承
魂割れ
聖歴300年、秋。
ニニア村に一人の客がやってきた。
ボロボロの衣に身を包んだその人物は、鼻歌を歌いながら村を進んでいく。
「ら〜れ〜ろ〜れれれ〜♪」
歌はまるで調子っ外れで、宛ら垂れ流しの不協和音だった。
「いやあ,実にきったない村だねぇ。まるでゴミだめだ」
ケラケラと笑うその声は、年端もいかない小柄な少女。
オンボロのローブと目深に被ったフードに、枯れ木の杖。
傍目には怪しい魔女か何かのようにさえ見えた。
そんな悪態を隠しもしない彼女に、村人は冷たかった。
「……で、君は何でここにいるの?お客さんなら宿や村長のとこにいけばいいだろ?」
訝しげに問うのはゾードだ。
ここはゾードの家である。
「……詮無いことだよ。私が村が如何に汚いかを滔々と語ってやったら逆恨みをされてね。
『良薬は口に苦し』というやつさ」
「君の性格のせいだね」
「手厳しい。君、『口は災いの元』って知ってるかね?」
「……多分、君よりは」
ゾードはすぐに理解した。
村人は、この変な客人の世話を自分に押し付けたのだ。
「しかしまあ、ここはそこまで汚くないね。『掃き溜めに鶴』だとはいわないが、不快ではないよ」
言われてゾードは訝しむ。
ろくすっぽ掃除もしていない、ゴミだらけのボロ屋のような自分の家を彼女は「不快ではない」というのだ。
「用法違わない? 大体、こんなに汚いのに?」
ゾードの言葉を、少女は指を振りチッチッチと意味ありげに否定した。
「『綺麗は汚い、汚いは綺麗』だよ。目に見えるものが見たままそうであるとは限らないからね」
少女は立ち上がると、壁に飾られた石に手を伸ばした。
「これは?」
石は黒い。
夜の闇よりなお深い闇黒を纏うその石は、どこか不吉な空気を感じさせた。
まるで呪いの塊だ。
「……父さんの形見だよ。だからなんか捨てられなくってさ」
「なるほど、だからここは不快じゃないのか。
聞こうじゃないか。君の父君はいったい何をしていたのかね?」
「聞いてどうするのさ」
「『好奇心は猫をも殺す』らしいが、私の好奇心は猫より強くてね。そう、私は気になったらとことん知りたくなる性分なのさ」
ゾードは嘆息すると、やがて語り始めた。
「僕の父さんは魔物の研究をしていたんだよ。魔物とは何で、どこから来るのか。どうすれば魔物を倒せるのか。色々とね」
「それは何とも勤勉な御仁だね、君の父君は。成る程、だからここの空気は澄んでいるのか」
「空気が、澄んでいる?」
一体何を言っているのか。
ゾードにはわからなかった。
重く澱み、死臭すらするこの石のどこが澄んでいるのか。
まるであべこべではないか。
この女は天邪鬼にも程がある。
「いずれわかるさ。さて、今夜は寝よう。君、まずいお茶を淹れてくれないか」
「君じゃない、ゾードだ。君は?」
「エストレヤと呼んでくれ給え」
変な子だ。
ゾードは、その第一印象をより一層強めた。
翌日、ゾードはエストレヤを伴い村を案内していた。
どこにいってもエストレヤは悪態と皮肉と蘊蓄をやめない。
そういう病気なのだとゾードは理解していたが、それと重たい気持ちは別だった。
「あ?魂無しじゃねえか。何だよそれ。お前の女か?」
現れたのはエンヴィルだ。
傍にはいつものようにグレシアが寄り添っている。
「失敬な猿だね。そこのワンコ、動物の躾はしておき給えよ」
「あぁ?猿って何だよ。俺のことか?」
エンヴィルはすぐに激昂した。
ソウルに選ばれ、周囲からもてはやされ慣れていた彼にとり、面と向かって刃向かわれるなど数年振りのことなのだ。
「……ワンコって、私?」
グレシアの声も冷たい。
ゾードは内心で嘆息する。
3年前、彼女は愛犬を亡くしている。
それ以来、彼女に犬の話はタブー扱いだったのだ。
知っている訳はないとゾードは思う。
だが、その言葉の選び方と単語は間違いなく、彼らにとってはとびきりの地雷だった。
「ふっ、畜生は身の程というやつを知らないから困る。サッサと離れ給え。穢れが移る」
エストレヤはこれ見よがしに、箒のように手を払う。
それこそ、犬にでもするように。
「テメェ、ヨソモンだな?何もしらねぇ癖に好き放題抜かしやがってよ」
激怒するエンヴィルをグレシアは一切止めなかった。
「何なんですか、あなたは」
嫌悪を隠しもせずグレシアは吐き捨てる。
「私か?そうだな、強いて言えば……天使かな」
エンヴィルとグレシアは息を止め、やがて笑い出した。
「頭ァ大丈夫か? そんなボロボロで汚ねえカッコしたみすぼらしい女が、自分を天使だとか抜かしてるとかなんのギャグだよ。テメェこそ身の程を知っておけよ」
「その天使様が一体、ゾードと何をしているの?」
「探し物かな。多分そろそろ見つかる」
自称・天使は踊る。
黒く汚れたローブをたなびかせ、枯れ木の杖を振るその様は、天使どころか悪魔か死神のそれだった。
「多分、明後日だね」
「明後日?そんな日に何があるっていうんだァ?」
明後日は、無の日。
月に一度、月の光の届かない闇の日。
この日は特に魔物の力が強まるとされ、群れのリーダーが発生したり、魔物が群れとなって現れる『妖魔夜行』と呼ばれる現象が起きたりする日なのだ。
リ・バースに住む人間なら誰もがその日を忌避する。
「探し物、だよ。あるといいんだがね」
無の日になった。
エストレヤは何を考えているのか、今日もゾードを伴いフラフラとしていた。
奇異の目を向ける者や悪態をつく者はいたが、誰もそれを止めない。
外部の人間に村を守る義務はない。
むしろ旅人を守るのはこの世界では義務だからだ。
そして、それはゾードにとっては幸運だった。
この数日、おかしな少女の相手は大変ではあったが日々の過酷な労働が免除され、十分な食事が得られたからだ。
村中がピリピリしている。
いつ魔物が出てもいいように家屋は扉を閉め、家畜や馬などの動物達も外にはいない。
今、この村において、ゾードとエストレヤの二人だけが場違いであった。
「それにしても愉快だね。君はだいぶ嫌われているようだ。ゾード、君は一体何をやらかしたんだい?」
「何も。逆だよ。『何もないから嫌われる』んだ」
ゾードは今までの出来事を語る。
家族を魔物に襲われ喪ったこと。
グレシアと婚約し一緒に暮らしてきたこと。
魂降しの日に何のソウルも得られなかったこと。
エンヴィルとグレシアがソウルに選ばれ、二人が婚約したこと。
今日に至るまでの全てを。
「……それが僕の人生さ。多分この先も僕には何もないんだよ」
「ふむ、なら……」
エストレヤはいつもの薄笑いをやめた。
それは彼女が村に現れて以来、初めてのことだった。
「君には資格があるよ、ゾード。君が望むなら、世界の真実を観ることができるだろう」
「一体君は何を言っているの?」
そんな話をしていると、叫び声が響いた。
妖魔夜行が始まったのだ。
ゾードが外を見ると、大量の魔物が群れとなり進軍してくる。
数は百か、二百か。
否、そんなものでは済まされない程。
数えるのも馬鹿馬鹿しい。
そんな大群が村に押し寄せてきた。
「守りを固めろ」
ゾードは思う。
グレシア達だけではこの村を守れないのではないか、と。
だが、走り出そうとするゾードをエストレヤは止めた。
「どこへ行こうというのかね?」
「決まってるだろう?村を」
「どうしようというのかね?否、どうしたいのかね?君を裏切り、傷つけてきたこんな村を真逆君は守りたいとでも?」
一瞬、ゾードは口籠る。
エストレヤは更に畳み掛ける。
「君の友達や元婚約者が何とかしてくれるさ。気楽に待ち給え。ダメでも村が滅びるだけだよ」
ゾードは村を見る。
エンヴィルやグレシアが戦っていた。
だが、あまりに多勢に無勢だった。
撃ち漏らした魔物達が村を襲っていく。
魔物達は人々を食らい、家屋を燃やしていく。
「うぎゃああ、腕が、腕があぁ」
「ママ、ママ、どこなのぉー!」
「あんた、目を覚ましとくれよ、あんたぁぁ!」
声にならない声が村に響く。
「世界はいつだって「真逆」でできている。そんなはずはなかった、そんなことはありえない。そんなことは許せない。こんなことがなければ。その連続だ。そして力がなければそれは変わらない。だが力はあるところにあって不変だ。君の魂もそうだろう?」
「ごめん。よくわからない。でもここは僕の村なんだよ。みんなが僕を嫌いでも、魂無しと馬鹿にされても、それでもみんなを見捨てるのは違うと思う」
「これは驚きだ。君のお人よしは大概だね。だがソウルのない君に何ができるのかね」
それは事実だった。
力がなければ何もできない。
この二年、ゾードはそれを痛感してきた。
「でも、できるからやるんじゃない。せずにはいられないからやるんだよ!」
ゾードは走り出した。