10 完璧なセキュリティー
「美味しかった。ごちそう様でした」
巧がそう言って、箸を置いたのを見計らって、伊月は、真剣な顔で言った。
「巧さん、部屋に戻りましょう」
昼食を終えたタイミングで、伊月が引きつった笑顔で言った。
伊月は、先ほど庭で京香が、巧に言った『若返りのため』という言葉がどうしてもきになったのだ。
巧も何か知っている様子だったし、一体ここがどういう場所なのか知っておきたかった。
そうでなくても、山奥の旅館にしては、設備が整い過ぎている。
「そうだね。部屋に露天風呂もあったし、お風呂に入るのもいいよね」
巧は、とてものんびりと答えた。
まるで緊張感がない。
伊月は、思わず頭を抱えた。
本当に巧は仕事をする気があるのだろうか?
伊月がげんなりと肩を落としながら、部屋の前まで来ると、巧が立ち止まった。
「どうしたんです?」
立ち止まった巧に伊月が尋ねると、巧が上を向いたまま声を上げた。
「これ……キクイモの花だ」
「え?」
伊月が、巧の視線を見ると、ここに着た時『コスモスだろうか?』と思った花の絵を見上げていた。
確かにコスモスにしては花びらが、細いように感じていたが……。
「確かに……花びらの数と、葉の特徴が一致しますね」
花びらの横に少し彫られている葉の造形もキクイモのよく似ていた。
もしかして、他の部屋にも、同じ絵が描かれているのだろうか?
それとも違う絵が描かれているのだろうか?
この木の板に彫られた絵は、ただの飾りかもしれないが、なぜだろうか、伊月はこの絵が非常に気になったのだ。
(他の部屋も確認したい……)
伊月がそう思っていると、巧が楽しそうに言った。
「伊月さん、他の部屋も行ってみる?」
「はい」
伊月は、迷うことなく巧の提案に頷いたのだった。
他の部屋に行くには、一度共通のエリアに戻る必要がある。
伊月と巧は、そして、巧と伊月が他の部屋も確認しようと思い、共通エリアに戻った。
部屋のへの通路は五つあるようだった。
(部屋は5つしかないのか……これだけ広大な土地なのに……随分と贅沢だな)
「ここ行ってみよか」
「はい」
伊月と巧は、手始めに泊まっている場所の隣の通路を進むことにした。
「開きませんね……」
通路を進もうとしていると、ガラスの戸に阻まれた。
伊月たちの部屋に向かう途中にも確かにガラス戸はあるが……自動で開くので深く考えていなかったが、どうやら誰でも自動で開くわけではないらしい。
「通れませんね……」
伊月がそう呟くと、巧も頭をかきながら言った。
「あ~~これってもしかして……顔認証?」
「なるほど」
どうやら、その通路の先には、宿泊者以外が、入ることはできないようだった。
つまり、他の宿泊者のエリアに入ることはできないのだ。
随分と徹底したセキュリティーだ。
「徹底してるな~~」
伊月が感心したように言うと、巧が困ったように言った。
「まぁ、仕方ないか……伊月さん、とにかく一度、部屋に戻ろうか」
「はい」
こうして、伊月と巧は、自分たちの部屋に戻ったのだった。
(あの絵、やっぱり気になるような……なんとかして全部見ることが出来ればいいけど……)
伊月が絵のことを考えていると、巧が、何かの化粧品の瓶を持ちながら言った。
自社製品のようだが、正直に言うと、女性用の化粧品は種類が多くて商品の名前は覚えられても、使用用途は、よくわからないのだ。
「伊月さん、化粧崩れてるから一回落とそうか? 昨日の夜から化粧したままでしょ? 夕食の前にまた化粧してあげるから」
伊月は、すぐに頷いた。確かに化粧を落としてもらえるなら、助かる。やはり化粧をすると肌に違和感を感じるのだ。
「お願いします」
伊月が素直に頭を下げると、巧が手招きをした。
「うん。ここに座って」
伊月は洗面室のすぐ隣にあった小部屋に伊月を呼んだ。
どんな用途の部屋か気になっていたが、どうやら独立したメイクルームのようだった。
化粧専用の場所だというメイクルームの照明は、とても明るかった。
伊月がぼんやりと、椅子に座ると、巧は伊月のウィッグを外して、前髪を止めると、クレンジングを自らの手に取りながら言った。
「少しひんやりするよ」
「はい」
「あと、目、閉じて」
「はい」
伊月は言われるがまま巧の指示に従った。
巧は、伊月の顔に、丁寧に顔にぬるぬるとした液体を広げていった。巧のあたたかい手で、顔を撫でられると、気持ちよくて、眠くなってきた。
しばらくすると、顔の液体をキレイに拭き取られた。
「うん。いつもの伊月さんだ」
伊月が、鏡を見ると、確かにいつも自分が映っていて、ほっとした。
顔がさっぱりしたが、汗をかいたので汗を流したいと思った。
(露天風呂あるって言ってたよな……昼間っから入ってもいいのかな?)
伊月がじっと露店風呂の方を見ていると、巧が大きなバックから化粧品を取り出して、鏡台に並べながら言った。
「伊月さん、一緒に露店風呂に入って、夕食まで少し休もうか」
「一緒に……」
風呂には一人で入りたいとは思ったが、時計を見ると昼の一時を過ぎている。お昼も美味しくて結構食べたし、昨日、巧は一晩中運転をしていたのだ。もしかして、かなり疲れていて、すぐに休みたいのかもしれない。 伊月も、散策して汗もかいたし、少し寝たいし、なによりさっきの話を詳しく聞きたい。
風呂の中なら、ゆっくりと話せるだろう。
「じゃあ、風呂入って、ゆっくりしましょう」
「うん。ふぁ~~あ」
巧、頷きながら大きなあくびをした。やはり疲れていたようだ。
こうして、伊月と巧は、露天風呂に向かったのだった。




