3 巻き込まれた社畜(3)
「ふふふ……可愛い~~嫌味なほどの美少女になりましたね~~」
現在、伊月たちは、とある有名ブランドショップの個室に居た。
化粧道具を持ちながら、上機嫌の野宮とは対照的に、伊月は、魂の抜けたように白目をむいていた。 それというのも、信じられないことに、伊月は野宮に化粧を施され、それはそれは、可憐な美少女になっていたのだ。
「はぁ~~やっぱり、伊月さん、着やせするタイプだったわ~~。腹筋はシックスパックだし、大腿四頭筋なんて本当に生きた筋肉って感じでキレイだったし、大胸筋なんて、ずっと触っていたい!! それなのに、メイクをしたら美少女なんて!!」
野宮が、化粧用のハケを持ちながら高揚しながら言った。
実は野宮は、巧以上にスキンシップが過剰なのだ。むしろ、野宮と比べると、巧の触り方は、奥ゆかしいとさえ思える。しかも今日は、なぜか女性用の服を着ることになり、服を脱がされて、全身をいつも以上に触られてしまっただけではなく、化粧までされてしまった。もう、色々と……泣くしかない。
「本当に美少女だね~~。凄いな~~」
隣で巧が呑気に声を上げた。すると、野宮が先ほど購入した化粧道具をメイクボックスに並べながら尋ねた。
「巧さん。メイク手順、ちゃんと覚えました?」
「うん。覚えた」
伊月は、鏡越しに巧を見つめながら、眉を寄せた。伊月も化粧をする野宮を見ていたが、化粧品の種類は多いし、使う道具も多いし、手順も複雑だし、目の辺りなどかなり細やかで繊細なことが行われた。それを巧は、すでに覚えたという。普段から、巧の記憶力の良さは知っているが、本当に先ほどの手順を全て覚えたのかは、不安だった。
化粧をしなければ、自分など、絶対に女性に見えないはずだ。伊月は、真剣な顔で言った。
「あの……本当に私が行くんですか? やっぱり、女性である野宮さんが一緒に行かれた方が……メイクしなければ、絶対に女性だと思われませんし……」
「そんなことありません!! メイクなしでも服とカツラで十分美少女です!!」
野宮が、伊月のことを慰めようとしてくれているのは、痛いほどよくわかるが、正直に言って嬉しくない。伊月がさらに白目を向いていると、巧が、さらに真剣な顔で言った。
「何を言っているんだ、伊月さん。もしも、俺が、野宮さんに襲われたらどうするんだ!! 女性と同室なんて、危なくて、ゆっくり寝ていられないよ!!」
巧はこの非常識にも思えるセリフを、冗談ではなく、素で言っているのだから、伊月もなんと返せばいいのか、困ってしまう。
なぜ、伊月が女性の姿をしているのか?
その理由は、数時間前に遡る。
野宮に引きずられながら、会社を出た伊月たちは、会社の地下駐車場に止めてある巧の愛車に乗り込んだ。そして、巧は今回の旅館についてどんなところかの話を始めたのだ。
「……男子禁制の旅館ですか」
助手席に座った伊月が、運転中の巧に問いかけた。
「そう。本来なら、男性は入れないんだけど、女性と同伴なら入ることが出来るんだ」
男子禁制の宿に、女性同伴なら入れるというのなら、伊月と巧では入ることなど出来ないはずだ。一体、巧は、何を考えているのだろうか?
いや、本当は、わからないわけではない! わからないわけではないんだ。ただ、受け入れられないだけだ。伊月は、変人の巧が何を言い出すのか、薄々気づいてはいたが、それを否定してくれることを願って、恐々と口を開いた。
「……では、私と、巧さんがそこに行くことは不可能なのでは?」
巧みは、嬉しそうに言った。
「心配しないで。最近では、女性の心を持ち、女性の姿をしていれば、女性として入れるんだそうで……つまり、俺か、伊月さんが、女性の姿をしていれば問題はないわけです……俺としては、伊月さんの女性の姿が見たいんですが……化粧をしたり、服選んだりするのは、全部、俺がしますので!!」
(ああ……やっぱり……否定してほしかった……)
伊月は、思わず天を仰いだ。
こんなのどう見ても、伊月が女性の姿をする方が丸く収まるのは目に見えている。小柄で童顔な伊月と、長身で、がっしりとした見た目の巧では、どう考えても伊月が女性の姿をする方が、周囲にも溶け込めるだろう。きっと、自分たちだけではなく、他のお客さんだっているのだ。営業妨害をするのは申し訳ない。
「あ、そう言えば、鳴滝専務が商品開発部に来た時に、『この件を、伊月くんが受けてくれるなら、技能手当と、営業手当を付ける』って言ってましたよね~~書類に書いてあるんじゃないですか?」
伊月が悩んでいると、野宮が、後部座席に座り笑顔で言った。
「え?」
伊月は、膝の上に置いていた自分の鞄から、慌てて、出張申請書を取り出し、内容を確認した。すると、確かに『業務を円滑に遂行するために、特定の条件を満たした場合、営業手当と技能手当を支給』と書いてある。
営業手当と、技能手当が付くという言葉に、伊月は押し黙って頭の中の電卓を高速で叩いた。
(もし、手当手がついたら、ボーナスと合わせて、グライダーとハーネスを新調できるかもしれない)
伊月の趣味はパラグライダーで、時間が出来ると、空の散歩に出掛けている。タンデムライセンスを持つ伊月は、たまに頼まれて、人を乗せて飛べるほどの実力を持つ。
正直に言うと、伊月はこの見た目なので、学生の頃は、文化祭などの出し物があると、散々女装をさせられてきたのだ。だから、またかという感じで、それほど抵抗はないのだ。
化粧をしたり、服を選ぶのはよくわからないので面倒だが、自分がするわけではなく、巧がしてくれるのならいつもの女装と特に変わらない。しかも、学生の時の女装は完全なる奉仕活動だが、今回、女装すれば、手当まで付けて貰えるというのなら、それほど悪い話でもない。
「……わかりました……私が女性に姿になります」
伊月は、手当につられて、女性の姿になることを了承した、すると、巧が笑顔で言った。
「ありがとう!! ああ、楽しみだな~~」
「ええ!! 本当に~~~」
野宮もとても嬉しそうだった。
こうして、伊月が女性になりすますことになったのだった。