20.家庭教師
午前八時──来訪した家庭教師四名を招き、客室で待機してもらう。
その際、テツオとミカゲは授業内容の聞き取りを行うも、当然のようにひと目で怪しい人物がいるわけもなく、どんな経歴を辿って家庭教師に至ったかなども根掘り葉掘り聞かなければならない。
そうなると、思っていたのだが──。
「ヌヘヘヘヘッ、本日ワタクシがサリア様にご教授させて頂くのは、帝王学における、『反感を抱いた羊の導き方』にございますぅん、ムホホホホン」
彼の名は〈モリス・ギェーベン)。
釣り針のように弧を描いた背骨に、飛び出そうなほどに大きな眼球。ぬらりとした油で光る禿頭を撫で付ける小柄な老爺。
その有様があまりにも怪しく、邪悪に肩を揺らすのだ。
「グヒッ、サリア様は飲み込みが早ぃん、教え甲斐がありますので、お休み中にどこまでお教えできるかぁ、ワタクシの腕が試されますおブホホホ、興奮して参りましたぞぉん!」
捕まってほしい。なんの罪かと問われれば困ってしまうが、存在するだけで恐ろしいゆえ牢獄にいてくれた方が安心できる。
[ミカゲさん、このジジイにモザイクかけてよ]
[ダメですよ? 一応、容疑者の最有力候補にしておきましょう]
映画であるならミスリード要因だろう。こんな怪しさだけしかない存在が犯人なら、逆に肩透かしを喰らう。
しかし、これは現実だ。異常者がそのまま異常者であることが普通なのだ。
「ヌホホンッ よろしいですかなぁん?」
その後、サリア嬢の授業が開始された際も、モリスの怪しさは留まることを知らなかった。
「キャスタキャバリエ、暴走した民を黙らせるために用いられた拷問器具でありますがぁ、お嬢様は王歴七六五年に起きた事件をご存知ですかなぁん?」
問われて、サリア嬢は「はい」と平坦な声で応える。
「当時、王の補佐官であったベリアム・キンガースが、隣国との戦争で捕らえた捕虜を苛烈な拷問にかけて殺害。和平の道を閉ざした『ベリアム拷問事件』です」
「ムホアッ、ウホホホホ! 素晴らしいぃんッ、ちゃんと予習してるぅうん!」
モリスは絶叫を打ち上げ、教壇を打ち鳴らし、次には打ち上げられた魚のようにビチビチと床を転げ回る。
何をしているのか。授業になっているのかこれは。異世界の新しい自慰行為を見せつけられてるのではないか。
「モリス先生、感動するのは結構ですが、その気色の悪い所作をやめるようにと、再三と申し上げているのですが?」
「アアっすびばぜん。お嬢様の素晴らしさに、このモリス、興奮が抑えられずぅん」
控えめではあるが、不快な念を露わにするサリア嬢に、モリスは光る禿頭を垂れた。
本日揃った家庭教師はすべて、聖典に記された聖なる家柄であるらしい。
ゆえに、サリア嬢もモリスに対して強い侮蔑を表明できないのだろう。
[ミカゲさん、あのジジイが危険な薬物の類をやってないか解析できる?]
[すでに解析にかけていますが、異常値は検出されていません。恐らく、アドレナリンが出やすい体質であるのかと]
逆に怖い。何かやってて欲しかった。あれで正常値であるなら、教え子を刺し殺すことも彼にとっては正常である可能性がある。
部屋の隅で目を光らせるテツオとミカゲは、互いに厳かに頷く。
[サトル君に頼めば、夜に紛れてあの老人の身辺を調査できます]
[お願いしよう。無視できない脅威だ]
御者として潜入しているサトルは、グレゴドール家の買い付け全般も担っている。
なので、頻繁に外に出てゆく役割であるため、買い物ついでにモリスの後を追って身辺調査をすることも可能だ。
その後、帝王学以外の授業は滞りなく進行した。
サトルから聞くには、別働隊の調査官も何人かグレゴドールの領地で活動してくれているらしい。モリス以外には特に怪しい人物はいなかったが、念の為に他の教師の身辺調査も依頼することに。
「ここまでですね。見事な演奏でしたよ、お嬢様」
「ええ、先生も丁寧なご指導、ありがとうございます」
本日最後の授業であるピアノレッスンを終えて、音楽教師が楽譜をカバンに仕舞い込む。
これからテツオは家庭教師の見送りを済ませた後、家族が席に着くのを見届けて昼食の配膳だ。
◇
グレゴドール一家の食事風景というのは、ひどく張り詰めているものだった。
広い純白のテーブルの上、父と娘との間に交わされる会話が、隅で見守っているテツオの胸に重い鉛のような感触を与えてくるのだ。
「サリア、今日の授業はどうだった?」
「問題ありません。予習した通りの内容です」
「そうか、問題ないな。我らグレゴドールは優れなければならない。誰よりも勤勉に身につけ、誰よりも優雅に振るまう。聖なる血族たる誇りを胸に、引き続き励むように」
「かしこまりました、お父様」
ひどく教条的で、じっとりと湿り気を感じさせる。貴族の常識というものに疎いが、これは少々偏りがある気がする。
家族の中で比較的に砕けた態度なのは、奥方であるラヴィア夫人であるのだが──その興味の矢印は、娘にではなく背後に控えるテツオに向けられるのだ。
「今日、テッツォは初仕事でしたね? どうでした?」
「お嬢様の勤勉さに心打たれました。あれほど知識を蓄えた一六歳は、他にいらっしゃらないかと」
「うふふ、サリアは賢いですからね。あなたはどう? どんなことに興味があるのかしら?」
聞かれていることに何の濁りもない。
だが、ラヴィアから放たれる妖しい色香が、卑猥な空気感を漂わせてくる。
「そ、そうですね……本日、拝見させて頂いた授業内容で興味深かったのは──」
「違うわ。〝あなた自身〟が、どんなことに興味を示すか聞いているのよ?」
怪しまれているのか。不自然な振る舞いをしてしまっただろうか。
一瞬そんな杞憂をするも、ラヴィアの眼差しは妖しくも暖かい。
純粋に興味をもたれているだけと、テツオはひとまず解釈する。
「我々モンカーの祖先は流浪の民でありましたから、私も旅に興味があります。いつか、あらゆる土地であらゆる文化に触れてみたいと思っております」
「まあ、良いわね。広い世界を知るのは、刺激があって素敵よね」
言いながら、ラヴィアがパチリとウィンクを送ってくる。
その艶っぽい仕草に、テツオの鼓動が早くなる。やめてほしい、好きになってしまう。
「王国の外に行くつもり?」
人妻との和やかな歓談に、サリア嬢が怪訝に差し込んできた。
「神の加護が届かない土地に行くということは、命が惜しくないのね?」
「すみません。浅学であるため、外の土地の事はさっぱりで……」
「隣国へ旅行に行った伯爵夫人が、盗人にカバンを盗まれたらしいわ。〝腕ごと〟ね」
「え……腕ごと、ですか?」
「すれ違いざまに斧でスパッと、腕ごと地に落とされ、カバンを持ち去られたとか」
「野蛮すぎますね……」
テツオが顔を拭って焦燥を露わにして見せると、サリア嬢は満足気に目を細めた。
「神の目の届かないところに行くなら、あなたもいずれそうなるわ。楽しみね。両腕が亡くなった頃にこの城に戻ってきなさい。口を使えば食事の配膳くらいは出来るんじゃないかしら?」
クスクスと肩を揺らして、サリア嬢は布巾を口元に添える。
楽しそうでなによりだ。笑顔が可愛い。テツオは苛立ちを父性に変換して耐え忍ぶ。
猫のじゃれつきに腹を立てていたら、この先やっていけないだろう。
「では、両腕のない私をお側に仕えさせて頂けるのですね? 安心しました。お嬢様の寛大な御心に感謝いたします」
「……………」
「うふふふ」
テツオの返答にサリアは唇を尖らせ、ラヴィアは思わずといった具合に笑みを漏らす。
「楽しい人が来てくれたわね。ね、サリア?」
「そうですわね……」
少し皮肉を込めすぎたか。サリア嬢の眼差しがより冷たいものになってしまった。
だが、毒舌に屈しない大人であるという姿勢は示せた。
それに、ラヴィア夫人の信頼は勝ち取れただろう。
先ほどより、テツオに向けられる眼差しが好意的な質感が滲んでいる気がする。
「ふふ、退屈せずに済みそうね」




