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25.誘惑闘争

「お、奥様!?」


 突き当たりの廊下で、テツオは思わず声を裏返らせた。

 金糸を織り込んだナイトドレス、ゆるくまとめられた髪から覗く白い首筋。暗い廊下に佇むラヴィアの姿は、月影に咲き誇る花のように美しかった。


「テッツォ、どうしたのですか? こんな夜分に」


「すみません、突然の尿意により、飛び起きまして……」


 口をついて出た言い訳に自分で自分が情けなくなる。苦し紛れも良いところだ。

 だが、夫人は微笑んだだけだった。その唇がわずかに緩み、薔薇の香りがふっと鼻腔を撫でる。


「うふふ、慌てん坊なのね。可愛いわ」


 軽やかな笑い声。テツオの背筋に冷たいものと熱いものが同時に走る。

 彼女の視線は柔和であるものの、どこか獲物を捉えた猫の目のように輝いているのだ。


「粗相をしてしまう前に、行きましょうか」


 すると、なぜだかテツオの背を押して、ラヴィアがそのまま追従してくる。


「奥様? その……私のお花摘みに同伴して頂くわけには……」


「寝れないの。用を足したら、少しお話しましょう?」


 その囁きは耳打ちするように官能的で、首筋を甘く撫でてくるものだった。

 長い裾がすれて甘い香りが立ち上り、テツオの意識を曖昧にさせてくる。

 

「……わかりました。少し待って頂ければ、お茶をお淹れいたします」


「いいえ、お茶はいいわ。ほんの少しだけ、雑談に付き合って。ね?」


 階段を上がる間、並んで歩く彼女のドレスの裾がテツオの足に触れる。

 距離が異様に近い。これではまるで付き合っているカップルのような間合いだ。


(え、エロい……)


 チラリと、ラヴィアの豊満な谷間の揺れを視界の端で捉える。

 白い肌にうっすらと桜色の赤みが差していた。

 意識が蕩ける。なんだこの色気は。最高か?


 そこでハっと意識を手繰り寄せ、テツオは頭を切り替える。

 今は調査官としての仕事中、報連相を徹底するべきだ。


[ミカゲさんすみません、ラヴィア夫人と遭遇してしまいました。これから雑談することに……]


 脳内通信を送ると、一拍を間をおいて応答があった。


[了解しました。怪しまれないように、ラヴィア夫人の足止めをお願いします]


 その引き締まった彼女の声に、テツオは平静を取り戻す。

 懸命に仕事をしているミカゲとサトルを他所に、人妻にときめいている場合ではない。



「行きましょうか」

 

 しばらくして、トイレで用を足し終わり、ラヴィアと共に彼女の自室へ赴く。

 カーテンを閉め切った室内は、キャンドルの光だけが淡く揺れ、甘い香水の匂いが支配していた。

 ラヴィアが赤いベロア生地のソファに腰掛けると、艶やかな脚線美が布地の間からさりげなく覗く。


「ごめんなさいね。眠いところを」


「いいえ、奥様。私も、しばらく寝れそうにないので」


 努めてビジネススマイルを浮かべたテツオに、ラヴィアはソファの隣の席を手で示す。


「座って」


 位置取りがまずいか? 客間にあるような大きなソファではない。常に肉体が密着する形になってしまう。

 しかし、断るわけにもいかず。テツオは身体をカチコチに硬直させながら腰を預けた。


「サリアの執事となって三日が経ちましたね? どうですか? あの娘は難しいでしょう?」


「はは、少々言葉に棘がありますが、私を厳しく指導してくれている結果でしょう。クビにされないだけありがたいと思っています」


「あの子はね、何人も辞めさせているのよ? だから、いつまでもつか心配だったのだけど、あなたは大丈夫そうね」


 ラヴィアは身を乗り出し、テツオの頬を撫でつける。淫らな香りが一段と増し、夫人から放たれる空気が淡いピンク色に包まれてゆくような気がした。


(どういうこと?)


 生前、年上の女性にこんな接し方をされたことがない。

 ゆえに、テツオは困惑する。純粋な親心のようなものでテツオを慮り、親しみを込めて接してくれているのか。それとも──


「ねえ、つまらないと思わない?」


 テツオの渦巻く思考を遮るように、ラヴィアは落とした声音でひと撫で。


「ドミニクスも、サリアも、随分と息苦しい。この家は……創造神に締め付けられている」


 確かに、厳格な家であることは間違いない。その息苦しさも理解できる。

『優れなければならない』という焦燥と、『神に愛されないとならない』という強迫観念にも似た思想が、グレゴドール家には充満している。


「神の期待に応えるために生きてるの。それがね、私は退屈に思えてしまう」


 ラヴィアの声音が気落ちするように萎んでゆく。

 なんとなく、早朝の礼拝堂でも感じていたが、ドミニクスとサリアとは違って、ラヴィアはあまり熱心に祈りを捧げている雰囲気はなかった。

 どうでもいいとまでは言わないが、どこかドミニクスの宗教高説を話半分に聞いている節もあった。『聞き飽きている』というものでもなく、自分ごとじゃない退屈感だ。


「人生ってもっと、楽しいものだと思わない?」


 ラヴィアの細い指先が、いつのまにかテツオの太ももに添えられていた。

 ねっとりとした熱が一気に頭に昇る。テツオは必死に虚空を見つめ、口を開く。


「そ、そうですね。では私めがお嬢様の肩の荷を降ろせるように──」


「真面目なのね。このままだと、あなたもつまらなくなってしまうわ」


 ラヴィアはふっと笑みを深め、身体をさらに密着させる。

 柔らかな胸の感触が腕に押し当てられ、テツオの理性が軋んで慟哭を上げる。


(やば……)


 こちらを押してくるような確かな双丘の張りと弾力。

 あまり深く観察してこなかったが、胸の位置も歳の割に上の方に位置取っている。

 将棋で言うところの敵陣の『歩』が並び立つ7三と3三の配置。

 

(ロケットおっぱいだぁ!)


 テツオの頭が混濁を極め、内なる童心が裸で躍り出る。

 このままあのロケットに乗り込めば、宇宙に行けるだろうか。

 数多のSF作品が見せてくれた、あの青い地球を眺められるのだろうか。


「ね? 楽しみましょう?」


 その囁きは、甘く、淫らに、纏わりつくような湿り気を帯びている。

 まずい、どうする。天界に所属する者が、人妻と不倫に及ぶとどうなる。


 浮気をしたサトルの元彼女は〈色獄しきごく〉という地獄に送られたと聞く。

 では、テツオもそうなるのではないか。このまま夫人と肉欲に溺れれば、魂が消滅するまで地獄で痛ぶられるのでは。


 されど、拒絶しずらい。否──拒絶したくない。

 男に産まれた時点で、抗えるものではないのではないか。

 女性にこんな積極的に誘われる経験など、自分には二度と訪れないのではないか。


 ──乗車するしかないじゃないか、ロケットに。

 

 無料で安全に宇宙へ行けるロケットがあるなら、誰でも乗るはずだ。ためらいなく。

 何が悪い? 報われたことのない人生だ。死んだ後くらい、楽しんで良いだろう。


 テツオの心の天秤が、人妻との甘い夜に傾いてゆく

 その瞬間──張り裂けんばかりの声が頭に響いた。


[総員ッ、緊急事態です! 聞こえますか!?]


 突如、ミカゲからの脳内通信。

 その声色はひどく焦燥に駆られている。

 何か、痛みを堪えているような悲鳴にも似ていた。


[異世界の神と接触しました! これから戦闘行為を行います!]


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