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ラクシャスコ・ガルブ潜行記  作者: 多寡等録
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九十八通目 報告

 姉が世話になっているリュマが拠点にしている建物に向かう途中、怪しい目付きの連中に見られているのを感じた。値踏みするような視線の意味するところはわからないが、近寄らないのが正解だろう。

 建物の前に着くと、入り口の小窓に座っていた人物が、慌てた様子で立ち上がった。

「戻ってきたって噂は聞いたが、本当だったんだな。姉さんなら上にいるよ」

「ド、ありがとうございます」

 例を言って階段を登ると、見知った顔が待ち受けていた。

「おかえり。大出世だな!」

「無事で何よりだ」

 そこにいたのは姉を誘っているリュマの面々だった。次々にかけられる言葉に悪意はない。純粋に喜んでくれているようだ。

「おかえり、ソウ」

 最後にかけられた言葉に顔を向けると、ぼく以上に照れくさそうな顔をした姉がいた。少し怒っているような気もするが、それは単に表情をうまく作れなかった八つ当たりのようなものだ。姉は、そういう人なのだ。

「ただいま、姉さん。話があるんだ」

「わかった。聞こう」

 内容を確認もせず、姉はぼくを手招いた。見守るリュマの人たちも何もいわず、温かな視線を向けるだけだった。それが気恥ずかしくて、ぼくは早足で姉の部屋に入った。

「今日戻ってきたんだろ? 無理せず、明日でもよかったのに」

「お世話になったリュマの人たちが凄くて、疲れるようなことがほとんどなかったから平気だよ」

「それは、おまえが入るっていうリュマかい?」

 姉も噂を聞いていたようだ。ぼくは頷き、ナクタにもらった紙を姉に渡した。

「これ、持っていて。そのリュマの人がくれたんだ」

「わかった」

 それが何かを追求せずに畳まれた紙を胸元にしまう姉を不思議な気持ちで見つめていると、視線に気づいた姉が「おまえの言うことに間違いはないさ」といった。

「そんなことはない、と思うけど」

「嘘を教えられたとしても、わたしには見抜くことができないしね」

 兄たちよりはマシだが、姉も文字の扱いが苦手だ。チャムキリの言葉も会話はできるようだが、文字の読み書きはまだまだ苦手なのは知っている。ぼくはちょっとした罪悪感を抱いたが、前髪を払うことでそれを押しやった。

「噂の通り、リュマに入ることになったんだ。となると『適性証明』が必要になるだろ? 持っていないといったらツテがあるということで、用意してもらえるみたいなんだ」

「そうか。それは良かった。おまえは優秀だからな。荷運びだけで終えるのは勿体無いと思っていたんだ」

 姉の言葉を背中に聞きながら、窓辺に向かい、そのまま続く言葉を口にした。

「それで、姉さんの分も、取得してもらえることになった」

 沈黙が落ち、続いた。

 反応がないことに不安になり、そっと振り返ると、姉は大きく目を見開き、何かを言おうと口を開けては言葉が出ない様子で立っていた。そのまま何も見えていないかのような姉と見つめ合っていることしばし。やがて、苦しそうに眉を寄せ、大きく息を吐き出すと、か細い声で「本当に?」と言った。

「本当だよ」

「でも、わたしには名前もない」

「それも解決できる。でも、条件がある」

「どんな?」

「チャムキリたちが信じている宗教への入信が条件になる」

「入るよ!」

 間髪置かずに姉が叫んだ。

「でも、そうなったら本当に集落には戻れなくなるかもしれない」

「そんなこと! あそこを出る時に、覚悟なんて決めてきた!」

 姉の言葉に、ぼくは奥歯を噛み締めた。知っていたことではあるのに、言葉にされるとその重みというものに気付かされる。姉の人生は戦いの人生なのだ。ぼくのようにふわっと、流されるままに生きているわけではない。選び、掴み取るために捨てて、微かな可能性を手放さないように必死なのだ。

「わかった。そう伝える」

 頷くと、姉はぼくに近寄り、両腕を痛いぐらいの力で掴んだ。

「本当に、本当なんだね?」

「本当に、本当だよ。ぼくの言うことに、間違いはないんだろ?」

 悪戯っぽく微笑むと、姉は眉を寄せて「そうだな」と絞り出すようにいった。

「そうだ。ソウの言うことに間違いはない」

 姉の目から見る間に涙が溢れ出し、それは頬を伝い、顎に辿り着いて落ちていく。

「夢みたいだ。いや、夢なのか? おまえが無事に帰ってきて、信じられないような言葉をくれて。わたしに都合の良すぎることばかりだ」

「どんなに都合が良かろうと、夢じゃないんだ。どんな名前にするか、決めておいてよ」

「名前か。そうだな、自分で考えていいんだものな」

 泣き笑いの表情の姉は、ぼくの背に腕を回し、包み込むように柔らかく抱き留めた。

「許されるなら、こうしたいという名前はあるんだ」

「どんな?」

「父さんが昔、話してくれたんだ。出向いた街から戻る時、カルゼデウィの影から覗く朝日がとても眩しくて、目を焼かれるような苛烈さと、圧倒的な生命を感じるんだって。それを目にすると、わたしのことを思い出すんだって。だから、それを名前にしたいって、思ってたんだ」

 確かにと頷きながら、父のことを思い返していた。あの集落の男としては標準的な口数の少ない人だが、そんなことを姉に話していたということに、少しばかり驚いた。けれど、父の抱いた感想は、まさに姉の性質を見事に捉えていて、子どもをよく見ている人なのだということに気付かされた。

「『ゼラ』というんだけど、どうかな」

「いいんじゃない? 姉さんらしいと思う」

 ぼくらの言葉で輝くものといった意味のある言葉だ。単に光り輝くというよりは、強い一点の光といった意味合いが乗っている。

「そうか。ソウがいうなら間違いないな」

 今度こそ笑って、姉はぼくから身体を離した。目元を拭いながら、はにかむ姉を見つめ、ぼくは寂しさの混ざった喜びをそっと吐き出し、指を立てて注意を引いた。

「姉さんもわかっていると思うけど、いろんな事情で、ぼくは今、ちょっとした有名人になってる。そうなると、敵も増えるということで、姉さんが巻き込まれる可能性もある」

「そうだな。ここのリュマの人たちもそんなことを言っていた」

「うん。本当に、そんな感じでね。なのでしばらくは、十分に気をつけて欲しい。できることなら、この建物から出ないで欲しい。あと、さっきの紙はいつも身につけておいて。リュマの人たちにはぼくから説明しておく」

「わかった。面倒ばかりかけて済まないな」

「面倒かけてるのはこっちだから気にしないで。それじゃあ、そろそろ行くね」

 再びぼくを抱きしめた姉を軽く抱き返し、ぼくはなんとも言えない気持ちになりちょっとだけ困った顔をしてしまった。この人の弟でいる時間も、そう長くはない。

 部屋を出て、廊下で待っていたリュマの代表にざっと説明すると、代表はすぐに事態を理解し、姉の身の安全を請け負ってくれた。

「何から何まで頼りっぱなしで申し訳ない」

 そんな風に言われて、ぼくは苦笑した。彼女たちにとって姉はすっかり身内となっているのだろう。弟のぼくよりも、ずっと近い関係になっているのを感じた。これなら大丈夫だと、肩の力が抜けた。

「色々と準備が整ったら報告に来ます」

「その時は私も立ち会うよ」

「ありがとうございます」

 握手を求められ、力強いその手を握り返し、ぼくは目を閉じて祈りの言葉を口にした。

「独り歩きで大丈夫か? 迷惑でなければ送るが」

「大丈夫です。それでは、姉のこと、よろしくお願いします」

 彼女たちに見送られ表に出ると、物陰からこちらを見る男たちがいた。往きに見た連中だと気づいたが、知らぬふりで歩き出す。表通りで荒事をするような間抜けはそういない。仕掛けてくるならそれまでの間だろう。

 ウィスクに渡された紙を握り込んで歩き出すと、思った通りに男たちが追いかけてきた。それに気づいた姉と同じリュマの面々が警戒を強めてこちらに向かってくるが、到着するより早く、男の手がぼくの肩を掴んだ。

 瞬間、ぼくの手の中から激しく弾けるような音がして、手を開くと紙が音を立てながら地面に落ちた。男たちの視線がそれに向いた瞬間、雷のような音を立てて天を貫くように光線が伸びた。

「うわっ」

 光にまともに目をやられた男たちが怯む。その瞬間にぼくは走り出し表通りに飛び出した。

「なんだ?」

 周囲の人々も天まで届く光の柱に目を奪われ、ぼくなんかに気に留める人はいない。

 随分と派手なことだなと、思わず笑いそうになりながら、ぼくはそのまま表通りを歩き、テントに戻る途中で光に気付いたらしいナクタたちに回収されることになった。

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