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27.獄炎

 礼拝堂で激しい闘争が繰り広げられる一方。

 調査官・原島テツオは──


「うふふ、可愛いのね。こういうのは初めて? こんなに緊張しちゃって」


 甘い吐息と共に、胸を撫で回されていた。

 ラヴィアの指が滑らかに移動し、テツオのシャツのボタンを一つ、二つと外してゆく。


(最高……)


 柔らかな指先。香水の甘い香り。胸に迫る豊かな重み。

 このまま身を任せれば、どれほど甘美な世界に沈めるか。

 背徳の楽園に向かうロケットは、目と鼻の先にある。


 だがしかし──。


(ダメだ!)


 テツオは歯で舌を噛み、口腔に広がる鉄の味で意識を叩き起こす。

 ミカゲが強大な敵と戦っている。その裏で、自分は人妻と性行為に及ぶ気か?

 そんな一時の快楽に身を委ねるような人間を、自分は憎んできたのではないのか?


 大学時代──テツオは奇跡的に彼女が出来たことはある。

 アマチュア映画に出演してくれた同級生と、それはそれは甘い恋愛模様を繰り広げた。

 しかし、最後は陰で浮気されていたと知り、惨憺たる結果となって関係を終焉させた。


 そして、因果は繰り返すもので、就職してからも不貞行為の被害者となった。

 仕事を押し付けるだけ押し付けて、テツオを残業の山に叩き落とした会社の上司。

 奴は妻帯者にも関わらず、テツオの同僚の女社員と不倫していたのだ。


 そう、あの男は火遊びに興じたいがあまり、自分の仕事をテツオに投げ捨てていたのだ。

 結果、テツオは忙しさに殺され、心を病んで布団に伏せる羽目になった。

 不安障害、不眠症、脅迫性神経障害の三本柱が杭のように肉体を貫き、テツオを社会のレールから離脱させた。


(クソがぁああああッ、腹立ってきたぁあああ!)


 当時の忌々しさを思い出し、テツオは心の中で咆哮した。

 性欲を憎悪で塗り潰し、瞳に黒い炎を纏う。


 不貞行為に傷つけられた自分が、今度は加害者に回るのか?

 ラヴィアの夫であるドミニクスを陰ながら傷つける行為だ。

 彼はいけ好かない貴族ではある。しかし、軽んじて良い理由にならない。


 それに──サリア嬢。

 母親と不貞を働いた男に周囲をウロチョロされる彼女の身になってみろ。

 彼女の人生そのものに暗い影を落とすような、深い傷となってしまう。


(負けるもんかッ、おっぱいなんかにぃい、俺が負けるもんかぁああ!)


       ◇


「オオオオオオオオオオオオオ──ッ!」


 エリカ(ミカゲ)の咆哮が空気を引き裂き、礼拝堂に盛大な炎を舞い散らせる。

 

「終われぇええええ!」


 左手でメノイラの首を絞めて、右拳の連打を顔面に浴びせ続ける。

 拳を引いた間隙に、メノイラから反撃の腕が振るわれるも、


「シッ──!」


 それさえ難なく拳で叩き落として、勇者エリカは顔面の殴打を続行する。

 そして、次には頭部を両手で鷲掴み、ガラ空きの顔面に膝蹴りを浴びせ続けた。


「消えろ──ッ!」


 容赦なく、いっそ残虐に、メノイラの顔に暴行の嵐を振るう。

 すると、影の腕がダランっと、糸が切れた人形のように垂れ下がった。

 終わりが近い。朝まではかからなかったか。


「かの者を捕らえて燃やし尽くせッ、炎縛牢!」


 一口唱えると、瞬く間にメノイラの肉体が獄炎の球体に包まれる。

 そのグツグツと煮え盛る大きな炎塊がその場で高速回転し、徐々に宙へと浮き上がった。


「終わりです!」


 パンっと、エリカが手を合わせて咆哮すると、礼拝堂を覆い尽くすほどの白光が溢れ、炎の球体は一瞬で膨張し、次の瞬間には内側へと強烈に収束してゆく。


「キサマッ ユルサヌゾ!」


 閉じ込められているメノイラは炎の壁に押し潰されながら、壊れた人形のように繰り返した──「ユルサヌゾ」と。


「許さなくて結構ッ、もう八回ほど死んでいますが、神様に殺されたことなんて一度もありません! ただ──」


 神のイタズラと言ってしまえば、すべての厄災がそうなる。

 ならば、せめて有意義な形で力を示してほしい。


「どうせイタズラするなら、あなたの信徒を守ってください」


 最後に一言、しとりと言い含めて、エリカはもう一度、祈る様に手を合わせた。

 すると、メノイラを閉じ込めていた獄炎の球体が大爆発を起こす。

 轟音とともに衝撃波が走り、礼拝堂に波打つような大熱波が広がる。


「あ、やっちゃった……」


 柱が軋む。熱が天井を焦がす。壁に彩られたステンドグラスが一斉に砕け散る。

 久しぶりの戦闘行為であるため、力の加減を間違えた。これでは、修復作業を担うテツオに重労働を強いてしまう。


 何か、お礼の品を用意するべきか。

 そんな呑気な後処理を思索していると、爆煙が晴れ、メノイラの残骸が姿を現した。


「ワ……レハ……カミ……ナノ……ダゾ……」


 音ではなく、ただの気配として声が漏れる。

 メノイラの輪郭が歪み、空洞の眼が白から灰色へと濁ってゆく。


 エリカは拳を構えたまま、静かにその最期を見届けた。

 炎の反射が頬を撫で、紅い髪が燃え立つように揺れる。


「……あなたは、祈りの影。誰かが救われたいと願ったその余熱の形。また姿を成したときは、私のような異分子の前ではなく、あなたを愛するものに会ってあげて下さいね」


 静かに、水を注ぎ込むように言うと、メノイラの黒き肉体が霧のように崩れた。

 割れたステンドグラスから吹き込んだ微風に攫われ、室内にバラバラに散って行く。


(──終わった)

 

 エリカは溜息を一つ吐いて、微笑みを浮かべる。

 炎の光が和らぎ、純白の法衣が淡く輝き明滅した。


「さて、後で報告書をまとめないと」


 小さく呟き、髪をかき上げる。

 その声の調子は、転生勇者ではなく、いつもの記録官・田中ミカゲのものだった。



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