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34.サリアグレゴールについて

 礼拝堂の修復が終わったのは、ちょうど夜明け頃だった。

 グレゴドール家が一同に会する朝の支度が始まる、その一歩手前で、なんとか修復作業を終えることができた。


 額の汗をぬぐい、ゼエゼエと息を整え、テツオはミカゲと共に使用人室へ戻る。

 そして、何事もなかったかのように、サリア嬢へ朝の挨拶を交わすのだった。


「毎日気が滅入るわね。気の重い朝にあなたの鬱陶しい顔を視界に入れないとならないなんて」


 自室でミカゲに髪を梳かされながら、サリア嬢がそんな悪態をテツオに送る。

 最早、この毒舌の味も懐かしいとさえ思えて、テツオは風呂に浸かっているような安心感に包まれた。ここ数時間の出来事が濃密すぎたのだ。


「何? なんで笑ってるの? 気色が悪い……」


 テツオの上がった口角を見て、サリアが侮蔑の眼差しを向ける。

 まずい、不審者として認識されるのは今後の活動に支障をきたす。


「数日後、ご友人とのお茶会がございますね」


 そこで不穏な空気を察して、ミカゲが話題を差し込んでくれる。


「ご招待した方々は、お嬢様のご学友でございますよね? どんな方たちなのでしょうか?」


「つまらないことを聞くのね、ミカ」


 鼻で笑い飛ばすように、サリアは椅子の背に身を預ける。


「利益になる、それだけよ。友人なんてその程度。どんな人間かなんて、私が把握する必要がある?」


 吐き捨てるような口調の奥に、奇妙な確信があった。

 よく創作物の中で描かれる貴族社会でも、冷たい腹の探り合いが繰り広げられるものだが、やはり情に流されて足元をすくわれるようなことが日常茶飯事なのだろうか。

 彼女にとって『友人関係』とは、心を許すものではなく、秩序を保つためにある〝義務〟のようなもので、そこに残るのは煩わしさと倦怠だけ。そんな空気感だけが伝わってくる。


(なんだかなぁ……)


 サリアのその言葉が、静かな余韻となってテツオの胸に重い感触を残した。

 その残り香を引きずったまま日々の雑務をこなし、いくつかの朝と夜が静かに溶けてゆく。


 そして今、サリアが総勢七人の『利益だけの友人たち』と向き合うお茶会が、グレゴドール城の庭園で開催されていた。


「それにしても──サリアのそのブローチ、とても素敵ね」


「ありがとう、セイナ。良いデザイナーを雇い入れたの。あなたの分もお願いしましょうか?」


「モンクレントの宝石ですわね。サリアの黒髪と合わさると、夜に輝く星のようね」


「大袈裟よマリア。あなたのそのイヤリングも美しいわ。よく似合っている」


「ありがとう。あなたの誕生パーティーでもこれを付けていくわね」


 二〇歩離れた距離で、テツオは給仕の一人としてミカゲと共にその煌びやかな女子会を見守っていた。

 美しい貴族令嬢たちが微笑みを送り合い、話題はファッションから始まり、そこから滑らかに物価の話に移行し、自国の政治情勢までテーブルに乗せてゆく。


「学院が王国の保守派に支援金を送ったとか。なんでも、新しく上がった税制度の適用を未然に防ぐためという噂が……」


「ああ、学院は陰で所得税を免除されていますから。痛い腹を突かれないための賄賂でしょう。そもそも明確な利益を計上していませんから、王国側も学院の懐を吐き出させ、溜め込んだ物がどれほどになっているか探りたいのでしょうね」


「じゃあ、そもそも学院にほのめかした税制度というのは?」


「ただの撒き餌であるかと」


 サリアの考察に、令嬢たちが感嘆の息を吐く。公爵令嬢であるからか、常に彼女は話題の中心にいる。周囲の令嬢たちもサリアを置いてゆくような話題をこの場で広げはしない。友人同士の会話というよりは、サリアに深く取り入ろうとする戦略ゲームだ。

 遠くで聞いているテツオは、その虚飾に濡れたやりとりに精神を少しずつ削られてゆく。


「嫌な会話だなぁ……十六歳なんだからもっと能天気な話しろよ」


 日本がいかに平和だったかよくわかる。学生同士が教師の悪口だったり、家族に対する悪態などで盛り上がるのは、むしろ健全だったのではないか。

 

「どうも、子供のくせに子供らしくない」


 テツオが潜めた声で愚痴をこぼすと、ミカゲも眼鏡を拭きながら眉をハの字にする。


「親にも、宗教にも、社会全体で彼女たちに大人になることを強要していますから。打算が見え隠れするコミュニケーションしかできないのも、その成果主義を中心とした教育の結果でしょうね」


「大変だ……」


 そんな溜息を交換していると、テツオは視界の端に空になりそうな令嬢のカップを捉える。途端、反射的に『おかわりを淹れねば!』と弾かれるように立ち上がった。

 悲しい性質だ。給料をもらう間もなくこの世界から去る予定であるのに、役割があるとシャカリキに働いてしまう。


「失礼致します。おかわりはいかがでしょうか?」


「ありがとうございます。テッツォでしたっけ?」


 感謝を告げた金髪碧眼の令嬢──マリアが紅茶を注ぎ入れるテツオに好奇の視線を注ぐ。

 間近で見ると、サリアと似た鋭い迫力がある。美しい顔立ちではあるが、こちらを値踏みするような陰湿さが瞳に宿っている気がしてしまう。


「……………」


 反して、その隣に座るサリアは表情を崩していないものの『おかしなことしないでよ?』という凍てつくような警戒を視線で投げてくる。

 ここ数日、テツオはサリアに虐められないように、相変わらず彼女を振り回し困らせ続けてきた。また何かをやらかすのではないかと気が気でないのだろう。


「新しい執事であると聞き及んでいますが──」


 サリアの内心とは裏腹に、茶を淹れ終えて速やかに立ち去ろうとしたテツオを、マリアが滑らかに引き留めた。


「モンカーのあなたから見て、サリア・グレゴドールはどう映りますか?」


 聞かれて、テツオは首を傾げて瞬きを繰り返す。

 安易には答えられない危険な香りが匂い立ち、緊張で喉が詰まった。


「……どう、とは?」


「あなたたちモンカーの祖先は流浪の旅に人生を捧げ、神の下僕として各地を回って貧しい民の救済に尽くしていたと学びました。そんなあなたから見て、サリア・グレゴドールはどんな人物に見えますか?」


 これはどう答えるべきか。純粋な好奇心か、貴族同士の腹の探り合いに巻き込まれているのか。

 頭を混乱させていると、ミカゲから速やかに脳内通信が飛んできた。


[その令嬢はマリア・ブロンドール。グレゴドールと肩を並べる〝公爵家の御息女〟です]


 なるほど。ここに集まった友人の中でも、サリアと社会的地位は同等。最初の方にサリアを持ち上げる姿勢を見せていたのは、ただ友人たちと歩調を合わせるためか。

 しかし、ここで牙を剥いてきた? ライバル的な存在なのだろうか。サリアに恥をかかせるため、執事のテツオに無茶振りを仕掛けているのか?


「ちょっと……マリア、うちの使用人に何を聞いてるの?」


「あら、いいじゃない。あなたには隙がなさすぎるもの」


 怪訝に顔を顰めたサリアに、イタズラっぽくマリアは舌を出して見せる。

『利益になる友人』とサリアは評していたが、心を砕こうとしている友もいるのではないか? それともやはり貴族特有の黒い腹の探り合いか? まったく判断が付かない、巻き込むのはやめてほしい。どの牛丼屋が好きかとか、そういう質問に変えてほしい。


「そうですね……私がサリア様を評するなど、とても畏れ多いのでお応えは控えさせて頂きたく──」


「応えるべくして応え、真実のみを口にする。聖典に記されたモンカーの流儀でしょう?」


 言われて、テツオの背中に汗が伝う。確かに聖典の内容にその文言は存在する。ゆえに、隠し事をしない人種としてモンカーは貴族の間で信頼され、高級な使用人として扱われている。


「それを言われてしまうと敵いませんね……そうですね……うーん……」


 たっぷり間を置いて、テツオは思考の濁流の中を泳ぎに泳ぐ。

 どうにか気の利いた答えを手繰り寄せようとしたテツオは──


 視界の端に〝ある物〟を捉えてしまう。


(皮膚が……)


 マリア嬢の手首の内側、レースの手袋に覆われたそこにチラリと色の違う箇所を見つける。

 うっすらとした違和感がどうにも喉に引っかかり、テツオはミカゲに通信を送った。


[ミカゲさん、マリア嬢の右手首に解析を]


 その応答は即座に、一秒も待たずに返ってきた。


[化粧で隠していますが、躊躇ためらい傷が複数あるようです]


 やはりだ。生前、大学時代の友人に一人、同じ方法でその傷を覆い隠そうとしていた者がいた。

 恐らく、マリア嬢も〝自殺未遂〟を何回か行っている。事故か、他者に傷つけられたものであるなら、ミカゲが『躊躇い傷』と口にしなかっただろう。

 サリア嬢と同じく、公爵令嬢という恵まれた立場にも関わらず、自ら命を断とうとした過去があるということは──今ここで、少し重力をかけておく価値があるだろう。


「どうしたの?」


「失礼しました。どう答えようかと熟考した結果、あまり気の利いたことが思い付かなかったので、言うか迷っておりました」


「そのまま、あなたの思ったことを聞かせてちょうだい」


 サリア嬢への興味がそうさせているのか、マリアは随分と一介の使用人の答えを求めてくる。その態度に縋るような質感があるのは気のせいではないだろう。


「──『赦す方』であると、私は思いました」


 テツオがゆっくりと答えを告げると、マリア嬢は静かに首を傾げた。


「ふむ……赦す?」


「はい。私はとても仕事上のミスが多く、毎日のようにサリア様にご迷惑をかけてしまっております。それでも、サリア様は私のミスを赦し、厳しくも温かく指導して下さり、側にお仕えすることをお許しになられます。まさに──」


 マーシャロの花のように。


 そう、テツオは打ち込むように言い添える。

 すると、マリア嬢の瞳が一瞬、ほんの一瞬だけ憂いを帯びた気がした。


「……詩的な表現ね。マーシャロの花言葉は『理解』。サリアはマーシャロのように知的で美しいですものね」


 その笑顔が、どこか演じているような気配を帯びる。

 どんな感情を仮面で覆ったのか、テツオは見逃さない。


(この子は──)


 確信を心に落とすと、二人のやり取りを見守っていたサリアが溜息混じりに言う。


「マリア、もういいでしょ? テッツォ、さっさと下がりなさい」


 追い出すようにテツオに向かって手を払う。

 その所作に恭しく一礼して、テツオは後ろへ三歩下がって踵を返した。


「マーシャロ……とても文学的でした。味わい深い執事を抱えているのね」


「ええ、そうですわね。それより、九日後の私の誕生パーティーの件なのですが──」


 マリア嬢が優雅に促すも、サリアは照れくさいのか、別の話題を茶会に掲げる。

 空気を察した友人たちも深入りせず、サリアが提供する話題に相槌を打つばかり。


「…………」


 そんななか、やはりテツオが気になったのはマリアの視線だ。

 何食わぬ顔でサリアに微笑む一方で、チラリと横目で奥に控えるテツオに視線を配ってくるのだ。

 

[これは、試した甲斐があったかもしれません]


[どういうことですか?]


[追加でまた調べたいことができました。ちょっとサトル君にお願いしときます]


 首を傾げるミカゲをよそに、テツオは額を揉んで思考を回す。

 マリア・ブロンドール──この謎を追求することに意味があるのかわからないが、新しい容疑者候補として調べる価値はありそうだ。

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