転
最初、世界は無だった。
そこに精霊が顕現し、精霊から自然が生まれた。
自然から命が生まれ、命の中に人と呼ばれるものが生まれた。
だが、新たに生まれた命は今までの命を侵すものだった。
新たな命を、人は魔物と呼んだ。
やがて力ある魔物は魔王と呼ばれ、魔物達を束ね人を襲う。
そんな魔物による侵略からもう一度再生を。
それが神聖国ソアの掲げる理念であり、世界の在り方だった。
ゾード・メラガは走っていた。
昨日まではそこは納屋だった。
一昨日はそこで作業をした。
先一昨日、そこで傷んだ野菜をぶつけられた。
かつて父母がいた頃は幸せだった。
父母を亡くしてもグレシアがいたから耐えられた。
けれどもう、思い出すのは辛いものばかり。
が、それでも生まれてからずっと住んでいた村が壊されるのに、ゾードは耐えられなかった。
「こっちへ!」
倒れて泣いている子供を起こすと、火から遠ざけるべく走り出した。
「た、魂無し?なんで!?」
「いいからはやくっ」
だが、間に合わなかった。
横から飛び出してきた狼に似た魔物に、子供の首から上は食いちぎられていた。
「っつ……ちくしょう!」
いつのまにか、魔物達に囲まれていた。
「出せ」
声がした。
振り返ると、そこには一人の男がいた。
彼は黒いマントを纏い、場違いな程に整った正装をしている。
魔物に襲われた村という今この場において、それはあまりに異質だった。
何より異質なのはその顔。
耳は鋭く細長い。
何より、青みがかったその肌と、口から覗く牙。
明らかに男は人間ではなかった。
ヒト型の魔物なのだろうか。
「君、この村にあるはずだ。出しなさい」
「何をだっていうんだよ」
訝しむゾードをよそに、男は告げる。
「霊石。そう呼ばれる黒い石だ。ここまで瘴気に満ちた場所だ。必ずこのあたりにある」
思う。
父の形見の不吉な石。
魔物を調査していた父が残したアレのことではないのか。
「そこまでだ、魔物野郎」
エンヴィルとグレシアが、魔物を蹴散らしながらやってきた。
グレシアはゾードを一瞥すると、吐き捨てるように呟く。
「ゾード。子供をこんな目に合わせながら、のうのうと何をしていたの」
「ぼ、僕は……」
「邪魔だ魂無し。この魔物野郎はぶっ飛ばす」
「ソウル・バース。来やがれ、ボルガレオ!」
「ソウル・バース。応えて、ヴォルケン!」
爆炎の剣と氷雪の槍が現れる。
それを男は忌々しげに見た。
「おぞましい。そのようなものを作り出してまでまだ抗うか。貴様達はいつまでも…!」
「魔物風情が喋ってるんじゃねえよ!」
エンヴィルは剣から爆発を噴き上げ、それを叩きつけた。
爆発は奔流となり男へと向かう。
「どうだぁ。ざまあみやがれ」
だが、爆発が晴れるとそこには無傷の男がいた。
「下らぬ。数多の屍を連ね、魂を弄ぶ畜生共が。そこまでして得た力がこんなものか?」
「馬鹿ぬかせよ。これはソウル。天が与えてくれた正義の力。てめえら魔物を滅ぼすためになぁ」
「驕るな……」
男は胸に手を翳し祈り始めた。
男が祈りを捧げると、巨大な爪が現れた。
翳した腕がそのままカマキリの刃になったようだ。
それを無造作に振るう。
エンヴィルはボルガレオで受けるが、吹き飛ばされた。
「エンヴィルっ!」
駆け寄りヴォルケンで氷の矢を放つグレシアだが、男は身じろぎさえしない。
寧ろ即座に距離を詰め、グレシアの腹部に刃を突き立てた。
「かっ……はっ……」
「滅せよ」
刃を引き抜く。
鉄の匂いが鼻をついた。
「グレシアぁ! よくも」
ゾードは男に殴りかかる。
「愚かにも程がある。ソウルでも手が出ない相手に素手で挑むなど」
男が腕を振るう。
それは一陣の風となり、ゾードを吹き飛ばした。
(起きなきゃ、起きなきゃ……)
だが、意に反し体は動かない。
微かに入る視界には巨大な壁と生暖かい液体だけがあった。
遅れて理解する。
これは血だ、大地だ。
自分は倒れ、そして……死ぬのだと。
「貴様の魂は穢れていない。何故だ。」
「……何……を?」
「そうか、貴様。穢れた魂を取り込んでいないのか」
男はゾードににじり寄る。
「穢れた、魂……?」
「貴様だけは見逃してやろう。代わりに霊石を渡せ」
「……ふざ……けるな」
「何?」
ゾードは起き上がり、叫ぶ。
「ふざけるなって、いったんだよこの人殺し。悪魔。お前が何なのか、僕は知らない。だけど村を襲って人々を傷つけて何がしたい、何が目的なんだ。お前らなんかに、何だって渡すものか!」
ぱちぱちぱち、と音が響いた。
それは殺戮の場にはあまりに不似合いな、拍手の音だ。
音の主はエストレヤ。
彼女は家屋の屋根に腰掛け、まるで観劇でも楽しむように、この一連の状況をみていた。
「君は素晴らしいよゾード。この腐った汚らしい世界にあってそんなにも清廉に、誠実に生きているのか。死に瀕して尚、君を苦しめた連中のために逃げもせず抗うのか」
エストレヤはひらりと飛び降り、そしてゾードに歩み寄る。
「ゾード・メラガ。汝に問う。汝はこの世界が好きか。この偽りばかりで穢れきったこの世界が。この世界に護る価値はあるのか?」
エストレヤはいつもの笑みを浮かべていない。
真っ直ぐ、ただ真なる意のみを問うている。
「僕にはこの世界がどうかなんてわからないよ。家族もいない、好きだった人の心ももうない。僕には何もないから。でも……」
ゾードは真っ直ぐにエストレヤを見返す。
そして
「魔物達を許してはおけない。僕は世界なんか救わない。僕の家族が愛したこの世界を壊させたくないっ!」
エストレヤはローブを振り払い、ゾードの手を握る。
強く、強く。
一瞬、ゾードは目を疑った。
空が、大地が、世界が歪んで見えたから。
空は淀み、大地は腐り、水は濁っていた。
美しいリ・バース世界の何もかもが一瞬醜く見えた。
瞬間、ゾードの手から何かが光を放った。
「ゾード・メラガ。『真のソウルと対話せよ』」
ゾードの脳裏に言葉にならない声が響く。
それは亡き父の懸命な訴えであり、亡き母の優しい歌だった。
幼い頃家族で歩いた道があった。
団欒を喫した家があった。
幸福な過去があった。
それは確かにあった。
光輝いていた。
その輝きが弾け、闇が吹き出した。
「魂よ転生せよ(ソウル・リバース)」
ゾードが手を翳す。
そこにあったのは父の形見のあの石だった。
闇が広がる。
ゾードの手には、一振りの短剣があった。
装飾はない。
刀身から柄尻に至るまで、闇よりも深い黒。
只々殺意だけを固めて作られた鋭刃。
「な、なんだそれは。ソウルではない。そんなもの、見たことないぞ?」
「僕も知らない。でも、使い方はわかる。いくぞ。『ゼレイド』」
短剣を構えて走り出す。
一足飛びに間合いを詰めるゾード。
「何だと?」
ゾードの動きは一瞬。
踏み込む音と、刃を貫く音だけが響いた。
斬る。
刺す。
払う。
それらの音だけが重なり、音が響くたび鮮血が舞った。
「……ゾード。君のソウルの能力は速度の向上、なのかな? それだけではないだろう」
エストレヤは笑う。
「魅せてくれ。君の『真のソウルの力』を」