゴドールのパーティー会場をウロチョロしていた侍女だ。
馬車を追ってきたのか? どうでもいい。今は〝お楽しみ〟の最中だ。秘薬が効いている間に、この怒りを鎮めたい。
「僕に話しかけるな……」
言いながら、倒れた侍女のシャツを強引に破き、はだけさせる。
その行いに、馬車に張り付くミカが怪訝に眉をひそめた。
「あらぁ……いつもそんなことを?」
「話しかけるなと、僕は言ったぞ」
「もうかなり手遅れですね。自分の馬車に部外者が一人張り付いてるのに、警戒もできないなんて。脳が壊れてますね」
「うるさいんだよ! 喋るな!」
王子が弾かれるように憤慨すると、ミカの口元が安堵するように緩んだ。
「あなたが悪人でよかった」
その言葉を合図に、ミカが突如として、馬車の窓ガラスを拳で叩き割った。
室内に破片が吹き付けるように散り、王子の顔に浴びせられる。
「何をするんだ! おい!護衛は──」
どうしたんだ、と声を張り上げる途中、ミカの手から〝黄金〟が放たれた。
メノイラ教の信仰の象徴〈黄金の天秤〉を、馬車の中に投げ込み、王子の肉体にぶつけたのだ。
「あなたを測ってもらいましょう。グレゴドールを〝見守っていた影〟に」
そんな言葉を残し、ミカが忽然と視界消え、馬車の中が静寂に包まれる。
残されたのは散らかったガラス片と──投げ込まれた黄金の天秤のみ。
「なんなんだよ! 護衛は何をしている!」
声を張り上げて聞くも、誰からも返事はない。
馬車に追従していた護衛騎士たちは何処へ行ったのか。
「はぁ?」
割れた窓から外の景色に視線を配る──風景が止まっている。馬車が進んでいない。
そんなはずはない。侍女が投薬量を間違えたのか、幻覚の副作用が出ているのか。
「オイッ、キサマ! 秘薬の分量をこっそり多くしたな!」
眼前で怯えている侍女に蹴りを入れてやると、絶句するような視線が注がれる。
しかし、その瞳が向けられる方向は、蹴りを放ったカウラス本人にではない。
隣だ。王子の座る、隣の席を見ている。
「イラヌ キサマ ハ イラヌ」
まただ。また誰かが話しかけてきた。どこまで楽しみを邪魔されるのか。
カウラスが苛立って隣を見ると、そこに座っていたのは〝黒い人型の影〟だった。
「ケガレタ シハイシャ カウラス フォン ソマリ キサマハ──」
イラヌ、と紙に水を染み込ませるように言うのだ。
「ははッ」
確定だ。やはり心地の悪い幻覚を見ている。
散々と秘薬の分量の指示を教え込んでやったのに、この女はまともに数も数えられないのか。
「使えないんだよ! お前!」
言いながら、再び侍女に蹴りを入れると──
「がッ」
隣に座っている黒い影の手が鋭く伸びて、カウラスの首に勢いよく絡みつく。
「キエロ ケガレタ ケツゾク」
おかしい。これは異常だ、と王子は遅れて混乱に支配される。
秘薬の副作用で見る幻覚が、痛みを与えてきたことなど一度もない。
「やめ……」
首を締め上げる黒い手を振り払おうとするも、触れたこちらの手も黒く染まってゆく。
じとりと、ムカデが這うような心地悪さが全身を覆って、胃から押し出すような咳が漏れる。
「おごッ……」
悲鳴を打ち上げようとした喉から、血潮が溢れる。
自分の意思とは関係なしに、目からも赤い雫がとめどなく流れ落ちてしまう。
「キエロ キエロ イラヌ イラヌゾ」
消えろ、いらぬ、と静かに言い聞かせるような響きが、カウラスの脳内に反響する。
苦しい、助けろ。と、声にならない声で侍女に手を伸ばすも。
「ひひっ、はははは!」
侍女は、ただ笑っていた。苦しむ王子を指差し、ざまあみろと言わんばかりに。
(笑うな……僕を……笑うなよ……)
思い出してしまう。使用人テッツォに嘲笑されたときの、あの笑顔。
恐怖の色がなかった。誰もが縋るような畏怖を抱きながら、カウラスを見ていたのに。
あの男は違った。産まれて初めて見た。まるでこちらの心根を見透かすような、深い瞳の色だった。
「僕を……見るな……」
首を締め付けられ、血反吐をとめどなく流しながら、カウラスはうわ言のように呟く。
見るな、見ないでくれ、と縋るような声音を最後に──
黒い影が覆い被さり、王子の意識は漆黒へと堕落した。
◆
「うーん……これは参りました……」
馬車の二〇メートル後方で、ミカゲは顔を拭ってうんざりとため息を吐く。
一本取られた。メノイラを名乗る黒い影、あの不可思議な存在に肉体を静かに乗っ取られていたのだ。
キッカケは紛れもなく数日前、深夜に〈黄金の天秤〉を排除しようと礼拝堂に忍び込んだあの夜だ。
今まさに馬車の中で王子カウラスを手にかけている〈黒い影〉とミカゲは交戦している。
それがまずかった。
触れられた瞬間に魂が焼かれる感触があったが、まさか魂に取り憑いて行動させる能力を持ち合わせていたとは思いもよらなかった。
「だから……神様って不気味で怖い……」
思えば、あの〈黒い影〉の狙いはこれだったのだろう。サリア嬢に迫る危険を察知し、異分子であるミカゲを使って天秤を運ばせ、対象を排除する。
実に巧妙だ。この世界の住人でもないミカゲであれば、最悪殺されても良い。自分が守る対象でも信者でもはないから。
グレゴドール家を守る防衛装置に、見事に利用されていたとは。
「戻ってから大変そうですね」
項垂れるも、どこか気持ちはスッキリしている。
操られていたとはいえ、現地人に危害を加えてしまったので、執行官からの尋問は不可避。テツオも現地人に〈アイテム作成〉スキルを見られているので、同じく尋問が待っている。
しかし、サリア嬢もマリア嬢も守り通すことが出来た。
狂った王子、カウラスが亡き今、彼女たちに迫る危険はない。
狂気に魅入られていたマリアも、テツオの尽力によって思い直してくれただろう。
[別働隊の皆さん、座標を送るのでそちらに集合してください。王子カウラスが〝神隠し〟に会いました。なので、残された王室勤めの侍女を一人保護して欲しいんです]
脳内通信を送ると、同僚たちから[了解]と、短く応答が送られる。
これでこの場は丸く整えられる。後は何食わぬ顔でグレゴドール城に戻れば良い。
「ミッション完了ですね」
言いながら、ミカゲは静かになった馬車に向かって歩き出す。
あの天秤をグレゴドール城に戻さなくてはならない。
一族の祈りを受け止め続け、揺るがぬ愛を抱き続ける神の天秤を。




