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41.迫り来るG

「ゴキブリだァアアア!!」


「「えッ?」」


 テッツォの叫び声に、マリアとサリアは同時に疑問符を打つ。


「なんなのよまったく……使用人が、虫くらいで」


 サリアが心底と呆れるように口にして、扉の鍵をカチャリと開く。マリアも腹を煮やし『虫くらいで邪魔してくるなんて』と内心で舌打ちをして廊下を覗き込んだ。


「あ、お嬢様方!」


 廊下をドタドタ駆けて来るテッツォと目が合う。

 その相貌は、ひどく焦燥に塗れたものだった。


「テッツォ、虫の一匹くらいで何を騒いで──」


 サリアが苛立ちを露わに廊下に出た。

 その次の瞬間だった。


「ヒッ──」


 テッツォの背後、廊下の曲がり角から──大きな黒い影が迫り狂う。

 ゴキブリだ。本当にゴキブリ。しかもその数が尋常ではない。

 床も壁も、天井も、全ての空間を飲み込むほどの辺り一面の黒光りした絨毯。

 それが、テッツォの背中を縋るように追っているのだ。

 カサカサと、ガサガサと、気色の悪い音を盛大に立てながら。


「「キャアアアアアアアア!!」」


 この世のものとは思えない光景に、サリアとマリアは引き裂くような悲鳴を上げる。

 そして、マリアは恐怖で硬直するサリアの腕を引き、急いで元いた部屋に引っ込み、扉を勢いよく締めた。

 入ってこられては堪らないと、鍵もしっかり締め直し、二人は部屋の奥に退避する。


「ど、ど、どういう!?」


「何なの!? わけがわからない!」


 マリアもサリアも先ほどの言い争いなど頭から消し飛び、互いに身を寄せ合い、恐怖の色を交換する。

 本当に意味がわからない。清潔で神聖なグレゴドール城に、あれほど大量のゴキブリがいてたまるものか。


「な、な、何が起こって……」


「お、王権に対する、反対勢力の仕業とし、しか……」


 考えられない、とサリアが持ち前の鋭さで推測を落とした。

 瞠目しながらマリアも同意する。王族に反感を覚えている敵対組織が存在すると、風の噂で聞いたことがある。

 第一王子のカウラスがグレゴドール城に訪れるという情報を入手し、その命を狙うため、ゴキブリを放って混乱を招き入れ、それに乗じて王子の命を狙う。そんなとこだろうか。


「じゃあ今頃、会場は」


「わからない……」


 どうなってしまっているのか。敵対組織に包囲されているのか、そんな心配を頭に過らせていると。


 カチャリ──鍵が開く音がした。

 二人の令嬢は戦慄して、身を硬くする。

 なぜ開いた? しっかりと鍵は閉めたはず。


「お邪魔しまぁす!!」


 テッツォが当然のように、扉に隙間を作って滑り込んできた。

 しかもよく見れば、片手に銀のトレイを持ち、その上にティーポッドとカップを乗せている。


「はぁああ!? あなた何をしてるの! なぜ鍵を!?」


「いやぁ、助かりました! 危ないとこだったほんと!」


 怒鳴るサリアに、テッツォは額の汗を拭いながら微笑みを作る。


「ビックリしましたねぇ……あんなゴキブリ出てくることあるんですね」


「質問に答えなさい! なぜッ、鍵をッ、開けれたのか!」


「そんなことよりッ、ゆっくりしてる場合じゃないですよ! ゴキブリは隙間から入って来ることもありますから、シーツを敷き詰めて扉の隙間を埋めないと!」


 憤怒するサリアに構わず、テッツォが急かすように手を打ち鳴らす。

 彼女のベッドからシーツを引き剥がし、ビリビリと次々に引き裂いてゆく。


「事情は後で話しますので、お手をお借りしてもよろしいですか? 一匹も入れたくはないでしょう?」


 焦燥に濡れた声で急かされると、渋々といった具合でサリアは首肯。

 マリアも混乱しながらも、二人に習ってシーツを手に取った。


   ◆


[なんとか、上手くいきましたね]


[ああ……ほんと、なんとかね……]


 ミカゲの安堵の声に、テツオは頷きながら、引き裂いたシーツを令嬢たちに配る。

 自分でやっておいてなんだが、あの数のゴキブリに追われるのはトラウマだ。絶対に夢に出て来る。今思い出しただけでも背筋に悪寒が走る。


[頑張ったなぁ……俺……]


 犯行が行われる日付を、サリア嬢の誕生日に絞ったテツオは、ここ数日、夜な夜な人目を忍んで城下町に出かけていた。

〈短期記録〉行使し、飲食店の裏や路地で蠢くゴキブリを一匹一匹撮影し続け、何個も脳内に動画のストックを溜め込んでおいた。

 後は、マリア嬢が犯行に及ぶ直前に、それらを廊下に投影する。

 そのタイミングは、すべて〝彼〟が教えてくれた。


[サトル君、ありがとう。良いタイミングだった]


[肝が冷えたわぁ……]


 二人の令嬢と共にシーツを扉に詰めながら、テツオは部屋の隅にいるサトルに親指を立てる。

 彼には〈認識阻害〉で姿を消してもらい、令嬢二人と共に部屋に入室してもらっていた。

 そして、いよいよマリア嬢が犯行に及ぶそのタイミングで合図を送ってもらい、テツオがゴキブリと一緒に廊下を駆け、二人に恐怖と混乱をプレゼントする算段だった。


 ──強制的に心をリセットさせるには、恐怖と混乱が一番効く。

 映画館に通い続け、人間観察をしていたテツオはホラー映画から学んでいる。どんなに険悪な言い争いをするカップルがいても、グロテスクなパニックシーンでは全身を強張らせて黙るのだ。

 その効果は、サリアとマリアも例外はなく──


「マリア、そこの隙間も!」


「そうね!」


 今、二人は一致団結して扉の隙間を必死に埋めてくれている。この『協力関係』を結ばせる効果も絶大で、地球の学者たちがしっかり研究してくれている現象だ。


〈共同的コーピング〉──心理学の世界でそう呼ばれている。


 強いストレス状況を二人で協力して解決しようとしたとき、その相手への信頼と好意、結束感が急激に高まるという現象。

 ゾンビ映画でも災害を扱った映画でも、この心理効果はよく使われる。互いに歪みあっていた男女が急にキスシーンを繰り広げるのがそれだ。


[さて、ここからが正念場だ]


 扉の隙間をすっかり埋めきった後、テツオは肩で息をする二人の令嬢に微笑んで見せた。


「お疲れ様でした。お茶をお淹れしますので、どうぞ腰かけてください」


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