11 山奥の旅館の秘密
部屋の中から露店風呂に向かうと、鉄の混じった独特の匂いがした。
温泉のお湯も少し黄色味がかかった濁り湯で、風情のある露店風呂だった。
伊月と巧は、身体を洗うと、お湯に浸かった。
「あ~~~~~気持ちいい~~~」
巧が上を向いて、大きな声を上げた。
伊月も巧の気持ちがよくわかる。温泉に入ったのなんて、何年ぶりなのか、もう覚えてもいないが、まるで身体を覆っていた硬い殻が、パリパリと割れていくような解放感を感じた。
「本当に……気持ちいい……」
伊月と巧が目を閉じていると、外からモーター音が聞こえた。
伊月は咄嗟に、パラグライダーのモーター音かと思って、空を見上げた。
すると、巧が呟くように言った。
「あ~~もう、二時か……」
「え?」
伊月が問いかけると、巧が目を細めて言った。
「ここは、特定の時間になると、地下から水を吸い上げるポンプのモーター音が聞こえるんだ」
「へぇ~。これはポンプのモーター音がだったんですね……」
伊月の日常にモーター音と言えば、パラグライダーしかない。だから、咄嗟にパラグライダーだと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。パラグライダーもこのポンプと同じくらい結構大きな音がする。
伊月は、巧を見ながら言った。
「巧さんって、ここ初めてじゃないですよね? それに『若返り』のためってどういうことですか?」
巧は、困ったように笑いながら言った。
「そうだね。幼い頃、母と一緒に来ていたかな。母が、身体のケアをしている間、俺は、裏の森でずっと植物観察してたよ。最低七日間は、ここから出られないからね」
巧の母ということは、鳴滝グループ会長夫人ということだ。
どうやら、ここはそんな日本屈指のセレブの定宿らしい。だが、巧の言葉に伊月はひっかりを感じた。
「最低七日間出られないって……どういうことですか?」
伊月の言葉に、巧は真剣な顔で言った。
「この旅館は、『若返りの宿』と呼ばれていてね……効果を出すためにも、最低7日間は滞在しないといけないんだ」
伊月は思わず、目を大きく開けた。
「え? じゃあ、最低でも七日間はこの宿に滞在するってことですか?」
「そうなるね」
――聞いてない。伊月は、そう思った。だが、こんな高級な旅館に七日など、料金は大丈夫なのだろうか? 伊月は、恐る恐る巧に尋ねた。
「あの……ちなみにこの旅館の料金って……」
巧は、伊月に近付くと耳元で金額を伝えた。
「は……?」
伊月は、思わず巧をじっと見つめた。どうやら、ここは、伊月の年収くらいの宿泊料金のようだった。伊月が何も考えることが出来ずに驚いていると、巧が真顔で口を開いた。
「ねぇ、伊月さん。地位に名誉、そして潤沢な資産。人は、それらを手に入れたら、最後には、何を欲しがると思う?」
伊月は、真剣に考えながら言った。
「……え? 健康?」
巧は目を細めて言った。
「半分正解」
「……半分?」
伊月が顔を傾けると、巧が伊月から目を逸らして、空を見上げながら言った。
「そう、人は……過ぎ去った時間を求めるんだ」
「え?」
伊月は意味がわからなくて、ぼんやりと巧を見たのだった。
その後、巧は「のぼせたから、先に上がるね~~伊月さんはゆっくりしてて」と言って、部屋に戻った。
伊月は、一人、露天風呂の中でぼんやりと、空を眺めていた。
(過ぎ去った時間を求めるか……)
『健康』『若返り』『活力』確かに、それらは、その人なりに、過去には持っていた物かもしれない。
もしくは……過去のコンプレックスを『健康』『若返り』『活力』を手に入れて乗り越えたいのか……。
伊月が、露天風呂に浸かりながら、先ほどの巧との話を思い出していると、ずっと聞こえていたモーター音が止まった。
結構長い時間、モーター音は聞こえていた。
伊月は、露天風呂から上がると、旅館に用意してあって部屋着を来て、部屋に戻ると、巧がベッドで爆睡していた。
どうやら、巧はかなり疲れていたようだった。
(あ……巧さん、疲れてたんだ……散策、明日にすればよかったかな……)
伊月は、そう思いながら、冷蔵庫を開けて水を飲んだ。
先ほどまで、森を散策して動き回った。昼食は美味しかったし、温泉は気持ちよかった。そう言えば、伊月もここ数日残業続きで寝不足だった。
「ふぁ~~あ」
伊月も心地よい眠りに誘われて、ベッドに入った。
(少し横になるだけ……)
そう思いながら、目を閉じたのだった。




