29. 地獄の執行官
「テツ兄は地獄に堕ちかけている」
──と、サトルの焦燥に濡れた声色が地を這った。
意味がわからない。断腸の思いでラヴィア夫人を振り切ってきた。
不貞行為に身を染めてはいない。罪と呼ばれるものには触れていないはずだ。
「おっぱいロケットに乗れたんだ……もう少しで……」
弁明を口にしようとすると、意味がわかない文言が喉から飛び出した。
自分でもわけがわからない。なぜそんなことを言ったのか。
「〈強制自白〉っちゅうスキルもかけられとる……あかんマジで」
サトルが相貌を青ざめさせ、見ていられないとばかりに歯を食いしばる。
どうやら、本当にまずいことになっているようだ。
「俺の元カノもそうやった。浮気して、執行官に地獄に連れ去られる時、目玉を真っ黒にしてずっとうわ言を呟いとった……」
「そうか……サトル君、コックピットに乗り込もう。ブラジリアンヒップに降り立つため、下半身のエンジンを回すんだ。産まれてから共に歩んだ股下のブラックマンバが、脱皮を迎えて春に備えているぞ」
ダメだ。短く返事をしたつもりが、意図せず狂った言葉を吐き散らしてしまう。
自白というより妄言だ。スキルをかけるならちゃんとかけてほしい。死にたくなるほど恥ずかしい。
「テツ兄……まかさ……ラヴィア夫人と……」
サトルが疑惑を口にしかけたそのとき、礼拝堂の扉がガチャリと開き、ミカゲがそっと顔を覗かせた。
「サトル君、こちらは終わりま……し……どうしたんですか!?」
二人の姿を視認したミカゲが、慌てて駆け寄ってくる。
次には、テツオの頬に手を添えて、真っ黒な眼球を見て息を呑んだ。
「これは、まずいです……」
「せやねん……天界に戻って弁明せんと、マジでテツ兄が地獄に持ってかれてまう」
「そうですね。もう障害は排除しましたから、天界への強制帰還を実行できるでしょう」
即座に、ミカゲが右手をこめかみに添え、空いた左手に淡い光を浮かべる。
「〈天界帰巣〉発動します── 調査官コードA7-037。対象、原島テツオ」
言いながら、ミカゲはしばらく考え込むように瞑目する。
「うん……うん……よしッ、無事に天界へ繋がりました!」
嬉々として声が上がった途端、テツオの肉体が淡い光に包まれ、眠りに落ちる寸前の心地よさに意識を絡め取られる。
「テツオさん、これからあなたは執行官の尋問を受けることになります。あなたが無実を証明したいのなら、すべて、嘘偽りなく答えてください」
ミカゲが確かな信頼の光を双眸に灯し、「きっと大丈夫です」とテツオを安心させるように頷く。
それに応えたくて、深く頷き、つい返事をしてしまった。
「管制塔、聞こえるか? 二つの谷間を乗り越え、無事に惑星VIOへと到着した。これから調査を開始する。理性という宇宙服を脱ぎ捨て、肌色の大海へ飛び込む時が来たのだ」
「……無実……ですよね……?」
不穏なことしか言えず、テツオは歯痒さに泣きじゃくりたくなる。
「帰還させます……心を落ち着けて下さい……」
気まずそうに、かつ、浮かべた疑念に心を彷徨わせながら、ミカゲはテツオに輝く左手をかざした。
明滅する光に呆然とすると、テツオは肉体が一気に宙へ引っ張られる感覚に襲われた。
◇
微睡む意識が覚醒し、テツオは映画館で目覚めた。
──途端、とてつもない違和感に目を瞬かせる。
顔の前に、なにか、球状のガラスのような膜があるのだ。
「なに……これ……」
おまけに身体も動かない。全身が分厚い布に包まれているような暑苦しい感覚と、背中に当たる感触が映画館のシートとは思えないほどに硬い。何か、背もたれと背中の間に平たく硬いものが挟まっている。
加えて、さっきからテツオが呼吸をする度に「シュコー」とダースベイダーのような息遣いが聞こえるのだ。
「『罪』というものは、強い輝きを放っている──」
背後から声がする。少し幼さを感じるような高い女性の声。
首も動かず口も動かないゆえ、その姿を確認することも問うこともできない。
「許し難き犯罪者を羽虫のように引き寄せる、暗闇に浮かぶ月の光だ」
コツコツと硬いブーツが床を打つ。その音は滑らかに移動し、テツオの左隣まで進んだ。
「『罰』とは、秩序の光。キサマのような犯罪者をその熱で焼く、太陽の光に他ならない」
テツオに見えるように正面に立った女性は、漆黒の軍服を着ていた。歳の頃は一七、八。『冷酷』を絵に描いたような厳しい吊り目がギロリと開き、真っ赤な唇が嗜虐を楽しむような笑みをたたえている。
「地獄の執行官・桐城イザネだ。貴様を痛ぶる──」
ご主人様だ。と、テツオの胸元に指を突きつける。
執行官に尋問されるとは聞いていたが、これはかなり危うい。
出会い頭に主従関係を主張してくる十代女子が、まともに話を聞いてくれるだろうか。
「貴様はこれから、このイザネの……む?……」
ふと、イザネが突然、言葉を中断してテツオの右隣の座席に視線を注ぐ。
どうやらミカゲもここへ戻ってきたようだ。淡い光の粒が舞い散り、動けぬテツオの視界の端に、相棒のストッキングに包まれた膝小僧が映り込む。
「へッ──?」
帰って来てそうそう、ミカゲから間の抜けた声が漏れる。
イザネを見て驚いたのかと思いきや、テツオの身体を不思議そうに触るのだ。
「て、テツオさん? どうして宇宙服を着ているんですか?」
(宇宙服着てるんだ、俺……)
意味不明すぎる。誰が、何のために、どうやって着せたのか。
「私だ。このエリート執行官である私が着せた」
やけに誇らしげに胸を張って、イザネが答えた。
「なんで!? 意味がわかりません!」
「ううっ!」
ミカゲが疑問を打ち上げ、テツオも動かぬ唇で抗議する。
すると、鬱陶しそうに手を払い、イザネは指を一本掲げる。
「私が執行官スキルをこの男に行使したのは知っているな?」
「はい……〈視覚強奪〉と〈強制自白〉の二つを行使していたと推測します。そして今は〈肉体拘束〉もかけている……」
「そうだ。ちゃんとスキルがかかっているか、そこの画面で確認していた」
言って、イザネは顎で力無く明滅する前方スクリーンを示す。
「この男がロケットだの管制塔だのと言っていたのでな。SF映画が好きと見える。だから、地獄へ送る前に、このイザネが〈アイテム作成lv5〉で作ってやったのだ。嬉しいか?」
嬉しくない。本当に宇宙に行けるなら涙さえ見せてやれるが、映画館の中でこんな分厚い鎧に拘束されるなんて、拷問以外のなにものでもない。
そんな抗議の視線を送っていると、イザネがパチンと指を弾いた。
「喋れるようにしてやった。返事をしろ。嬉しいか?」
「嬉しくないです!」
テツオが上げた声音は先ほどのような妄言ではなかった。どうやら〈強制自白〉とやらの効力も解除してくれたらしい。
「おい、どうした。応えろ!」
「いや、だから嬉しくないです!」
「え、なんて? 信長の野望? 何を言っているッ、声がこもって聞き取れないぞ!」
「あんたが宇宙服を着せてるからだッ、せめてマイク付けておいてくれ!」
「もっとはっきり喋れ!」
「ダメだ。天然入ってやがる……」
宇宙服はその名の通り、真空状態の宇宙で活動するための防護服だ。無酸素状態である宇宙空間を遮断するため、完全密閉されているのが常識だ。スーツの中にマイクを内蔵してくれなければ、声が外に届かない。
「いや……宇宙服を着せてるからですよ……脱がせてあげて下さい」
ミカゲが呆れるように指摘すると、イザネが盛大な舌打ちをする。
「チィッ、犯罪者が! 手を煩わせやがって!」
「イザネ執行官……自分で着せておいて、身勝手が過ぎませんか?」
「うるさい! じゃあこうすれば良い!」
イザネが理不尽に激昂し、テツオの胸ぐらに掴みかかる。
やっと脱がせてくれるのかと思った、その直後──
「オラァアア!!」
裂帛の咆哮と共に、宇宙服のヘルメットに強烈な肘打ちを炸裂させた。




