寒端の狐
しいなここみ様『冬のホラー企画3』参加作品
今となっては、かなり昔の話になる。
まだTVがブラウン管で、固定電話を使っていた時代。でも、さすがに黒電話じゃなかったな。プッシュホンだったし留守番電話も使っていたよ。
そのぐらいの頃だ。
オレは大学を中退し、付き合っていた女にも振られ、両親と大喧嘩して半ば勘当された。それで山奥の一軒家に住む祖父の所に転がり込んでいたんだ。
「俗世間から離れ、自分を見つめ直す」
とか、恥ずかしいこと言ってたな。
そういうのが少し流行ってたんだよ。競争社会を否定し、世間を離れ、世捨て人みたいなのが、カッコイイと一部で思われてた時代なんだ。
『自然体で生きる』とか言ってさ、かえって不自然な生き方をするヤツらに憬れたりね。アホらしいだろ?
祖父は貯蓄と、年金と、別荘の管理で食っていた。別荘と言っても自分のじゃない。持ち主から掃除やらなんやらのメンテナンスを請け負っていたんだ。
オレはそれを手伝いつつ、たいていはゴロゴロしていた。
じいちゃんは、そんなオレに何も言わなかったな。それが居心地が良くて
「オレ、このままじいちゃんの仕事継ぐよ」
なんてことをよく言ってた。その度にじいちゃんは「バカ言え」とだけ答えた。
そりゃそうだ。後で知ったが、当時、その仕事はたいした稼ぎにはなっていなかった。オレはじいちゃんの貯蓄と年金を食いつぶしていたんだ。
そんなじいちゃんが、一度だけオレに強く命令したことがあった。
それは2月のはじめ頃。すっかり雪かきにも慣れて、どんだけやっても筋肉痛がおきなくなった頃だ。
「今日は日が暮れる前に絶対に帰ってこい」
って。今まで見たことないような真剣な顔だった。
「作業終わらなかったら?」
オレはヘラヘラと答えた。
「途中でいいから帰ってこい」
「分かったよ」
あまりにじいちゃんが真顔なので、オレはそれだけ答えた。
オレは長靴を履き、手袋をはめ、ベストにダウンにニット帽というフル装備で家を出る。
「暑いな・・・」
思わず呟いた。まだ午前9時頃のはずだが、その日は随分日が強く感じたんだ。雲一つない、久しぶりに見る快晴だ。
もう少し軽装に変えようかとしたが、じいちゃんの強い反対にあった。
「こんな天気はすぐ変わる。『寒端』の日は絶対に油断してはいけない」
じいちゃんは言った。寒端とは、突然異常なほどの快晴が訪れ、そして急に崩れるという、この地域特有の現象らしい。
それは寒さの端、つまり寒さと暑さの境目にいるから天気がコロコロ変わるんだと考られており、地元の人は寒端と呼ぶとのこと。
「寒端と早く帰ることと関係あるの?」
オレは聞いた。じいちゃんは頷いた。そしてボソリと言った。
「寒端の日は、狐に連れていかれる」
その話を聞いて、シャレじゃないが本当にオレは狐につままれた顔になっていたと思う。ただ、じいちゃんが真剣に話しているのに茶化すのも違うと思い、「わかったよ」とだけ言って家を出た。
その日の作業は、二つの別荘の雪かき、雪下ろし、清掃、風通し、備品点検だ。
夏はちょうどいい避暑地になるのだが、雪で覆われる冬に来る人は少ない。だからメンテナンスしないと本当に雪で潰れてしまうんだ。
他の季節では水通しなんかの作業も入るんだが、冬はそれは無い。凍結防止の為に水道管の水自体を抜いてしまうからね。
そんな作業をしに最初の別荘に向かう。
本当にその日は暑かった。あたりは雪で真っ白なんだけど、日差しだけやけに強いんだ。
着いた頃には汗だくになってたから、たまらずダウンとニットは脱いだね。雪かきも、雪下ろしも筋トレみたいなもんだからさ、とてもじゃないが、やってられないんだ。一通り終わる頃には手袋すら脱いでいた。
作業を終えると昼頃だった。スケジュール的には順調だ。
ますます日が強く、暑くなっていたので、オレは別荘の庭で昼食を食べた。昼食といっても自分で作ったデカいおにぎり二つだけどね。
オレは雪を払った庭のベンチに腰掛け、クシャクシャのアルミホイルを剥いておにぎりにかぶりついた。
中の具は梅干し。じいちゃん自家製の酸っぱいヤツなので、口に入れる前に少し勇気がいる。でも、肉体労働をした後では、これが欲しくなるんだよな。眉間と鼻の周りをシワシワにしながら食べると、なんか効いた気がするんだ。
気合いで食べて、しっかりしゃぶった種を出してアルミホイルにくるむと、やりきった気がする。
そこでオレは少し放心した。
あまりに天気が良かったからね。ベンチに座って日差しを浴び、雪の匂いを嗅いでたら、なんか眠くなってきたんだ。
雪の匂いって分かる?日に当たって溶けかけの雪って、濡れた金属みたいな独特の匂いがするんだよ。
ともかくオレは、少しだけ座ったまま仮眠した。
しばらくしたら、木から雪解け水が頭に落ちてきた。
それで目が覚めて、オレは次の別荘に向かった。
相変わらず暑い。
こんなに暑ければ、雪も融けるだろうと思った。
実際に積もった雪はいつもよりだいぶ低くなっていた。
オレはコートの前を開け、帽子も手袋もつけずに歩いていた。
やがてコートも脱いでしまった。あまりに暑かったからだ。
地面は所々、土が見えている。オレは気を付けて歩いた。こういう地面は融けた雪でぬかるむので滑りやすい。そして、万が一転んでしまったら、とんでもなく汚れるんだ。
しかし、目的の別荘に着く頃、地面はぬかるみも無くなり、ただの湿った土になっていた。
そして、オレは玄関で思案に暮れた。
雪が無いんだ。
雪下ろしも雪かきも、やる場所がない。
ならば掃除と設備点検だけして帰ろうかと鍵を探ると玄関のドアが開いた。
「あら、お疲れ様」
人が出てきた。住人がいるとは聞いていないのでオレは言葉を失った。
出てきたのは若い、品の良い女性だった。白いセーターに黒のスカートを履いている。冬のこんな所でスカートを履いているなんて珍しいので、上品さも相まって浮世離れした印象を受けた。
「管理の方でしょ?どうぞ」
女性は笑顔でそう言うと、パタパタとスリッパを鳴らしながら家の中に入って行った。
オレが玄関でしばらく躊躇していると、奥からもう一度「どうぞ」という声がした。管楽器のような澄んだ声だが、有無を言わさない威圧感を感じた。
彼女はこの別荘のオーナーなのだろうか?口ぶりからするとそうだ。しかし、顔に覚えはない。オーナーの身内ということだろうか?そんなことを考えつつ、そうなら、これ以上無視するのも失礼と思い、オレは中に入った。
いつも掃除をする無人の別荘と違い、暖房の効いた、とても暖かい部屋だった。オレは促されるままソファに座ろうとし、挨拶がまだだと気づいて思いとどまった。
「すみません。オーナーの方でしょうか?初めましてですよね?」
「あら、そうだったかしら。でも私は存じ上げておりますよ。友理恵と言います」
彼女は柔らかく微笑んだ。そして今度こそソファに座らされた。
「せっかく来ていたのにね、していただくことがないの」
彼女は少し困ったような笑みを浮かべた。
「もう、お掃除もしちゃったのでね。だから、お茶でも飲んでいってください」
そう言って友理恵と名乗った女は奥に入った。
お茶?
水道管は水抜きしているはずだ。元栓も閉めてある。まぁ開ければ出すことは出来なくも無いが、見るからにお嬢様の友理恵が、そんな作業をするとは思えなかった。
魔法瓶か何かで持ち込んだお茶かな?そんなことを考えていると、お盆に高そうなティーポットとカップを乗せて友理恵は戻ってきた。
当時は珍しいアールグレイの紅茶で、とても良い香りがする。しかし、これを飲んでいいものだろうか?一抹の不安を感じるも、友理恵はオレが飲むまで対面でじっと見つめている。
オレは覚悟を決めて、動揺を悟られないように一口含んだ。
美味かったよ。後にも先にもこれほど美味い紅茶を飲んだことがないぐらい美味かった。
続いて、アップルパイを出された。それも焼きたてのヤツだ。
こんな冬山に、一人でアップルパイを焼いてどうするつもりだったのだろうと思いつつ、これも美味かった。
食べ終わると今度は夕食にと誘われた。
「いや、さすがに悪いので、これでお暇します」
「遠慮なさらずに」
「いえ、次の別荘に行かなければいけないので」
「そんな予定ないでしょ」
友理恵は、じっとオレの目を見て言った。オレはその目を逸らせなくなった。
「それに、もう外には出られませんよ」
「えっ?」
混乱しているオレに対して、友理恵は窓を指した。
真っ暗になっている。
真っ暗で真っ白だ。
オレは窓に向かった。あんなに晴れていていたのに、外は吹雪になっていた。
土が露出していたはずの地面は、すっかり雪で覆われている。
「今日は泊まって行ってくださいな」
友理恵が言う。
「おじいさん、管理事務所にはさきほど、私からお電話しておきました」
オレが考えたことを、声に出す前に先手を取られた。
「あの、でも!!」
何か言いかけた口を、友理恵の口が塞いだ。
一年が過ぎた。
オレは友理恵の父が経営する会社に就職していた。友理恵が浮世離れをしているのも納得の大企業だった。コネ入社で疎まれないように必死に働いたよ。
そのせいか、少しずつ会社にも居場所が出来てきた。
三年が過ぎた。
友理恵との間に第一子が出来た。それを機に籍を入れた。順番が逆になったが、半ば公認だったので、それほどモメはしなかった。
しかし、仕事の方が大変だ。玉の輿という目で見られる。
友理恵と義父の顔に泥を塗らない為にも、ますます必死で仕事をした。
十年が過ぎた。
お陰様で、オレはそれなりの地位についていた。そして、出会って10年を記念して休暇を取り、家族で例の別荘に赴いた。
「お父さん見て!すごい晴れている!」
長男が言った。一面の雪景色ではあるが、日差しが強く、少し歩けばコートがいらないほどだ。
「○○君の所に行ってきていい?」
息子が聞いてきた。
かつて冬は雪に埋もれ閑散としたこの別荘地も、数年前に大規模な温泉が発掘され、ちょっとした観光地になっていた。新たな別荘も増え、いくつかご近所付き合いも出来て、長男はここで友達もいるのだ。
「いいけど・・・今日は日が暮れる前に絶対に帰ってこい」
自然とその言葉が出た。
「こんな天気はすぐ変わる。寒端の日は絶対に油断してはいけない」
次々に自然と出る言葉に、おれは自分でも不思議になった。
何か胸騒ぎがする。
夕方になっても息子は帰ってこなかった。
外は暗くなり始めている。
心配するオレを他所に、友理恵は涼しい顔で「大丈夫よ」と言う。
それどころか、次男に頼まれてアップルパイを焼こうとしている。
(そんな悠長なことしている場合か?)
30分ほど室内をウロウロするも、気が気でない。
気温が下がってきたのを感じる。
部屋にアップルパイと、アールグレイの香りが漂ってきたことが、余計にオレをイライラさせた。
「そんなに心配なら、電話すればいいじゃない」
友理恵が言った。
そうかとオレは電話で、他の別荘の知人に連絡を取った。
しかし、どこにも長男は行ってないという。
「ちょっと探してくる!」
オレはたまらず家を出た。
外に出ると雪がちらついていた。
(まさか、外で遊んでいるんじゃないだろうな?!)
オレは心当たりのある所を手あたり次第探った。
しかし、どこにもいない。
他に心当たりは・・・
記憶を辿ると、一つの家が脳裏に浮かんだ。
かなり古くて小さい家。
別荘ではないようだ。
住んでいるのは一人の老人。
老人は電話で何か話している。かなり焦っているように見えた。プッシュホンを押す太い指がわずかに震えている。
「じいちゃん?!そういえば、じいちゃんの家はこのへんだっけ?行ってみるか・・・?!」
急に景色がズレた。
オレは凄まじい勢いで落下した。
ぬかるんだ地面に足を取られて滑落したのだということが、しばらくして分かった。
(長男は?!)
オレは思いだして辺りを見渡した。
不意にズボンのポケットに何かあるのを感じ、取り出して見た。
昼食のおにぎりのアルミホイルだった。梅干しの種をくるんで丸めてある。
(・・・長男って誰だ?)
頭が混乱している。
大学中退して、じいちゃん家に転がり込んでいるフリーターに子供なんているわけがない。
(しかし困ったな)
足が折れている。動けそうにない。
(オレはこのまま死ぬのかな)
そんなことを考えた。
気が付けば天候が崩れ始めている。動かないオレの脚に早くも雪が積もり始めた。
(まぁいいか。。。)
おそらく体温が下がり、感覚が鈍り、頭が働かなくなってきたのだろう。
オレはそのまま後ろに倒れ、大の字になった。
間もなくして、意識が遠くなっていった。
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目が覚めると病院にいた。
オレが帰って来ないので捜索隊が出たらしい。じいちゃんの通報が早かったから助かったとのこと。
「だから寒端の日は気をつけろと言ったんだ」
じいちゃんはそれだけ言ったが、それ以上オレを責めなかった。
寒端の言い伝えは、雪が解けて滑落の危険があることを戒める為なのかな?と、その時思ったね。
でも、ならば、ハッキリそう言えばいいのにな。
あの友里恵との生活は、滑落する一瞬に見た幻なのか、それとも気を失ってから助かるまでに見た夢なのか、はたまた本当に狐に騙されたのかは分からない。
ただ、山に来る度に思い出して、誰かに話したくなるんだ。
ん?
その後どうなったかって?
別にどうもなってないよ。両親とは相変わらず仲悪いし、さすがにじいちゃんはもう生きてないけど、おだやかに天寿をまっとうした方だと思う。
オレはボチボチ就職してボチボチ働いているのはご存じの通りだ。
こんな経験をしたのに、人生に何も活かされず、話のタネが一つ増えただけってのも、ある意味ホラーだよな。
了
お読みいただきありがとうございます。
勘の良い人はタイトルで、元ネタを知っている方は途中で気づかれたかもしれませんが
本作は故事「邯鄲の夢」のパロディです。
『寒端』という言葉も現象も創作です。