ミリメートル
「手を絡めて、鼻先と鼻先が触れ合う程に近づけたらそれはキスだよ。あと数ミリあるかないか」
「……へ?」
情けない声が漏れる。梅雨の季節はもう終わり、今年が暑いせいか紫陽花が枯れている。
校庭を見ればそんな無惨に枯れた紫陽花が、俺のいる教室を眺めるように上を向いていた。
「数ミリ、なくなっちゃおうか?」
現実逃避をするように花に意識を向けていたが、この目の前の同級生は俺を惑わしてくる。
真っ黒な髪がさらりと風で靡けば、まるで絵画のように様になる。
それを見て胸が高鳴るのが、少し苛つく。
「揶揄うなよ……」
「揶揄ってないよ、ほら手」
頬杖をついていた手を優しく触られる。
俺の手を撫でるように開かせて、指で掌をつぅっと這わせた。
「っ……」
くすぐったい、触られたところから熱がじわりと広がってゆく。
人差し指が俺の人差し指にゆるく絡まる。
中指、薬指、小指も滑らかな肌に吸い込まれた。
まるで蜘蛛に巣に絡まるように、動けない。
俺はその、官能的ともとれる手に目が釘付けになっていた。
本気、なのか?
ゴクリ、唾を飲み込む。
だって、だって俺たち……
「こっちみてよ」
遠くで野球部の掛け声がしていた、吹奏楽の管楽器も、ぬるい風のヒュルルという音も、全部こいつの声にかき消された。
要望通りに前を見れば、黒髪が俺の頬を撫でる。相手に俺の心拍音が聞こえてしまうんじゃないかと、そう思うほどに間近にいた。
今はまだ数センチメートルだろうか。もう少し近づいたら……
俺は少しだけ目を伏せ、絡め合う手の隙間を埋めるように包んだ。指先に中手骨が当たる。
ゆっくり、ゆっくり数センチメートルを縮めてゆく。
鼻先と鼻先が触れ合う程に近づいて「あるかないか」の距離。
「それはキスだよ」
あの言葉が頭で再生される。うっとりする様な、魅惑の声。
数ミリメートルが、無くなった。
恋愛もの短編書きました。