48. 天秤
「僕がやるッ」
ゼエゼエと肩で息をして、王子カウラスは剣を構えてサリアへにじり寄る。
その狂った殺気を受けてもなお、サリア嬢は瞳に燃え盛るような炎を宿して仁王立ち。
「サリア様ッ、お逃げ下さい!」
テツオが叫ぶと、彼女は眉一つ動かさず、
「私の部屋よ。出てゆくのはこのお猿さんの方」
──そう、気丈に胸を張る。
されど、足がガタガタと震えている。逃げないのではなく、逃げられないのか。
刃物を向けられるのは産まれて初めてだろう。本当は全身が硬直するほどに恐怖していたのだ。
「まだ馬鹿にするのか!」
送られた悪態に、王子は眼をさらに激しく血走らせる。
(逃げられない、なら)
テツオは即座に右手で床にべったり触れた。
騎士に拘束されている身ではあるが、まだ〈アイテム作成〉は使える。
「もう消えろヨ! 僕の世界から消えロ!」
引き攣った声音で叫び散らし、カウラスが震える手で銀剣をサリアの目前に掲げる。
(――間に合え)
テツオは床に伏せたまま、右手の甲に意識を集中する。
脳裏に設計図が走る。
必要なのは刃ではない。
血を流すための武器でもない。
──意味を刻むための道具だ。
マリアに刺し貫かれた手の甲の傷、そこを埋めるように丸く変形させた銀のナイフが淡く光る。銀は引き伸ばされ、細く、さらに細く圧縮され、一本の縫針となった。
同時に、床の絨毯へと意識を伸ばす。
床に敷かれた、高価な織物。その丁寧に編み込まれた糸束が、即座に解けて、縫針に絡んでゆく。
(いけ!)
糸を絡めた縫針を、テツオはサリアのドレスに向かって放り投げる。
針は音もなくドレスの裾を貫き、美しい赤い布地のなかを蛇のように泳いだ。
(触れてさえいれば、スキルが使えるはず)
糸を引き連れ、縫針はサリアの胸元まで駆け上る。
そして、その場所にあっという間に〝刺繍を〟施す。
──動かぬ天秤。その形を模った、綺麗な模様を。
「は……?」
錯乱していた王子の時が止まる。
剣を振り上げた姿勢で、その場で硬直して口を半開き。
「今……何が起きて……」
突如、サリアの胸元に現れたメノイラ教の象徴に、ただ瞠目している。
どれほど狂っていても無視できないだろう。王族は『神に選ばれた優れた血筋』というカバーストーリーでソマリ王国を築き上げてきたのだから。
「これは……」
王子より一泊遅れて気がついたサリアも、自身の胸元を見下ろし絶句する。
良い。上手く行った。この場にいる誰もが、刺繍で刻んだ天秤に目を吸い寄せられている。
次にテツオは縫針を地面に走らせた。
刻むのは象徴でない──メッセージだ。
アイテム作成スキルを追加で発動し、テツオの手のひらが煌々と輝かく。
そして、おびただしく、床にびっしりとその文字を縫う。
『愛し子、サリア・グレゴドールを傷つけるな』
サリアの足元から始まり、王子の足元にまで文字を埋め尽くす。
何重にも、何百にも及ぶ、呪言のような歪なフォントを。
「ヒィッ」
王子から小さく悲鳴が漏れる。一人でに縫針が走り、文字を刻み続けるその異様な現象に、三歩後ろへたじろいだ。
(次は──)
テツオはさらにスキルを発動し続けて、王子を追いかけるように縫針に文字を編み込ませる。
『出てゆけ、ソマリの末裔』
『出てゆけ、偽りの血脈よ』
『出てゆけ、真の天秤を抱かぬ者よ』
出てゆけ、と、ただひたすらに──。
「か、カウラス様」
二人の護衛騎士がたまらず動き、カウラスの腕を引いて部屋の外へ連れ出す。
「退避しましょうッ、これはあまりにも……」
蠢く針と糸を見つめて、一同青ざめてゆく。
この場に留まれば、王子の身に危険が及ぶという判断だろう。
「しかしッ、あの女は僕を!」
庇われながら、王子は狼狽し、追い縋るような視線でサリアを睨む。
されど、サリアは冷たくも強い瞳で王子を突き放す。
口は開かない。ただ無言の圧力で、冷たく指し示すのだ。
『出ていけ』
と、床に刻まれた刺繍とともに、拒絶を送りつけた。
「お、覚えていろよ! このままタダで済ませると思うなよ!」
身を震わせ、そんな捨て台詞を置いて退散する王族一向。
その背中を見届けて、テツオは胸を撫で下ろす。
[なんとかなった……]
[ほんま、お疲れさん]
脳内にサトルの労いが響く。彼は〈認識阻害〉を使っているため、今部屋のどこでにいるかわからないが、テツオは小さく親指を立てて見せる。
[ありがとう、ほんとに。見守ってくれて]
感謝を落として、サリアとマリアの様子を確認する。
「サリアッ、サリア!」
「ほんと、ごめんね……マリア……」
二人は互いに、熱い抱擁を交わし、無事を確かめ合っている。
よかった。と、安堵したいところなのだが。
(一時凌ぎに過ぎないかもな……)
明らかなしこりを残してしまった。
サリアとマリアに、『王族への叛逆』という罪を背負わせた。
ここからまたどういう介入すればいいのか。
[ミカゲさん、ごめんね。また作戦立て直さないと]
脳内通信を送るも、なぜか返事がない。
[ミカゲさん?]
周囲を見回す。サトルとともに〈認識阻害〉で部屋の中に待機していると思っていたはずだが、いないのか。パーティー会場にいち早く戻ってしまったのか。
(なんだ……?)
ふと、ある違和感がテツオの視界の端に飛び込む。
先ほど、王子を追い払うために施した床の刺繍──
そこに、テツオが刻んだ覚えのない文言が一つ、禍々しく刻まれていた。
『イラヌ ミトメヌ ハイジョスル』
と、そんな殺気立つメッセージが一つだけ。
いびつに踊っているのだ。
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