30.救いの手
「オラァアア!!」
裂帛の咆哮と共に、宇宙服のヘルメットに強烈な肘打ちが炸裂する。
その威力、凄まじく。一発で強化ポリカーボネートで出来たヘルメットに夥しく蜘蛛の巣が張った。
「ありえ……ない……こいつ……」
車に撥ねられたような衝撃に、テツオの脳が激しく揺さぶられる。
恐ろしい。宇宙服のヘルメットに人力でヒビを入れるなんて、人間ができることじゃない。
「何をしてるんですか!!」
怒声をあげて、ミカゲがテツオを庇うように身を乗り出す。
「職権濫用ですッ、執行官であるからといって、理不尽に暴力を振るっていいわけが──」
「うるさぁあいッ、犯罪者に鞭を打つのは当たり前田のクラッカァアア!」
死亡した世代をバラしながら、イザネも負けじと怒号を上げた。
そして、ミカゲを押し除け、テツオのヘルメットに指を突き入れるのだ。
「これで話せるだろう!」
バリバリと割れたポリカーボネートを乱暴に剥がし、ヘルメットに大きな穴を開けた。
すると、映画館の空調の香りがテツオの鼻腔に届けられる。
「原島テツオ調査官、礼を言え」
「ありがたくない全然……普通に脱がしてほしい……」
「この花も恥じらう乙女にッ、男の服を脱がせと!? 恥を知れ!」
「あんたが着せたんだろう! 会話ができる人を呼んできてください!」
先が思いやられる。この暴走する十代に尋問されるとなると、膨大なストレスの雨に晒されて、犯していない罪を認めてしまうかもしれない。
「……本題に入りましょう」
ミカゲが頭を抱えて先を促すと、イザネは居住まいを正して「ゴホン」と一つ咳払い。
「キサマら調査隊一向は、異世界No.56753に転移し、公爵家であるグレゴドール城で潜入活動を行っていた。相違ないな?」
「はい、相違ありません」
「現地時間、王暦八九〇年、三月一二日、深夜一時三〇分。原島テツオ調査官は、ドミニクス・グレゴドールの妻である、ラヴィア・グレゴドールの自室へ入室したな?」
「はい、ばったり遭遇してしまい、断るのも使用人として不自然であるため、雑談にお付き合いすることになりました」
「そこで、人妻とズブズブの性行為に至った。間違いないな?」
どさくさ紛れに頷かせたかったのか、いきなり決めつけてきた。
その誘導の稚拙さに、テツオはうんざりして白目を剥く。
「至ってません……誓って、ラヴィア夫人に手を出していません」
応えると、隣のミカゲからホッと安堵の息が漏れる。不穏なことを言った手前、どことなく疑われていたのはしょうがないが、わずかにテツオは心に傷を負う。
「そんなはずはない。こちら執行部で悪性の性エネルギーを観測している」
イザネが軍帽の位置を直しながら、淡々とそんなことを言う。
「我々は常に、異世界で活動するキサマらを見張るため〈監視スキル〉を行使している。言い逃れをするなら──」
「やってません! 何を監視していたのか知りませんが、見ていたならわかるでしょう? 俺がエッチしてるとこ見ました?」
「見ていない。だが、執行部の見解では、お前はやっている」
理不尽極まりない判断だ。監視スキルとやらがどんなものかわからないが、的外れも良いところだ。
しかし、強い否定を重ねると、この執行官がまた激昂して話をする状況じゃなくなる恐れがある。
「やったやっていないで議論するのは不毛です。ミカゲさん、俺が礼拝堂から出て戻ってくる間の時間はどれくらいでした?」
「わずか、三〇分ほどです」
「ほら、どうですか? 男女が肌を重ねる時間としては、あまりにも早すぎませんか?」
そんな合理的な説得を試みるも、イザネは退屈そうに小指を耳に突っ込んで耳かきをし始めた。
「キサマが〝早かった〟場合、三〇分は充分と言える時間だ。キリンの交尾を見たことがあるか? 股間をメスに押し付けた瞬間に交尾終了だ」
「いいやッ、俺は一人でするときも一時間以上かかります! どんな状況でも三〇分じゃ無理です!」
テツオはつい声を荒げてしまったが、隣にミカゲがいることを思い出して我に帰る。
ダメだ。この執行官に乗せられると、妙なことを口走ってしまう。
「男は見栄を張る下らない生き物だ。それに、キサマが語る弁明は信頼に値しない──」
この殺人犯が。
そんなイザネはのしとりとした声音が、テツオの鼓膜に針のように落とされた。
「一度重罪を犯したのだ。不貞行為など些細なことだと思ったか? 車を買った直後に二、三万の買い物をするなんて、心理的ハードルがゼロに等しいからな」
「……思ってません。人を裏切り、傷つける行為だから……俺は振り切ってきたんだ……買い物感覚で不貞行為に手を染めたりなんか……」
「フハハッ、先ほどの勢いはどうした? 元気がなくなったな? 吠えてみろ、ほら」
肩を揺らして、イザネはテツオの頬を揶揄うように叩く。
その態度に激昂したのか、ドンっとミカゲが座席の肘掛けに拳を打ちつけた。
「侮辱も良いところですッ、これ以上、テツオさんを傷つけるのであれば!」
「黙れッ」
弾かれるように立ち上がったミカゲに、イザネが人差し指を突きつける。
「〈肉体拘束〉──喋るな、黙って見ていろ」
犬を躾けるようにイザネが言うと、ミカゲが糸の切れた人形のように座面に沈んだ。
とんでもないスキルだ。行使する人間がイザネでなければ、拍手の一つでも送りたいところだ。
「疑わしきは罰する。話を聞いてやってるだけありがたいと思え」
「めちゃくちゃだ……」
イザネの中ではテツオが罪を犯したということが確定なのだろう。
この尋問は嘘でも良いから『やった』という言質を引き出したいだけだ。
「『スウィニー・トッド』という映画を知っているか? 私はあの作品が好きでね」
知っている。テツオも何度も見たスプラッターミュージカルだ。
理容師ベンジャミン・パーカー(演:ジョニー・デップ)が、治安判事(演:アラン・リックマン)に無実の罪を着せられ、復讐を誓い大量殺人鬼〈スウィニー・トッド〉となる物語だ。
血飛沫が舞い散る理容室で歌い上げるミュージカルシーンは壮絶にして圧巻だった。グロテスクな映画はあまり好みじゃないが、映像と音楽のギャップが強く印象に残る名作であるため、テツオはサントラまで購入している。
「理容室で、主人公が判事の髭剃りをするシーン、あれはよかった。首を切るのか切らないのか。今、復讐を遂げるのか遂げないのか。あの焦らしはゾクゾクする」
言いながら、イザネは指先をテツオの首に当て、ゆっくりと横になぞる。
「なぁ、色獄でどう痛ぶってやろうか? キサマの魂が消滅するまで、首を掻っ切ってやろうか? あん? どうなんだ? 歌ってみろよ、プリティーウーマン」
イザネの頬が恍惚と赤みを帯び始めた。興奮している。嗜虐趣味があるのだろうか。
「自白すれば情状酌量の余地を与える。地獄でしばらく拷問した後、ここに帰してやらんでもないぞ?」
「さっきから言っているように、エッチしてません。俺がエッチした証拠を出してください」
「なら、先にキサマがやってない証拠を出せ。情欲に溺れた変態が!」
その怒声を上げる姿を眺め、テツオは心の中で冷静に思考を回す。
先ほどから、どことなくイザネが結果を焦っているような気がする。何か信頼できる情報を元に揺さぶりをかけて来てるのかと思いきや、そうではないのかもしれない。
もし、確実な証拠とするものがあるのなら、このマウントを取りたがる執行官は意気揚々と提示してくるのではないだろうか。
「ないんでしょ? 俺の罪を確定させるものが。だから、先に証拠を出せないんじゃ?」
「キサマもな。誰がキサマの行動を見届けていた? ラヴィア夫人以外に、誰がキサマを見ていた? 証言できる者がいるなら開示して見せろ」
見上げるテツオ、見下すイザネ。
互いに視線の火花を散らして、無言の圧をぶつけ合う。
冷たく、憎しみを込めて睨み合い、状況が硬直した。
そのときだ──
「見てました、私が」
背後、映画館の入り口から若い女性の声が控えめに響いた。
テツオは執行官スキルによって肉体を動かせないため、後ろを振り返ること叶わないが。
(この声……)
言葉を交わしたことはないが、天界の受付でその声を聞いている。
忘れるわけがない。自分が殺してしまった被害者の声を。
「キサマは、誰だ?」
「大沢アイカと言います」




