45.メノイラ
「最後ですッ、私の最後の戯言をお聞きください!」
テツオが打ち上げたあまりの大音に、サリアの足が止まった。
こちらを振り向いてはくれない。だが『聞いてやる』と言うように、その背中は次の言葉を待ってくれている。
「明けない夜もなく、上がらぬ雨もない。されど、夜も雨もいづれまた訪れます」
不安と恐怖で眠れない、永遠に続くような夜。
悲惨な出来事が雨のように降り注ぐ、絶望に濡れる人生の一幕。
──それはいずれ終わる。
人の悲しみも喜びも、天気のようにひとときのものだ。
だがしかし、暗い夜も冷たい雨も、またいずれ訪れる。
どれほど慰めを口にしても、悲劇は必ず、別の形で姿を現す。
だから、神であるメノイラは、残してくれたのだ。
こんな言葉を──。
「汝、夜を歌い明かし、雨を踊り渡れ」
流浪の旅に人生を注いだモンカーの祖先たち。
彼らは多くの旅の苦難を、この言葉と共に乗り越えてきた。
「メノイラが人々に授けた、まことの御言葉です。不安も恐怖も、悲劇も、やり過ごすのではなく、すべて乗りこなしてしまえと、メノイラは語られます」
不安と恐怖、悲劇と絶望さえも。
やり過ごすのではなく、乗りこなせ。
それがメノイラ教の真髄だ。
選民思想でも優生思想でもない。
地に足をつけて歩き続けた民族の、明日に向かう勇気の教えだ。
「夜を歌い……雨を踊れ……」
静かに、サリアが反芻した。
受け取ってくれている。ならばと、テツオは次の言葉を続ける。
「あなたは今、『やり過ごそう』としています。自分の運命を、課題を、試練を、神に、父に、そしてそこのカウラス様に投げ売って、やり過ごそうとしている」
言うと、弾かれたようにサリアの首がこちらに向く。
どう受け取られたか、その瞳が複雑に揺れている。
「誰かに人生の手綱を握らせたまま、あなたは終わってゆくのですか?」
そのテツオの問いに、サリアが何か言い返そうと口を開きかけた。
しかし、ドンッ、とカウラスが扉に勢いよく拳をぶつけて場を制した。
「いけないね。見過ごせない」
片手を掲げて、カウラスは背後に控える騎士に合図を送る。
「今、君は『メノイラの真実の御言葉』と口にした。神の言葉を偽ったね? 王族に伝わる神の教えに、そんな一節は一行もないよ」
言いながら、テツオを緩やかに指差すのだ。
「首を刎ねろ。そこの使用人が偽りの神を語った」
その言葉と同時、二人の騎士が抜剣し、前へ進み出る。
「ほんと、下界は面倒でしょうがない」
「ぐッ──!」
王子の呆れが漏らす中、テツオは騎士が振るった前蹴りを喰らい、その場に打ち倒された。
痛みにもがいていると、二つの足が振り下ろされ、背中を激しく踏まれて床に拘束される。
[テツオさん!]
[テツ兄!]
〈認識阻害〉で息を潜めていたサトルとミカゲの声が脳内に響く。
最後まで静観してほしいと言い含めておいたが、流石に見かねて声を上げてくれたようだ。
しかし、テツオはわずかに手を上げて二人に静止を呼びかける。
[良い、大丈夫……予定通りだ。二人は退却の準備を……ごめんね]
精一杯の強がりと、力無い謝罪を落としてテツオは俯く。
予定通りのはずもなく、いくつもミスを重ねている。このままでは兄弟という設定で潜入している二人にもなんらかの罰が与えられる可能性がある。
[先に天界に戻ってて、後でそっちで話し合おう]
[ですがッ、このままじゃテツオさんが──]
[とりあえず、サリア嬢の惨殺は防げた。二人は退却をお願い]
ピシャリとそんな通信を送り、テツオは顔を上げて王子カウラスを睨み据える。
彼は、ただ鼻で笑うようにして腕を組んでいた。
「雨も夜も〝下民の苦難〟だ。雨の日は出かけなければ良いし、夜は寝ていれば良い」
王子が得意げに言う有様に、テツオはつい鼻で笑ってしまう。
王城の中でヌクヌクと甘やかされて育ってきたのだろう。何を聞いていたのか、言葉の意味を汲み取る教養がない。
そんな出来と比べて、サリアとマリアは勤勉すぎた。だから選民思想が蔓延るこの貴族社会で心を軋ませていたのだ。
「サリア様、あなたは──」
「黙れ!」
騎士に顔を蹴られ、剣を首に押し当てられる。
されど、なお、テツオはサリアに語りかける。
「あなたは何を、《《動かぬ天秤に乗せたい》》ですか?」
その言葉をしとりと落とすと、サリアの瞳が見開かれた。
発した問いに、思考を回してくれているようだ。
「動かぬ天秤?」
反して、カウラスは首を傾げて呆れを口にする。
「何を言っているのかさっぱりだな。やはり頭がおかしいなコイツは」
カウラスが肩を揺らすと、同調するように護衛騎士たちも含んで笑う。
その様子に、傍で絶句していたマリアが怒声を打ち上げた。
「頭がおかしい? 自分のことでしょ? 薬漬けの性犯罪者が!」
「マリア様!!」
テツオの制止の声も間に合わず、マリアが罵倒を口にしてしまった。
「おっと、そっちもかぁ」
にやりと、歪にカウラスの口元が歪んだ。
「落とす首が一つ増えたね」




