第二章 はじまりの保険証券
レムとの「冒険者損害保険」契約は、ギルド内にさざ波のような動揺をもたらした。
「本当に、これで怪我や呪いから守られるのか?」
「契約書が、勝手に光って浮かんだぞ……魔術の類いか?」
「いや、契約が成立するまでに“制約”と“誓約”だと?妙に手続きが厳しいじゃねえか!」
冒険者たちが詰め寄る中、ジロウはひとつひとつの質問に丁寧かつ営業トーク全開で答えていく。現世で鍛えられた対人スキルと話術、そしてなにより“誠実さ”が、やがて彼らの猜疑心を薄めていった。
「……これで、いざという時に俺の家族に保証金が支払われるのか?」
「無茶な冒険も少しは安心して挑めるかもな」
「だが――保険料はどうすればいい?」
ジロウは考え込む冒険者たちに笑みを返し、こう付け加える。
「現金がなければ、冒険で得た“何か”でもいい。命の重みを知っている人間には、“信頼”こそ最高の対価だ」
契約から三日後、村の外れに棲むオークの討伐依頼が舞い込む。
レムは新たな“安心”を胸に初の討伐隊に加わることになった。
「……これで、本当に守られるのか?」
緊張を隠せぬまま、レムは森へと足を踏み入れる。オークの襲撃を受け、仲間が怪我をした瞬間――ジロウの“契約証券”が淡い光を放つ。
仲間の傷は穏やかに癒え、レム自身も身体が軽くなるのを感じる。
「まさか、本当に……保険が効いた!?」
冒険を終えてギルドに戻ったレムは、驚きと感動をそのままジロウにぶつけた。
「ありがとう……その、助かった」
彼女の無表情に、ほんの少しだけ赤みがさす。その様子を見て、ギルドの空気が目に見えて変わり始める。
「おい、新人!俺にも頼めるか?」
「俺の剣にも“破損保険”をかけてくれ!」
「家族全員分、まとめてどうだ!?」
次々と契約希望者が現れ、ジロウは対応に大忙しとなった。保険女神ミーティアから授かったスキルが、想像を超えて異世界で通用し始めている。
その夜、ギルドの隅でひとり佇む少女の姿があった。
深い夜の森を思わせる黒髪ロング、澄んだ紫の瞳、エルフ特有の長い耳――
ユイだ。
「……あなたが、“保険”の商人さん?」
静かでありながら、どこか影のある声音。ジロウは軽く頭を下げる。
「はい。どんな相談でも乗りますよ、お嬢さん」
「私、もう何も失いたくないの。家族も、森も、仲間も……でも、守れる自信がないの」
ジロウは、彼女の真剣な瞳をしっかりと受け止める。
「守りたいものがある人のための“保険”です。誓約してくれますか?」
ユイは静かにうなずき、指先を重ねて誓いの印を描く。
新たな《契約魔法》が発動し、森と命を守るための「精霊加護保険」が結ばれる。
その瞬間、ユイの肩に小さな光の精霊が降り立ち、彼女の頬にやさしい微笑みが浮かんだ。
――こうして、“安心”の輪は少しずつ、しかし確実に異世界に広がりはじめていた。
「面白くなってきたじゃないか……」
ギルドのカウンター越しに、壮年のギルドマスターが酒を傾ける。その眼差しは、遠い昔に見た“商売人の夢”を懐かしむように優しかった。
ジロウの“営業”は、まだ始まったばかりだ――。