【プロローグ】──その契約、命よりも重いかもしれない──
――人はなぜ「安心」を求めるのか。
「お客様の人生に、最後まで寄り添う。それが俺たちの仕事だ」
鳴瀬ジロウ――二十三歳から大手生命保険会社の門を叩き、出会った恩師や仲間、幾多のライバルたちとしのぎを削り合った日々。その努力はやがて日本一の保険代理店という頂に結実し、四十歳の今、ついにグローバル展開を目前にしていた。
今日もカジノオーナーとの大型法人契約を成立させ、都心の高層ビルを颯爽と歩く。手には最新のタブレット、胸ポケットには契約書。肩の力を抜き、どこか余裕の微笑みでエントランスをくぐる姿には、かつての不器用な新人の影など微塵もなかった。
「兄貴~! さすがっす! 今日の飲み、約束ですよ!」
後輩の葵が遠くから駆け寄ってきた。
「またかよ……。ま、今日は付き合ってやるか」
そう返しながらも、ジロウは心の底から満ち足りていた。
独立を勧めてくれた恩師・財前も、あいつならきっと今夜もどこかでうまい酒を飲んでいることだろう。
同期の一馬とは、互いに切磋琢磨し、いつしか“生涯のライバル”となった。
夢は手の届くところにあった――
世界中に「安心」という価値を届けること。
それが、ジロウの人生の到達点だと信じていた。
だが、運命はあまりに唐突に、その幕を引いた。
火災報知器のけたたましいベル。突如揺れるビル、鳴り響く緊急地震速報。
ガラスの割れる音、床に走る亀裂、悲鳴と警報。
ジロウは咄嗟に周囲を庇い、避難誘導を始める。
「落ち着け! 慌てるな――!」
だが次の瞬間、激しい衝撃とともに、崩れ落ちる天井、無数の瓦礫――
目の前に閃光が走り、思考が宙に浮く。
意識が遠のく中、ふとジロウの脳裏をよぎったのは、
「保険に入っててよかったな……」という、奇妙に冷静な自分の独白だった。
気づけば、目の前は真っ白な空間だった。
「ようこそ、ジロウさん。
ここは神界。あなたのような“安心の伝道師”を、お迎えするのは初めてです」
声の方を振り返ると、そこにはこの世のものとは思えぬほど美しい女性が立っていた。
長い銀色の髪、澄んだアクアブルーの瞳、清楚で知的な微笑み。
その存在だけで空気が輝くような、威厳と優しさを兼ね備えた神々しさ――
「……女神、様? まさか俺、天国行きですか?」
女神は優雅に頷いた。
「いいえ、あなたにはまだ“使命”があります。
私たちが管理する世界で、“保険”という概念を広めてほしいのです」
ジロウは一瞬呆気にとられたが、すぐに営業スマイルを作った。
「はあ……異世界で、保険営業……?
お客様は神様だって言いますけど、さすがに範囲が広すぎません?」
女神はクスリと笑い、クリスタルの本を手渡す。
「安心は、誰にとっても必要なもの――
あなたの経験と信念を、ぜひあの世界に伝えてください」
ジロウは新たな覚悟を胸に、女神の手を取った。
こうして、生命保険・損害保険のトップ営業マンは、
新たな“安心”を求めて、剣と魔法と魔物が跋扈する異世界へと旅立つこととなる――
世界の「安心革命」は、ここから始まる。