第一章 異世界で“営業開始
――人は一夜で何もかもを失い、一夜で新しい全てを手にすることもある。
「……ん、ここは……?」
目を覚ましたジロウは、見慣れぬ天井と、ほんのり香ばしいパンの匂いに包まれていた。起き上がると、分厚い木製のベッド、壁には素朴なタペストリー、窓からは緑豊かな森と、煙を上げる小さな村の景色が広がる。
「本当に、転生したってわけか……」
記憶は鮮明だ。女神ミーティアとの邂逅、異世界への旅立ち、そして与えられた《契約魔法》のスキル。
だが、身体は明らかに若返っている。伸びた手足、指先のしなやかさ、鏡に映った顔には十六歳の少年の面影――
「……十六年ぶりの青春か。ありがたいけど、また部活からやり直しかよ……」
思わず苦笑するも、今度の“部活”は異世界営業。そう思い直して立ち上がると、扉の向こうから元気な声が響いた。
「ジロウ、朝飯できたぞー!」
駆け寄ってきたのは、逞しい長兄と活発な次兄――この世界での家族。どうやら三男として小商人の家に生まれたらしい。簡単な自己紹介をすませると、家族は皆、どこか“商売人”特有の目の鋭さを持っていた。
食卓では、焼きたてのパン、濃厚なチーズ、野菜スープが並ぶ。ジロウは「ごちそうさま!」と自然に箸を伸ばしながら、食卓の会話を観察する。
「ジロウ、今日は冒険者ギルドの求人見にいくんだろ?」
「まあ、せっかくの転生だし、バイトからやるか。営業の基本は足で稼ぐことだしな」
家族が去った後、ジロウはポケットに“保険女神”から託されたクリスタルのペンダントを忍ばせ、ギルドのある町へと向かった。
ギルドの掲示板には「魔物討伐」「護衛依頼」「荷物運び」などがずらりと並ぶ。命を賭ける冒険者たちの真剣な声、血気盛んな笑い声が飛び交う。
「おう、新顔だな。用かい?」
カウンターの奥、渋い壮年のギルドマスター――どこか財前恩師の面影がある――が声をかけてきた。
「はい、新米ですが、働き口を探していまして――」
「ふむ……。だが、ここは甘くねぇ。何ができる?」
ジロウは一歩前に出て、営業スマイルで切り出した。
「保険です。皆さんの命や財産を守る“契約”を提供します!」
一瞬、場の空気が凍る。「保険?」と誰かが呟き、他の冒険者たちは訝しげな視線を投げてくる。
「この世界じゃ命なんて自分で守るもんだぜ」
「新手の詐欺じゃねえのか?」
ジロウは微笑みを崩さず、クリスタルペンダントを掲げる。
「俺の話を三分だけ聞いてくれませんか?三分損したと思ったら、この場で土下座しますから」
ギルドマスターは目を細めたが、「面白い奴だ」と言って腕を組んだ。
ジロウは、かつて現世で学んだ「お客様目線」を思い出しながら、冒険者たちに語りかける。
「あなたたちの“もしも”のリスク、俺が引き受けます。
死傷した場合は治療費や家族への補償、武器や防具の損害もカバーします。もちろん、無理な条件はつけません。皆さんの“安心”が、俺の商売道具です」
冒険者たちの視線が、次第に変わっていく。
「もしもの時、本当に助かるのか?」
「契約の対価は?」
「どうせ高いんだろう?」
ジロウは「現金じゃなくてもいい。冒険で得た戦利品の一部、経験値、あるいは“仲間への感謝の言葉”でも」と、柔軟な対価を提示した。
“保険”はこの世界では未知の概念だが、「困った時のセーフティネット」への期待が少しずつ生まれ始める。
「よし、一つ試してやる!」
最初に名乗り出たのは、兎耳の少女・レムだった。小柄で無表情、だがその瞳の奥に微かな興味の光が宿っている。
「……“冒険者損害保険”を契約してみたい」
ジロウはクリスタルのペンダントを光らせ、初めての《契約魔法》を発動させた。
制約、誓約、成約――三つの段階をクリアし、光の証券が宙に現れる。
「これが、この世界初の“安心”の証だ」
新たな伝説の幕開けを告げる鐘の音が、ギルドに静かに響いた――。