ユイの葛藤と“精霊加護保険”の奇跡
森は夜の帳に包まれ、月光が枝葉の隙間から静かに降り注いでいた。
ユイは大きな樹の根元で膝を抱え、小さく震えていた。
(もう、何も失いたくない……)
数か月前、彼女の家族と森の仲間たちは、突如現れた魔物の群れによって命を落とした。
ユイはただ泣くことしかできず、何も守れなかった自分を責め続けてきた。
精霊の歌も、森の祝福も、もはや彼女の心には届かなかった。
人を信じることが怖くなった。新たな仲間を作るのも、失うのが怖くて距離を置いてきた。
それでも、森を離れずにいたのは、まだ何かを守りたい――その想いが、消えていなかったからだ。
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そんな時、町のギルドで“保険”なるものが流行っていると耳にした。
仲間を守るために“契約”を交わすという奇妙な魔法――
半信半疑でギルドを訪れ、カウンターの向こうに立つジロウを見た瞬間、ユイは少しだけ心が安らぐのを感じた。
彼は、どこか懐かしく温かい目をしていた。
エルフでも人間でもない、不思議な存在感。けれど、その声には嘘がないと直感した。
「私、もう……何も失いたくないの」
そう言った時、ジロウは真剣な顔で頷いてくれた。
「守りたいものがある人のための“保険”です。誓約してくれますか?」
迷いながらも、ユイは震える指でジロウの差し出した契約証書に触れた。
その瞬間、温かな風が頬をなで、指先に精霊の光が灯る。
《精霊加護保険》――それは森の精霊たちが彼女の願いに応え、森の守り手としての力を再び与えてくれる奇跡の契約だった。
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数日後、魔物の群れが再び森に現れた。
恐怖に足がすくむユイの背中を、ふわりと精霊たちのささやきが押す。
(大丈夫――あなたは守られている)
ユイは恐る恐る詠唱を始めた。契約証書が光り、森中の精霊がユイの歌に呼応して現れる。
無数の光が森を包み、魔物たちの進行を妨げた。
仲間たちも無事に救われ、森は再び静けさを取り戻した。
(本当に、守れたんだ……)
ユイは涙を流しながら、何度も何度も精霊に、そしてジロウに感謝した。
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ギルドへ戻ると、ジロウは変わらぬ穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、ユイ」
その一言が、ユイの胸にやさしく染み渡る。
(この人なら、信じてもいい……
この人のそばにいれば、きっとまた笑顔を取り戻せる)
ジロウに救われたという想いは、やがて静かな憧れと恋慕に変わっていった。
彼の力になりたい、もっとそばにいたい――
ユイはそっと、ジロウの背中を見つめて微笑んだ。
それは、彼女が長い時を経て初めて抱いた“希望”の微笑みだった。