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42.究極進化

 テツオがソファーを指し示すと、二人は素直にそこに並んで腰をかける。

 そして、扉の外からカサカサと聞こえる音に身を震わせ、互いに手を握り合った。


「テッツォ……会場はどうなってるの? あの虫たちは反抗勢力の仕業なんでしょう? みんなはどうなっているの?」


 サリアはマリアの肉体に手を添えながら、努めて毅然とした声音で聞く。

 テツオは内心で驚く。あの夥しいゴキブリの大群を見た後に他者の心配が出来るのかと。


「ご安心を。王室の騎士の皆様が対応されているようで、避難も無事に済んでいると、ミカから報告を受けています」


「そう……ならよかった……」


「彼らはスペシャリストですから、ここで待っていれば、事態は無事に収束するかと」


 大嘘だ。反抗勢力の仕業でもなければ、廊下にしかゴキブリは投影していない。


「あなたは、なぜここへ?」


 今度はマリアから問いが投げられる。

 その疑念に、テツオは申し訳なさげな顔を作る。


「お二人が会場の外へ駆けてゆくのをお見かけしましたので、安否の確認と、差し出がましいと承知で紅茶もお淹れしようと」


「ゴキブリに追われながら……? すごい忠誠心ね……」


「ビックリしました。最初は数十匹くらいだったので、なんとかなると思っていたら、急激に数が増えていったので」


 澱みなく語り、淹れた紅茶を二人に滑らかに差し出す。

 紅茶を飲んで安堵するサリア嬢と比べて、マリアは眉をハの字にしてこちらに疑念と反感を示している。先刻、会場で彼女の傷跡に触れたのが不味かったか、すっかり嫌われてしまったみたいだ。


(気を逸らして、むしり取っておくか)


 これ以上、問いを重ねられたくはない。どうやってこの部屋の鍵を開けれたかなどと問われたら面倒極まりない。正直に、合鍵を作っておいた(アイテム作成スキルで)などと言うわけにもいかない。

 

 テツオはすかさず、心内で「投影」と唱える。

 すると、ゴキブリが一匹、サリア嬢の足元でカサカサと這う。


「キャア──ッ」


 その蠢く姿に驚き、サリア嬢は肉体を跳ねさせ、マリア嬢に縋るように抱きついた。


「ちょっとッ 入ってきてるじゃない!」


「ああ、大丈夫。一匹だけのようです」


 テツオはすかさず、余ったシーツの切れ端を投影したゴキブリに被せて捕まえたフリをする。そして部屋の窓を開け放ち、丸めたシーツを外へ勢いよく投げ捨てた。


「はい、これで安心です」


 振り返ると、サリアに抱きつかれているマリアが、照れ半分と慈愛半分の穏やかな色を相貌に浮かべていた。ひどく嬉しそうだ。どうやらうまく意識を逸らせたようだ。


「いやぁ、それにしてもお嬢様。ゴキブリって凄いですよね。何処にでもいますからね」


「何が凄いのよ……気色悪いだけじゃない……」


「知ってます? ゴキブリって環境に適応する力が凄いんですって」


 嫌悪を露わにする令嬢二人に構わず、テツオは呑気に続ける。


「熱帯や砂漠、寒冷地や高山。あらゆる環境に適応し、進化を遂げてきたそうですよ」


 ミカゲの話によると、地球のみならず、どんな異世界にもゴキブリは存在するらしい。

 やめてくれよ、とテツオも聞いた当初は嫌悪を滲ませたものだが、改めて考えると興味深い生物だ。


「皮も紙、石鹸も糞とか死骸もほとんど何でも食べらるように進化した上で、一ヶ月以上食べなくても生きれるし。しかも繁殖力も異常です。雌一匹で数百匹の子を産むそうです」


「やめてちょうだい。怖気が走る……」


「社会性と学習能力も高いんだとか。同種のフェロモンの群れで行動して、餌や安全地帯を共有してるそうです」


 加えて、頑丈な外骨格と神経システムも備えている。

 六本脚の神経が半自動制御されており、反射で即座に逃走が可能。体を平らにしてどんな狭い隙間も通れてしまう。頭部と胃袋がそれぞれ独立した生態であるため、頭を失ってもしばらく生きれるそう。

 その在り方はまさに──


「生物進化の究極完成系とも言って良いでしょう。マーシャロの花もそうですけど、環境に合わせてその生態を改良してきた、たくましい生物だと思いません?」


「ゴキブリとマーシャロを並べ立てないで……」


 うんざりするサリアの横で、マリアはふと興味深そうな顔をする。

 この話がどう言う着地を見せるのか、純粋な好奇心が芽生えたのだろう。


「幼少の頃から思ってたんですけど──」


 言いながら、二人の表情を見定め、テツオはしとりと憂鬱なため息を吐いて見せる。

 

「神はなぜ、ゴキブリをお作りになられたのでしょうか?」


「「は?」」


 テツオのその疑問に、部屋の空気がシンっと止まる。

 高貴な公爵令嬢として生まれ育った身の上であるためか、考えもしなかったのだろう。


「神が? ゴキブリを? あなたは何を言って──」


「だってそうでしょ? 創造神メノイラは、すべての生命を作り上げた神であらせられますよね?」


「そ……そうよ……」


「じゃあ、なんでゴキブリ作っちゃったんでしょう? おかしいと思いません? ゴキブリ作る必要ないですよね? 蚊とかもそう。人間を困らせる生物をなんでこの世に解き放ってしまわれたのか」


 言うと、サリアは憤怒と混乱が入り混じった複雑な表情を浮かべた後、わずかな逡巡を滲ませる。下に見ていた使用人の疑問に即答できないのが悔しいのだろう。


「人間に……人間に課された試練よ……きっと……メノイラは苦難を乗り越えることで、人類に成長を促しているの」


 眉根を揉みながら必死に絞り出した答えは、ひどく力が無いものだった。

 その隙だらけのサリアに、テツオは目を光らせる容赦なく畳みかける。


「じゃあ、成長するために、あのおぞましくもたくましいゴキブリが必要だったと?」


「……そうよ……」


「じゃあ、その試練の方が神に愛されてません?」


「はぁ?」


「だって、ゴキブリって、さっき言ったように人間より優れてません? どんな環境にも適応できるし、どんな物も食べれるし、生存能力も繁殖能力もマーシャロの花どころか、人間を遥かに凌駕する生物です。どうして人間にその機能をお与えなさらなかったのでしょう?」


「ぐ……それは……」


 怒涛の質問責めに、サリアは再び歯噛みして硬直する。

 対して、マリアは正反対の反応だ。微笑みながら興味深そうに首肯していた。


「やはり、モンカーは面白いことを考えるわ」


「ちょっと、マリア」


「サリアは答えられる? なぜ神は、人間より優れた生存力をゴキブリにお与えになったのか」


 マリアにまで問われて、サリアの瞳に迷い子のような心細さが灯る。

 それもそうだ。聖典にはそんなことは一行も書いていない。しかし『優れた者』として答えを用意しなければならない。そんな板挟み状態で、思考が回らなくなっているだろう。


「私はわかるわよ、サリア」


「……なに……?」


「いないからよ。神なんてこの世にいない」


 マリアが鼻で笑うように言いはじめる。


「メノイラなんて、貴族が作った幻想よ。選民的で、差別的な、王族と貴族が培った腐った心根を、さも正当性があるように掲げた〝虚飾〟に他ならない」


「マリアッ、あなたは王族だけじゃなく、神まで侮辱して!」


「その怒りは何? そういう態度をしなきゃいけないって教え込まれたものでしょう? 虚飾に塗れた自分を認めるのが怖いだけでしょう?」


「違ッ……なんなのよさっきから!」


「あなたこそなんなのッ、本心で向き合ってくれないじゃない!」


 二人から剣呑とした空気が流れ、今にも掴み合いが始まりそうなほど、怒鳴り合いがヒートアップしてゆく。

 まずい望んだ展開じゃない、とテツオはすかさず「投影」と小さく呟く。


「「──っ!!」」


 机の上にゴキブリを映し出すと、喧々轟々と怒鳴り合っていた令嬢二人が即座に黙り、肉体を跳ねさせてソファから飛び退く。

 なんて便利な生き物なんだ。もし転生することが叶うなら、ゴキブリを召喚するスキルを付与してもらおう。


「あらぁ、やっぱり隙間を埋めても少しは入ってきちゃいますね……」


 仕方がないとばかりに言いながら、テツオは再びシーツを被せて捕まえたフリをする。

 

「狭い隙間に入れる個体だけが生き残り、たくましい進化を脈々と積んできたんでしょう。いやはや、厄介な生物ですね」


「もういいわよッ、ゴキブリの話は! どれだけ好きなのよ!」


 サリア嬢が外へシーツを投げ捨てるテツオの背中に苛立ちをぶつける。

 

「天秤に乗る価値もない生き物よッ、語る必要なんてない!」


 すっかり機嫌を損ねて、ソファに荒々しく座りながらそう言い放つ。

 腕を乱暴に組み、もう戯言は聞きたくないとばかりに天井に首を向けてしまった。


「では、話題を変えましょう──」


 そこに、テツオはしとりと、水を垂らすように問いかける。


「お嬢様は、礼拝堂に祀られた〈黄金の天秤〉に触れたことがありますか?」


 言われた言葉に、サリアは答えずそっぽを向いたまま。

 されど、否定が飛んでこない。即座に『天秤に触れるなど神に対して不敬』と、口にしない。

 テツオは続ける。信じてきたものを揺るがせば、必ず反応するはずだ。


「もし、触れたことがないのなら、こっそり触ってみてください。何を乗せてもあの天秤は動きません。水平の位置で、微動だにしません。神が作ったものだと疑わないなら、その構造にメッセージがあると思いませんか?」


 ピクリと、サリアの眉尻が動く。きっと投げた問いかけに思考を回してくれている。

 恐らく、一度は疑問を浮かべたことがあるだろう。産まれてからずっとあの天秤に拝み続けていたのだ。好奇心で触れたことは何度かあるはずだ。


「答えを言いましょうか? モンカーに伝わる、創造神メノイラの〝本当の神意〟を」

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