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26.神物闘争

 テツオがラヴィア夫人に誘惑されている一方、その頃。

 ミカゲが居残った礼拝堂に、それは突然に訪れた。


 最奥に進んだミカゲが、贋作の天秤を横目に、本物へと手を伸ばしていた。

 その指先が黄金の表面に触れた、その直後だった。


「ダレダ」


 冷たいものが、がしりとミカゲの腕を掴む。人肌ではない、鉄のような感触でもない。

 ぞわりと這い上がる黒い湿り気が、ギチギチと皮膚を締め付けるのだ。


「……っ!」


 反射的に首を動かしたミカゲの視界に、それは立っていた。

 光を吸い込むような黒い影。輪郭だけが人型で、内部は渦巻く虚無そのもの。

 顔面と思しき部位から、真っ白な空洞が二つ。眼球のように浮かび上がった。


「キサマ ハ ダレダ」


 耳鳴りのような音が、礼拝堂の空気を振るわせた。

 男とも女ともつかない、掴みどころない、怖気の走る声だ。


「ワレノ シモベデハナイ コノセカイノ ニンゲンデモナイ」


 血走るような殺気を向けられ、ミカゲは生唾を呑み込む。

 やはりいたか。異世界では度々、こういうことが起こる。

 人の信仰が集まる場所に、『神』は存在してしまう。


 強い祈りが寄り集まると、人の世に陰ながら影響を及ぼす〝現象〟が発生するのだ。

 時には『幸運』と言う形。時には『不運』と言う形で、人間の運命を振り回す。

 しかし、今起こっている現象は、そんな目に見えない曖昧なものではない。


(まずいですね……)


 予想していたより強烈だ。ここまでしっかりとした実体で妨害してくるとは。この世界では『魔法』という兵器は存在しないはず。ゆえにここまでのものが出てくるとは予想できずにいた。


「あー、すみません」


 なんとか穏便に交渉したいと、ミカゲは努めて申し訳なさそうに語りかける。


「あなたの寝所でしたか。お名前は? 創造神メノイラ様ですか?」


「シレモノガッ ワレノ ナヲ クチニスルナ!」


 殺気がより濃度を高め、ミカゲを掴む黒き腕から影が伸びてゆく。

 慌てて振り払おうと力を込めるも──腕が動かせない。神経が切られてしまったか。


「イラヌ イラヌ ワレノシモベ イガイ コノセカイニ イラヌ」


 影は徐々にミカゲの肉体を侵食してゆき、肩先まで登ってくる。

 このまま全身を侵食をされればどうなるか。意識を失うだけなら可愛い方だが──


 恐らく〝神隠し〟に合ってしまうだろう。

 魂が無事であるなら天界に帰還できるが、それも叶わない可能性が高い。


「一時的にあなたのお住まいを移させて頂きたいのです。あなたの信徒であるサリア・グレゴドール、その悲惨な未来を変えるために」


「キエロッ ユルサヌ キサマハ キョカシナイ!」


 影の声が轟くと同時に、掴んでいた腕からさらに幾筋もの影が這い出し、ミカゲの胸元に急速に迫り狂う。

 冷たい圧迫感が心臓を締めつけ、視界の端がじわりと滲み、


「ゴフ──ッ」


 胃から込み上げるような感触に咳き込むと、ミカゲの口から紅が滴る。

 内部を侵食され、内臓に出血を負わされたようだ。


「致し方ありません……」


 交渉の余地はない。この怨念のような影に、こちらの言い分を咀嚼できる機能はないのだろう。ただ、世界の異物と不都合な者を排除する機能しか備わっていないようだ。


 ならば、神であろうが、一切の遠慮する必要はない。


[総員ッ、緊急事態です! 聞こえますか!? グレゴドール領で活動している全ての職員に呼びかけています!]


 ミカゲは意識を集中し、脳内通信を全職員に解き放つ。


[異世界の神と接触しました! 交渉は不可能、これから戦闘体制に入ります!]


 黒き影がさらに深くミカゲの内部に侵入し、肺の奥から熱い血が逆流しそうになる。

 震える声が脳内通信の網を走り、同僚たちの意識へと叩きつけられていく。


[許可を求めますッ、私に〈復刻転生《切り札》〉を行使する許可を!]


 声は悲鳴に近かった。背骨にまで冷気が侵食し、思考が霞む。

 それでも最後の言葉を絞り出す。ちゃんと届いているのか。

 対抗手段である〈復刻転生〉は強力なスキルだ。職員の票を集めなければ、発動そのものができない仕様となっている。


 この通信が届かなければ、ミカゲはここで終わってしまう。


[私の声が届いていますかッ!? どうか許可を!] 


 懇願するように、天を仰ぎ、再び叫ぶ。

 すると、そんな不安を拭うように、力強い声が次々と上がった。


[調査官・恐野おそれのクロトラ──許可する。やれ、ミカゲ]

[記録官・豊田とよたミイコ──許可します。いっけーっ、ミカゲちゃん]


 低く唸るような上司の声と、明るく愛らしい同僚の声が、ミカゲの背を強く押した。

 まだテツオが出会っていない、別働隊として活動してくれている仲間たちだ。


[調査官・巣則すのりシラン──許可しまうまぁ。死ぬんじゃねえぞぉ]

[記録官・最母さいもキュウカ──許可するぅ。ミカゲんぬ、気張ってちょ]


 軽やかな幼い声が二つ。猫のように可愛い後輩たちが、確かな勇気をくれた。


[記録官・新島サトル──許可します。やったれ先輩!]


 外で〈認識阻外〉をかけてくれいる弟分が、ドア越し聞こえるような活声をくれた。 

 そして最後に──


[調査官・原島テツオ──許可します。絶対、無事に、戻ってきてね]


 その声に、思わずミカゲの口元が綻ぶ。

 過ごした時間はわずかではあるが、妙に気が合う相棒となった。

 テツオに背中を押されると、なんだか心が高鳴ってしまう。


[一緒に映画を見る約束しましたしね]


 血に濡れた唇を拭って、ミカゲは決意の炎を瞳に宿す。

 日本人として人生を終えた後、第二の人生は勇者として闘争に明け暮れた。

 久しぶりだ。〝魔王〟という強大な人類悪と対峙していた、あの頃の姿に戻るのは。


「天使特権スキル〈復刻転生〉、発動します」


 唱えたその次の瞬間。

 雷鳴の如き轟音が打ち上がり、ミカゲの肉体が紅蓮の炎に包まれた。


「異世界NO.5073──我が魂の片鱗〈勇者エリカ・フレイノール〉」


 炎が渦巻き、礼拝堂の空気が爆ぜるように震える。


「──ナンダッ!」


 その熱波に怯み、神を自称した影〈メノイラ〉はたまらずミカゲの腕を解放して後ろに大きく跳躍した。


「あなたに勝てますか? 拳聖エリカ、その最終到達点に」


 凛としたその声音は、先ほどのものではない。

 低く中性的な響きを併せ持つ、空気が澄み渡るような音だった。


「ヌウッ、ダレダッ、キエロ!」


 狼狽えるメノイラの唸りと共に、ミカゲの全身を包んでいた炎が晴れてゆく。

 そこから現れたのは、一人の女性だった。


 髪は燃えるような赤紅あかべに。風もないのに揺らめき、火の粉を孕んだように光を波立たせる。

 顔立ちは異国の彫像を思わせ、目鼻筋がくっきりと刻まれていた。青みを帯びた鋭い瞳が開かれると、空気そのものが凍りつくようだった。


 その身を包むのは、純白の法衣――。

 身体の線に沿うように密着し、まるで光そのものを纏うような出立ち。

 紅と白、その対照がまぶしく礼拝堂を照らし出す。

 それはまさしく、異なる世界で人類を蹂躙し続けた〝魔王〟を討伐した勇姿。


炎王拳えんおうけん


 彼女の唇がわずかに動いた。

 途端──乾いた破裂音が鳴り、メイノラの黒き肉体が突如として弾かれた。

 黒き影が激しく壁に激突する。石の破片が舞い、礼拝堂全体が鈍く震える。


「オゴッ……」


 呻きながら、メノイラがゆっくりと立ち上がる。

 その身体は黒い靄に包まれ、どこにも血が流れない。

 だが、確かな動揺が見える。


 エリカ(ミカゲ)は一歩、また一歩と前に出る。

 ブーツの踵が石床を打つたび、その足からパチパチと火花が散った。


「ごめんなさい。あなたが我々のような異物を消したいように、我々もまた、あなたのような〝目に見えない障害〟は遠ざけたい。だから──」


 言葉が終わるより早く、間合いを詰めていた。

 右のジャブが閃き、続けざまに左のストレートが放たれる。


「ガ──ッ」


 メノイラの顔面が弾かれ、黒い粒子が辺りに飛散してゆく。

 負けじと反撃の影が伸びるも、エリカは上体をわずかに沈めてかわす。

 体重を後ろ足に乗せ、その反動でカウンターで放った右拳がメノイラの腹部を抉り取る。


「消えてください」


 続けざま、メノイラの頭部を蹴り飛ばし、顎ごと撃ち抜いて地面に横倒しに。

 さらに、倒れ伏した頭を鷲掴みにして、そのまま壁に打ち付ける。

 加えられたその暴虐と轟音に、礼拝堂の壁に盛大な穴が空いた。


「う……ちょっと加減しないといけませんね」


 サトルが〈認識阻害スキル〉を行使してくれているおかげで、礼拝堂の中でどれほど騒いでも外に音が漏れることはない。

 だが、勇者の力で好き放題に暴れ続ければ、グレゴドール城そのもの壊しかねない。

 幸い、空いた穴は後ほどテツオの〈アイテム作成〉で修復可能。しかし、彼に重労働を強いるのは少々気が引ける。


「力を抑えて、抑えて……からの炎殺蹴!」


「ゴウッ──」


 立ち上がりかけたメノイラの腹に、獄炎を纏うエリカの足が炸裂する。

 大丈夫。部屋を壊さないように、対象を討滅することはできるはず。


(これは、時間がかかりますね)


 エリカは腰を落として、拳を高く構えて正面を見据える。

 かなり強力な打撃を加えているはずだが、メノイラは変わらず立ち上がってくる。

 どれほど殴れば消え失せてくれるのか。一晩中、殴り続けるわけにもいかないだろう。


(やっぱり──)


 チラリと横目で、エリカは金の輝きを捉える。

 礼拝堂最奥に鎮座する〈黄金の天秤〉──グレゴドール家の信仰が集中するあのオブジェクトに、この黒い影が宿っているのだとしたら、あれを破壊するのが手っ取り早いか。


(でもなぁ……)


 どうしてもテツオの顔が脳裏に過ってしまう。


(嫌われちゃうよね……でも事情を説明すれば……いやそれでも悲しませちゃうかな)


 あの天秤を排除すると告げた瞬間の、彼の悲しげな相貌が拭えない。

 他者の信仰を尊重するテツオの真心を、踏みにじるわけにはいかないか。


「キエロッ!」

 

 エリカが脳内会議をしていると、メノイラがバタバタと突貫し、影の腕を振るってきた。

 だが、その大振りの軌道を、エリカはわずかに首だけ動かして回避。

 その反動で、左の拳を放って鳩尾を撃ち抜き、右拳で顔面を撃ち抜く。


「グッ……オオ……」


 空気ごと爆砕し、影の肉体が吹き飛んだ。

 その手応えに、エリカは逡巡を払う。


(まあ、やりますか。朝までに終われば問題ありません)


 相方の気持ちを尊重して、天秤の破壊はしないことに。

 こういう手合いは時間がかかるが、戦闘経験の差で圧倒できるだろう。


「行きますよ。ちょっと本気出します」


 紅蓮の炎を全身に纏い、拳聖エリカは異世界の神に向かって突進した。

 


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