40.情動
荘厳なる全音符をもって、ラストダンスが締めくくられた。
途端、割れんばかりの拍手と喝采が鼓膜を支配する。
二人のの門出に賞賛が湧き、美しい所作に賛美が広がり、美称までもが飛び交った。
「ありがとう……ございます……」
一礼するサリアとカウラスは、衆目に緩やかな微笑を浮かべて見せる。
されど、サリアの額には汗がぐっしょり流れていた。それほど激しいダンスでもなかった。にも関わらず、どれだけの神経を削られていたのか。
「いやはや、今宵のラストダンスは実に見事。ホールの空気までもがお二人の美しい所作に、花のように揺れているようでございました」
筆頭執事ダニエルが、万感な思いを込めながら中央へ進み、大仰に手を広げた。
「さあ皆さま、この高ぶりをそのまま晩餐へ。温かい料理も揃えておりますので、どうぞ席へお進みくださいませ」
手を打ち鳴らすと、使用人が次から次へとテーブルと椅子を会場に並べてゆく。
それを契機に、マリアは──胸の奥で、何かが弾ける音がした。
彼女の心臓の鼓動は外に聞こえんばかりに打ち鳴らされ、息を大いに乱す。
サリアの横顔がかすかに、憂鬱な色を浮かべた瞬間、マリアの脚は意思に追いつかないほど速く、前へ動いていた。
(行かせない──ッ)
カウラスがまるで花弁を摘むような柔らかな仕草で、サリアの肩へ手を伸ばしていた。
その白い手が触れるより早く、マリアの右手がサリアの手首を素早く掴む。
「え……? マリア?」
振り返るサリア。驚愕に揺れる瞳。
だがマリアは言葉を返さなかった。返す余裕すらなかった。
ただ一息、吐き捨てるように囁く。
「来て」
直後、マリアは強引にサリアの腕を引き、引きずるように会場の外へ駆け出していた。使用人たちが晩餐のためにテーブルを運び込む、その間を縫うようにして。
食器の触れ合う音、椅子が引かれる軋み、忙しない足音が周囲で乱反射する。
それらすべてを切り裂くように、マリアはサリアの手を引いて疾走した。
「ま、待って……マリア、どうしたと言うの?」
「良いから来て!」
怒鳴るように声を張り上げると、会場の出口で別の叫び声が上がった。
「サトル君ッ、頼む!」
テッツォがこちらに向かって何かを叫んでいる。
関係ない。止まるものか。
「痛いッ、マリア、何をする気なの?!」
「……話したいって、言ったでしょ!」
赤い絨毯を踏む二人の靴音が、背後の醜悪な世界から遠ざかる。
階上へ続く曲がり階段を駆け上がり、人気のない廊下へ踏み込んだ。
息が切れ、心臓が熱を帯び、手のひらは汗ばんでサリアの手を滑らせそうになる。
だが──離さない。
サリアの自室の前に辿り着いたとき、マリアはようやく足を止めた。
そのまま扉を荒々しく開け放ち、サリアを押し込むようにして部屋の中へ導く。
そして、中からしっかり施錠をする。誰にも邪魔されてなるものか。
「ちょっとッ どういうつもり!?」
「本当にッ!! いいの!!?」
張り裂けんばかりに聞いていた。
そのマリアのあまりの剣幕に、サリアは肩を跳ねさせる。
「な、何を……」
「あれが、本当にあなたが望んだ人生!? あんな醜悪な男と結ぶことが!!」
聞かれて、サリアの瞳がぐらりと揺れた。
その反応に構わず、マリアは彼女の肩に掴みかかった。
「なぜッ相談してくれなかったの!? 私の叔母が王城勤めだと知っているでしょう!」
「…………」
肩を揺さぶると、サリアの髪が垂れて目にかかる。
その瞳の色が、徐々に輝きを失ってゆく。
そして呟くのだ。うわ言のように。
「王の一族は、聖典に記された最も神聖な血族よ。その血を継ぐ子を成せるのです。これ以上にないほどに、光栄であり、名誉なことよ」
色がない。感情の火を握りつぶすような言ノ葉の数々。
思考停止、恐怖、自己保身。そして、洗脳。
嫌気がさす、本当に。ただ、父親に刻まれた言葉を復唱しているだけだ。
「言葉を刷り込まれたオウムのような答えね。散々教え込まれたことを喋っていれば、父親の機嫌を伺えるものね?」
言ってやると、サリアは屈辱に濡れたように歯噛みする。
彼女の常套句を返してやった。こちらが得たばかり知識を得意げに披露すると、いつもそんな厳しいことを言ってきた。
だから、耐えられないのだ。悪態を混ぜる余裕のないサリアの姿を、これ以上見ていられない。
「ねえ、本心なの? カウラスと結ばれることが本当にあなたの本心? あの男は──」
「やめて!」
マリアから身を剥がし、サリアは悲鳴混じりに叫んだ。
「やめて……それ以上は、王族への侮辱になる」
「侮辱? 事実じゃない! あの男の醜悪さを私は聞かされて──」
「やめてってッ、言ってるでしょう!!」
その絶叫と同時、室内にパチンと乾いた音が鳴り響く。
サリアの平手が、マリアの頬を激しく打ったのだ。
「……サリア……なんで……?」
「…………」
マリアが赤く腫らした頬に手を添え、呆然と彼女を見つめる。
腕を振るったサリアの瞳は、諦めたように地面に縫い止められていた。
「私への手紙……代筆を、任せたでしょ? テッツォに」
頬を打たれた衝撃で、そんな鬱憤を口にしていた。
心を込めて書いた手紙だった。なのに、サリアは──。
「マーシャロの花……お茶会でそう、テッツォが口にした瞬間にわかった。わたしの手紙の返信、彼が書いたんだなって……」
「…………」
「泣きそうになった。わたしから、距離を取りたいんだなって」
「…………」
「王族の正体を知ってそうだったから? それを少しでも耳に入れたくないから……相談もしなかったし、わたしを避けたかった……だから……」
空虚な目を地に落とすサリアに、マリアは言葉を取り落とす。
どんなに心込めて書いた手紙も、使用人に放られていたのだ。
どんなに言葉を重ねても、彼女はきっと受け取らない。
知っている。知ってはいたが、居た堪れない。
もう、言葉でなんとかできる段階はとっくに過ぎている。
「……マリア、あなたがどういうつもりかわからないけど、私は戻るわ」
視線を合わせないまま、サリアは感情を押し殺すように扉へ歩き出す。
彼女の肌には、重い荷物が張り付いて、離れないのだ。
このままでは、よく飼い慣らされた奴隷だ。
惨めで、侘しくて、愚かで、劣っていて──
「わかった……じゃあ、行きましょうか……」
マリアは静かに、扉に手を添えるサリアの背に密着した。
「誰の目も届かない場所へ──」
サリアに見えない背後で、ドレスの裾を捲り、太ももに帯びたナイフに触れる。
(愛しのサリア、少しだけ、さよなら)
革ベルトの留め具に指で解き、緩やかに柄を握る。
(あなたを届けたら、わたしもすぐにそっちに行くから)
もうこの手しかない。あの男に汚される前に、わたしが守ってあげなくては。
事実に焦点を合わせる力も残っていないほどに、彼女は焼かれている。
ここで、日差しから守らなければ、美しいサリアが枯れてしまう。
「待っててね、サリア」
しとりと声を落とし、ナイフを抜き取ろうとした。
──その直後だった。騒々しい物音が鳴り響く。
「うわああああああ! 気色悪りぃいい!」
廊下からドタドタと、駆け込んでくる男の足音。
「マジやべえええ!」
テッツォだ。追ってきたのか? そう思ったが。
声音の質感が──彼自身が何かに追われているような響きだった。
「ゴキブリだぁあああ!」




