35.マーシャロ
「私があなたを、いつ赦したかしら?」
グレゴドール城の玄関先──
お茶会を終え、馬車に乗り込む友人たちに手を振りながら、サリアが意地悪く背後に控えるテツオを睥睨する。
「『目障りだ』と毎日のように告げているのを、もう忘れてしまったのかしら?」
確かに言われている。顔合わせる度に、挨拶のように悪態が撒かれている。
しかし、テツオは少々のマゾ気質であるため、その程度で感情を沈めることはなかった。
「クビにはされていませんので、サリア様なりの労いの形かと思っておりました」
「はぁ?」
頭おかしいんじゃないの? とでも言いたげに、サリアは怪訝に眉をひそめる。
次の言葉を待っていれば、どうせ責め口上しか出てこない。間髪入れず、テツオは疑問を差し込んだ。
「サリア様にとって、マリア様はどんな方でしょうか?」
「なぜ、あなたなんかに言わないといけないのよ」
「申し訳ありません。執事として参考までにお聞きしたまででございます。把握しなくて良いと言うのであれば、そのように致します」
丁寧にそう折り込むと、サリアは顎に手を添えて考え込む。
やはり応えてくれる。ここでピシャリと拒絶しないのが、彼女の誠実で良いところだ。
「マリアは……『変わった子』ね」
「変わった、ですか? 異質な方なのでしょうか?」
「彼女とは幼少の頃から友人でね。少し前まで貴族然とした優秀な子だった。でも歳を重ねるごとに、変化していったの」
ああ、とテツオは相槌を打つ。どうやら『変わった』というのはダブルミーニングのようだ。
「妙にスキンシップも多くなったし、人懐っこい犬みたいな子になっていった。昔はもっと私に遠慮するような立ち振る舞いだったし、距離感を弁えていた──」
それにね、とサリアは付け足し、自身の頬に手を添える。
「あの子だけ、紅茶の減りが早かったでしょう?」
言われて確かに、とテツオは首肯する。
自分がおかわりを注ぎに立ったのは、ほとんどマリア嬢のカップに向けてだった。
上流階級では『飲食』への執着を見せることは野暮であるとされる。一杯を最後まで飲み干すのは貧しい印象を与えるようで、特に令嬢同士の社交場では『残す上品さ』が美徳になるのだとか。
「お菓子も、マリア様だけよくお食べになられていたと」
「貴族らしくなくなったのよ。ブロンドール家がどんな方針であれを許しているのか知らないけど、伸び伸び育てられたのねきっと」
友人の不出来さに呆れを落とすかのように、サリア嬢は肩を竦める。
「なるほど……」
テツオは曖昧に相槌を打ちながら、馬車が去った方向に視線を移した。
伸び伸び育った子が、頸動脈に何本も傷を作るだろうか。
苦しんでいるから、自傷を選び取ったのではないか。
(サリア嬢と同じ、厳格な教育を受けてそうしてしまったのなら──)
やはりと、テツオは静かに頭に浮かべていた推測に手応えを感じていた。
◇
「百合、ですか?」
その日の夜、サリア嬢の就寝を見届け、使用人も寝息を立てはじめた頃合だ。
専用の狭い個室で、テツオとミカゲは机を挟んでひっそりと会議をしていた。
「そう、ヒントは『百合』です。マリア嬢はサリア嬢に手紙を送っていました」
テツオとミカゲが使用人として働き出した初日、サリアは友人から送られた手紙を読んでは机に放っていた。その返信の代筆を任せられていたため、数多の手紙の中にマリア・ブロンドールからの手紙もあったのをテツオは覚えていた。
「マリア嬢の手紙の上の句『マーシャロの匂い立つ季節となりました』と綴られていました。この異世界ならではの常套句だと思っていたけど、マリア嬢以外の友人に、そんな表現を持ち出す人物はいなかった」
茶会の際、テツオが手紙のその文言を引用して見せたとき、マリアは平静を取り繕っていたが、明らかな動揺を瞳に滲ませていた。
「マリア嬢は〝とある暗喩〟をサリア嬢への手紙に込めていました。メノイラ教では禁じられている『思い』だから、遠回しに伝わることを願って」
「それは……」
ミカゲは紅茶で喉を潤した後、こめかみに触れて解析スキルで記録した情報を参照する。
「まさか、女性同士の恋愛を『百合』と表現することを指していますか? でもその表現は日本文化ならではのもので──」
「もちろん、この異世界に『百合=同性愛』とする文脈がないことはわかってます。俺が着目したのは、マーシャロの花の生態です」
サリア嬢から教えてもらい、テツオは書物庫で図鑑を漁ってその特殊な花の生態を把握していた。
「これが面白いことに、マーシャロというのは咲いた直後は雌雄同体の花ではなく、最初は雄しべを生やした個体だけなんだそうです。でも繁殖期間に入ると、示し合わせたように一定の個体が雄しべを引っ込めて雌しべを生やすんです。しかも、それぞれ均等になるように」
百本のマーシャロが生える花壇があるとしたら、ゆっくり時間をかけて雄と雌がそれぞれ綺麗に五〇対五〇に分かれるのだそう。
なんでも、雄しべが生えている間は夏の環境に強く、雌しべは冬に強くなる特殊な性質があるのだとか。繁殖するのは春と秋に行い、一年中、花びらの形を変えて咲き誇るタフな花であるため、ソマリ王国では『繁栄』の象徴として愛されているそう。
「なるほど……種の存続における生存戦略ですね。環境のバランスを学習し、理解して、自らの在り方を合わせてゆく生物進化……」
「そうです。だからマーシャロの花言葉は『繁栄』と言われる一方で、文学史では『理解』と表現されています。マリア嬢がその花に込めた思いは『自分を理解してほしい』だと思います」
少々婉曲な表現だっただろうか、ミカゲが首を捻って「うーん?」と唸って思考する。
「えっと……まとめると、マリア嬢は手紙で遠回しにサリア嬢に愛を囁いていた、とテツオさんは解釈し、その愛が狂気となり、未来で惨殺が起こると?」
「動機から辿れる導線は、そこが一番太いんじゃないかと思いまして」
国教であるメノイラ教では同性愛が禁じられている。ゆえに、マリア嬢は自分の性質が社会では受け入れられないものであると理解し、自身で心を追い詰め、手首に傷を作ってしまった過去がある──とテツオは考察した。
その焦燥の矢印が今度は自分ではなく、恋慕を抱くサリア嬢に向いていたとしたら、殺人に至る狂気になりえる。
「もしくは──」
テツオはマリアがサリアに向けていた態度を思い出す。周りの友人のように機嫌を伺うようなものではなく、本当に親しみ込めて接していたように思うのだ。
「ただ単に友人として、メノイラ教に熱心な信仰を捧げるサリア嬢の姿勢に、マーシャロの花のように『柔軟に変わってほしい』というメッセージかもしれません。それくらいのニュアンスだったら、マリア嬢を容疑者候補から外せるんですけど」
あくまで仮定の話、現時点でテツオの推測でしかない。
しかし、どうにも並々ならぬ執着がある気がしてしょうがない。一介の使用人に過ぎないテツオに対して、『サリアをどう思うか?』などと問うこと自体が妙だった。しかも、茶を濁そうと誤魔化しを口にしても、さらに食い下がってきたあの態度は無視できないものだ。
「なるほど、だからサトル君にマリア嬢の住まい〈ブロンドール城〉へ潜入してもらってるんですね」
「そうです。俺の見当違いならそれに越したことはないんですけどね」
それは正解か、飛躍した妄想に過ぎないか。サトルが集める情報が解答となるだろう。
「日記とか彼女の読んでる小説なんかを手に入れて欲しいとお願いしてるけど、欲を言えば、もっと──」
[もしもし]
テツオの言葉の途中、頭の中にサトルから通信が入った。
心なしか潜めるような声であるため、現在進行形で潜入中のようだ。
[テツ兄、見つけたで。あんたの言う通りやった]
[マジ? 何があった?]
[サリア嬢への手紙、その下書きが多数。送るのを躊躇したのか、何通も棚の中に忍ばせておった]
サトルのその言葉の後、しばしの沈黙を挟むと、頭にとある一節が送られてくる。
『あなたが夏である限り、私は冬に変わる。
いつか季節を溶かし、同じ温度になるまで』
マーシャロの在り方をなぞった、詩的で文学的な愛のメッセージだ。
マリア嬢の密かな思いが伝わってくる一方で、猟奇的な執着も滲んでいる気がする。
『あなたが変わろうとしないなら、私が変えてやる』──そんなニュアンスが含まれてるいる気がしてならない。
テツオが眉根を揉んで思考を巡らせていると、引き続きサトルから通信が入る。
[テツ兄、別の手紙に、もう一つ気になる文言が見つけた。解析スキルによると、さっきのより後に書かれたやつらしいんやわ]
[送って]
催促すると、テツオの思考にねっとりとした一節が刻み込まれた。
『夏の日差しがあなたを灼く前に、私はあなたの頭上に影を落とす。
私の葉で包んであげる。誰の目にも届かないように』
テツオは胸に溜まった悲壮に、たまらず息を吐く。
[サトル君……ナイフを探してくれ……ブロンドール城の何処かにある可能性が高い]
沈痛に顔を歪ませて、テツオは祈る。
愛する者を突き刺す凶器など、見つからなければ良いと。




