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32.カフェテラス

 映画館二階には、洒落たカフェテラスが設けられていた。その最も奥まった席にテツオとアイカはひっそりと座る。

 ガラスに映る街灯の光が滲んで、夜景を華やかに彩っている。されど、人っこひとり歩いていないその光景は、死後の世界であるという侘しさがあった。


「ごめんね……こんな格好で」


「全然、気にしないよ」


 宇宙服を着た男と、スーツを着たギャルが美しい夜景を横目に相席する奇妙な光景。

 致し方ない。ヘルメットの前面こそ割れているものの、首輪のロック機構は健在で、専用工具がなければ解除できない。

 先ほど合流したサトルに工具の手配を頼んでおいたから、しばらく待てば宇宙服を脱ぎ捨てることができる。その間は、このまま過ごすしかないという運びだ。


「その……アイカさん……」 


 テツオはカップを握った手を割れたヘルメットに添え、震える声を漏らす。

 ずっと、言いたかったことを言えるタイミングだ。


「君を殺めることになってしまって本当に申し訳な──」


「謝らないで」


 意を決したテツオに、さっと手をかざして、アイカは眉間に皺ひとつ寄せずに首を振った。その仕草は不思議なほど落ち着いていて、テツオの胸のざわつきを少しだけ沈めてくれる。


「見たの、映像を。自分がガードレールに頭をぶつけて死ぬところと、テツオさんがトラックに轢かれるところ」


 聞くところによると、生前の記録も管理部の資料の中に保存されているらしく。

 二人の命の灯が消えたあの日の事故映像を、その目で何度も確認してくれたようだ。


「私はね、あれは……テツオさんに突き飛ばされてもされなくても、どっちみち死んでたなって思った」


 雲ひとつない夏の朝だった。横断歩道の信号が青く点るなか、巨大なトラックがアイカ目がけて突っ込んできた。

 テツオも昨日のことのように覚えている。アイカの後ろを歩いていた自分は、反射的にアイカを突き飛ばし、自分がトラックに轢き殺されることを選択した。

 そして、その突き飛ばされた勢いで、アイカは受け身も取れずにガードレールに頭を激しくぶつけて──死亡した。


「死に方としてはテツオさんの方が酷かった。思い出しただけで食欲無くなるくらいグチャグチャだった」


「ごめんね……」


 テツオの唇がわなわなと震える。

 彼女のやわらかな声音と冷静さに触れるたび、胸が締めつけられる。


「謝らないで。むしろ、私が巻き込んでごめんなさい」


 アイカの言葉は驚くほど重く、しっとりと胸を打つ。

 自分よりも相手を気遣う優しさに、涙腺が壊れそうになる。


「違う。俺のことを恨んで良いんだ。そもそも突き飛ばすんじゃなく、俺の方に君の身体を引き寄せていたら、君は助かったんだ」


「それは、机上の空論ってやつじゃない? そもそも論を言うんなら──」


 言いさして、アイカの瞳が心底と申し訳なさそうに潤んだ。


「私は……ノイキャンのイヤフォンしてたから。横から来る酔っ払い運転のトラックに気がつかなかった。ちゃんと音を聞いてたら、たぶん私も生き残れたし、テツオさんを巻き込まなくて済んだの。だから、私が悪い」


 彼女の声は静かで、でも確かに断定的だった。

 テツオは言葉を飲み込む。謝罪の言葉が口から出かけては、また引っ込んでいった。


「……そんなこと……」


 どういう着地をすれば良いかわからない。感情がクチャグチャだ。

 彼女に謝らせたくない。むしろ恨んでいてほしいとさえ思っている。だけど、許されたいと思う浅ましい自分が奥底にいる。それに反して、自分の命に対して罪悪感を植え付けたくない気持ちもある。


「受付で中指を立てちゃってごめんなさい。全部、私が悪いの」


 逡巡していると、また謝罪をさせてしまう羽目に。

 慌てて、テツオは空っぽの頭の中から強引に言葉を捻り出す。


「いや、結果として……俺が強く突き飛ばしたから君は命を失う羽目になった。だから、ごめんなさい。殺してしまって本当にすまなかった」


 テツオは震えた声で頭を深く垂れた。謝罪の一語一語がテーブルの板を這って虚空に溶ける。二人の間の空気が、ぎゅっと詰まって、互いの喉の音が聞こえてくるようだった。


 しばらくの沈黙の後、アイカはテーブルに肘を預け、ゆっくりとテツオを見た。

 その瞳にはただただ、静かな理解が宿っている。


「ねえ、テツオさん」


 呼びかけられた瞬間、テツオの全身がぴくりと反応した。

 彼女は視線を外さず、でも声はどこか柔らかく、


「あなたは、私のことを必死に守ろうとしてくれた。それを〝殺した〟って言い方は違う。むしろ……守るために自分の命さえ厭わなかった。それが事実じゃないの?」


 言葉がいくつもやさしく落ちてくる。それは言い訳でも慰めでもなく、ただ事実を受け止める響きだった。

 そして──


「私を守ってくれて、ありがとうございます」


 一言、その言の葉がひらりを舞い落ちた瞬間。

 テツオの堪えたものが決壊した。


「あぁ……あぁ……」


 ダメだ。これは止められない。人前で泣くなんていつぶりか。記憶にない。

 勝手に目玉から水が溢れてくる。喋ろうと思っても喉が詰まって声が出ない。


 ここ数日、異世界を奔走する中で、常に頭にあったのはアイカの存在だった。

 どうすれば償いになるのだろうか。調査官としての役目をまっとうし、頼りになる人間となれば、アイカの第二の人生の手助けができるんじゃないか。赦されてなくて良い。陰ながら、恩を着せないように手助けできる機会があればと──そんなことを考えていた。


 だが、赦されてしまった。圧倒的に、自分の行いを肯定してくれた。

 それが何より嬉しくて。何より、ちゃんと守れなかったのが情けなくて。


「ごめん……マジで……こんなみっともなく泣くつもりじゃ……」


「ううん、いいよ。涙くらいいいじゃん。優しい人なんだから」

 

 そう言って、ハンカチまで差し出されてしまう。

 さっさと抑えたいのに、泣き止みたいのに。そんな追い打ちをかけられたらもう無理だ。


「ああ……ダメだ。敵わない。もう泣くだけの虫になっちまうよ」


 なんとか冗談めかしに言うと、アイカが机に肘をつき「ニシシ」と笑顔を浮かべる。


「そうっしょ? ギャルには誰も敵わんのよ。ギャルってだけでチート級っしょ?」


「そうだね……凄いね……ギャルは」


「スキルと言えばさあ、ビベンチョ凄かったね。見てたよずっと。あんな大きな相手にお芝居してて、テツオさん頑張ってた」


「ありがとう。モザイクかかってたからね、ビベンチョに。怖いっていうよりずっと頭の中で違和感と戦ってたよ」


「あれ、映画館で大ウケだったよ。ミカゲさんが周りの笑い声を鬱陶しそうにしてたのも面白かった」


 しばらく、ハンカチで目元を拭いながらそんな話に花を咲かせていると、アイカが感嘆の息をついて、テツオに向かって片手を差し出す。

 

「もう、お互いに謝り合うのやめよ」


「わかった。そうしよう。君も、俺に罪悪感を抱えないでね」


「オッケー、じゃあ仲直り」


 テツオも宇宙服の分厚い手袋を差し出して、互いに握手を交わす。


「私さ、しばらく転生の前のアルバイトすることになったから。テツオさんの仕事ぶりもちょくちょく眺めさせてもらうし、補助させてもらうから」


「さっきも言ってたけど、その転生前のアルバイトって、どういう?」


「チートスキルが欲しいの。私、どんな病気も怪我も治しちゃう回復スキル欲しくてさ」


 いわく、転生先が決まった転生者に認められた制度であるらしい。

 膨大な天界ポイントと引き換えに、転生者はチートスキルを得ることができる。

 死亡した時点で取得ポイントが足らなかったため、大沢アイカも天界で働いてから異世界転生する運びとなっているとか。

 

「次の世界で、色んな人の助けになりたくて」


「そうか。お医者さんを目指してたんだよね」


 是非とも活躍してほしい。心からそう思える。

 出来ることなら彼女が転生する環境を調査官として整えられたらいいが。


「俺が手助けできることがあるなら、なんでも言ってね」


「うーん……嬉しいけど、私よりサリアちゃんを助けてあげて」


 その意外な応答に、テツオは目を白黒させる。


「うん? 惨殺阻止だよね? そっちはそっちでやるけど」


「違う。先に、サリアちゃんの心を助けてあげて」


 言って、アイカは微笑するような、悲しんでいるような、複雑な色を相貌に浮かべた。


「宗教とかよくわからないけど、なんか……サリアちゃんっていつも追い詰められてる顔してない? 何をするんでも『こうならなくちゃ』みたいな」


 確かに。公爵家令嬢としてのお役目と、宗教血族である矜持が、サリア嬢の肩には重くのしかかっている。ゆえに、常に追い立てれている印象はテツオも感じていた。


「あ、ごめん。そろそろ行くね。仕事抜け出してきてるから」


 そこで、腕時計に目を配ったアイカが慌てて立ち上がった。


「テツオさん、今度一緒にご飯でもしよう」


「喜んで。また話そう」


 いそいそとアイカをエレベーターまで送り、その扉が閉じるまでテツオは見届ける。

 仕事へ舞い戻って行く彼女の相貌はとてもイキイキとしていて、テツオの心にほのかな活力を与えてくれた。

 なんて良い子なんだろうか。してやれることがあるなら、どんなことでもしてやりたい。


「うう……ずぴぃ、よかったですねぇ……」


 エレベーター前で立ち尽くしていると、背後から泣きじゃくるミカゲが声をかけてきた。

 どこかで会話を聞いていたのか、尋常じゃないくらい両目を赤く腫らしている。


「ちょ、泣きすぎじゃ……俺より泣いてるじゃん」


「だってッ、これが泣かずにはいられません! テツオさんもアイカさんも悪くないんです。酔っ払ったトラックの運転手さんが一番の加害者なのに、二人して謝りあってて……うう……」


 殊更に涙ぐむミカゲの背に、テツオは赤子をあやすように手を添える。

 すると、なぜだかミカゲがひどく申し訳なさそうな顔でテツオを見上げるのだ。


「すみません……私は受付で、テツオさんの罪悪感を利用して、強引に調査官にスカウトしてしまいました。最低ですよね……借金まで背負わせちゃって……」


「いや、今となってはむしろ嬉しいです。そこまでして強く勧誘してくれたんですから。とても光栄に思っていますよ」


「ひッグ……人を見る目は確かですから、私」


「さいですか」


「本当ですよ? 現にテツオさんは入所試験『S判定』なんですよ?」


 そういえばそんなこと聞いていた。特に思うことがなかったので深掘りしなかったが、確認しておきたいことがある。


「その『S判定』ってお給料にも反映される?」


「はい。最初のオーク集落のお給料が三割り増しになりますよ」


 それは幸いだ。借金返済以外にも使い道が出来たところだ。


「オーク集落の時の給料って、もう振り込まれた?」


「まだ、あと三日はかかるかと」


「おいくらくらいになりそうって言ってたっけ?」


「最低でも三千万ポイントにはなるかと思います。それだけ、目覚ましい成果でしたから」


 先日聞かされていたが、やはりかなりの高額だ。十回ほど同じことをすれば、三億の借金は完済できる。ただ、テツオの今のモチベーションは返済ではなくなった。


「そのお給料の天界ポイントをさ、アイカさんの口座に振り込めない? 俺から振り込まれたとバレない形で」


「出来ます。私の口座に振り込んでもらった後、私がアイカさんに振り込むか、別に誰かの口座を経由すれば。絶対にバレないとは言いませんが、限りなく元手を辿れなくなります」


「じゃあ、お願いできる? 出来れば全額で」


「テツオさん……」


 感激して、ミカゲは殊更に涙ぐみ、ハンカチを目鼻に押し当てる。

 

「わかりました……ヒっぐ……ちょっと鼻かみます……」


 スーツのポケットからちり紙を取り出し、盛大に鼻息を鳴らしてしばらく、ミカゲは少し考え込むように口元に手を添えた。


「やっぱり……全額はやめときましょう」


「なぜゆえ?」


「先日、下調べをしておいたのですが、アイカさんはまだ天界で過ごしたいのだと思いますよ。お仕事が楽しいようですし、管理部で友人も出来たみたいですし──」


 なにより、とミカゲはテツオの肩に手添える。


「命を庇ってくれたテツオさんと、もっと対話したいのだと思います。話している間、アイカさんの瞳に強い信頼を感じました」


「そうだと嬉しいけど……」


「それに、もしここで全額上げちゃったら、『はやく天界から出ていけ』と暗に言っているように受け取られる恐れもあります」


 確かに、とテツオは厳かに首肯する。

 ミカゲは聡く、理知的な女性だ。素直に納得できる言葉運びをしてくれる。


「ありがとう……余計なことしちゃうとこだったわ。自分で稼いで、自分でスキル取得して、自分のタイミングで転生したいよね」


「だと思います。管理部はやり甲斐がありますからね。自分でステップアップする喜びを取り上げちゃ可哀想です」


 深く納得を腑に落とすも、どうしても手助けしたい気持ちがある。

 アイカは地獄行きを防いでくれた恩人だ。ささやかな恩返しをすることは許してほしい。

 

「でも、余計なお世話であると承知で、俺のお給料が入ったらさ、ミカゲさんの見立てた額をアイカさんに振り込んでほしい」


「わかりました。アイカさんの尊厳を守るため、積み立て投資のようにじっくりと振り込んで行き、入金先が辿れないように工夫しておきます」


「ありがとう。本当に、お世話になります」


 何度も繰り返しミカゲに感謝を告げると、カチリと、自分の中で音がした。

 魂の方向が定まるような、そんな音が。

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