47.中毒
ガッと鈍い音が響き、室内が張り詰めた沈黙に包まれる。
断首されるのは初めてだが、脳が肉体から切り離されているためか、痛みはない。
呼吸もできる。指も動かせる。右頬に当たる絨毯の感触も、変わらずそこにある。
「──!?」
目を開ける。振り下ろされた剣の切先が、床に深々と突き刺さっていた。
しかし、その刀身は汚れていない。光を弾く銀色に、テツオの血糊が垂れてはいない。
「やめなさい」
サリアの冷たい声が響く。
「勝手に、私の執事の首を落とすな」
先ほどとは違う、いつもの彼女の、覇気のある声色だった。
(生きてる……)
テツオは恐る恐る、当たりを見回す。
振り下ろされた剣、その横にサリア嬢の身につけていたペンダントが落ちている。
[サリア嬢が咄嗟に動きました]
ミカゲから脳内通信に、テツオは呆気に取られる。
[動いた……?]
[自分の首飾りを引き千切り、護衛騎士の顔にぶつけて剣の軌道をズラしたのです]
その報告に、さらに困惑に浸される。
守ってくれたのか? しかし、王族に歯向かうなんて。
「……何をしてるんだい? サリア」
皆が動揺するなか、カウラスがサリアの肩に手を伸ばす。
「意味がわかない。なんで僕の騎士に、ブローチをぶつけた?」
「聞き取れませんでしたか? 私の執事の首を落とすことを、私が許さなかっただけです」
言いながら、サリアは鬱陶しそうに王子の腕を払った。
「せっかく雇い入れた執事を殺され、自室を血で汚されることに、納得する者がいますか?」
「君は何を言っている? この男は罪を犯し──」
「罪? ここは私の部屋です。あなたの部屋でも、神の部屋でもない。テッツォが罪を犯したか、主人である私が決めます」
腕を組み、冷ややかな眼差しで王子を睨み据える。
その様子は普段テツオに向けられる、悪態を吐く態度などとは比べ物にならないほど、凍てつくような怒りがあった。
「サリア? ダメだよ。そんなことは」
その迫力に耐えかねたのか、カウラスは言い聞かせるようにサリアの肩に両手を乗せる。
「君は〝僕のもの〟なんだから、僕が命じたことを邪魔しては──」
「このサリア・グレゴドールッ、誰のものでもない!」
凛とした怒声を打ち上げて、サリアは王子の手を激しく打ち払う。
「自分の手綱は自分で握る! 勝手に触れるな!」
その一言に、空気がピシリと音を立てた。
誤魔化しようのない明らかな反抗を、王子に、聖なる血族に、言い放ってしまった。
「君は……正気なのか? 僕に向かって──」
「正気? 正気ではないのはあなたの方!」
「僕のものなのに、僕に逆らうなんて──」
「誰ものものでもない、そう言いましたッ、話も聞けない愚鈍な男と、このサリア・グレゴドールは添い遂げない!」
叫んで、王子の胸ぐらを掴んで突き飛ばす。
はっきりと、強い意思の力がそこにはあった。
「婚約は破棄します! 騎士を連れて帰りなさい!」
見下すように顎を上げて、部屋の出口を指し示す。
その刃物のような鋭い憤怒に、テツオは感動を覚えてしまう。
権力に、血筋に、神に──迎合する令嬢はここにはいない。
「僕に逆らうということがどういうことか、わかってるんだろうな!」
歯を食いしばりながら、カウラスはサリアに詰め寄る。
しかし、サリアは身じろぎ一つせず、言い放つのだ。
「私の首を刎ねますか? そうやって気に食わない者を消してきたのでしょうね、王族というのものは」
鼻で笑って、次には花が咲き誇るように盛大に両手を広げた。
「ここで終わるなら、それも結構! サリア・グレゴドールの命は、ここまでだった──」
それだけのことよ。と、毅然とした声を響かせる。
心臓の拍動が八つ分、その刺すような沈黙の後、王子が噴火するように叫び散らした。
「ああッ、もういらない! せっかく可愛がってやろうと思ったのに!」
もうこんな人形いらない。と、頭皮を掻き乱し、縋り付くように護衛騎士の肩を掴む。
「この女の首を切れ! はやく!」
「サリア様の!? ですが……」
「良いからッ、はやく! お前も僕に逆らうのか!?」
キーキーと猿のような癇癪を起こし、王子は地団駄を踏み、騎士の顔に平手を打った。
顔を張られた騎士は躊躇い、もう一方の騎士と互いに顔を見合わせる。
[典型的な、覚醒剤の離脱症状ですね]
ミカゲの悲壮を込めた声色に、テツオは心で頷く。
[俺のせいかもね]
テツオの嘲笑をキッカケになり、次にサリアの明確な敵意が火をつけた。
王族の第一後継者として育つなか、産まれて初めて向けられるその言葉の針の数々に、脳の暴発が起きてしまった。
ドキュメンタリー番組で見たことがある。薬物によって底上げされた脳は、理性を司る前頭前野が働かなくなり、恐怖と怒りの扁桃体が一気に踏み抜かれてしまうそう。
「こんなに言ってるのに! なんで動かないんだよ!」
口の端に泡を立てて、騎士《味方》にまで敵意を剥き出しにするその様子は、もう自分で自分がどんな状態かわかっていない。薬物の効果が切れている自分さえ認識できていないのだろう。
「うわああああ! もういい!」
甲高い声で叫ぶと同時、カウラスは騎士の携えた銀剣をむしり取った。
「僕がやるッ」
ゼエゼエと肩で息をして、王子カウラスは剣を構えてサリアににじり寄る。




