九十五通目 ご馳走
「悪い! 待たせたな」
ダクパを流通させる方法を考えているところに、ナクタが元気よく戻ってきた。
振り返ると、小脇にクコールを抱えている。後ろから出てきたデラフはナクタのものよりは一回り小さいクコールを抱えており、ピュリスは手ぶらだが疲れた顔をしていた。
「早速始めよう!」
楽しそうな様子のナクタは、デラフからクコールを受け取ると、それを容赦無く地面に叩きつけた。突然の行動に呆気にとられたまま事態を見守っていると、叩きつけられたクコールが「グゲ」と音を立てて何かを吐き出した。吐き出されたものはひとつではなく、三つはあるだろうか。唾液よりも濃い粘液に塗れているので、正しい数はわからない。
「そ、それは?」
怖気づいたようなムスタの問いに、「コレーデだ」と答えたのはピュリスだった。壁に背を預けて座り込んだので、ぼくは慌ててツォモ茶の残りを手渡した。
「コレーデって、あの、可愛い感じの魔物だよな?」
「可愛いかどうかはさておき、あのコレーデだ」
コレーデというのはカピバラに似た魔物で、見ようによっては可愛いといえなくもない。肉は美味で、毛皮は防水効果が高く、臓器は薬にもなるとかで、冒険者には人気の魔物である。が、育つのが早く巨大化しやすいので、ぼくらには不人気の魔物でもある。
吐き出されたコレーデを掴んだデラフは水場に走り、ナクタは地面に魔法陣を描き始めた。
「何か手伝えることはありますか?」
座っているわけにもいかないだろうと声をかけたが、ナクタは「楽しみにしながら座っていてくれ」と譲らない。デラフと出くわしたのか、慌てて戻ってきたナビンが視線で尋ねてくるのに首を振った。ぼくらの出番はないようだ。
「やりたいやつにやらせてやりなよ。ソウとナビンさんは、こっちで座ってて」
壁際に追いやられて、ぼくとナビンは所在なく、ナクタの様子を眺めていることしかできなくなった。
間も無くデラフが戻ってくると、コレーデは綺麗に毛を剥いた姿になっていた。毛は剥がれたというよりも、丁寧に抜いたかのようにつるりとした見た目になっている。
「シャーンタ・クコールにちょっとの間食べさせると、毛皮を綺麗に剥いてくれるし、内臓もスルッと溶かしてくれるんだ」
そんな説明をしながらデラフから渡されたコレーデを、ナクタの持ってきたほうのクコールのほうに押し込んでいく。
「それをテンユン・クコールに入れて、香りの強い草と一緒に蒸し焼きにすると、すごく、美味い」
コレーデの入ったクコールを魔法陣の上に置くと、ナクタはぼくらの横に並び「あとは出来上がるのを待つだけ」と楽しそうに言った。
「シャーンタ・クコールは動いてるものしか食べないから、コレーデをいい感じに仕留めるのに手間取ってさ」
「殴ると簡単に死んでしまうからな」
太い腕を組んだデラフは、美味いものを見る目でクコールを眺めている。そっと盗み見るとウィスクも期待に満ちた目をしているので、相当美味いものなのだろう。
ナビンに説明すると、なんとも言えない顔をしたが、ぼくも同じ気持ちだ。楽しみでないわけではないのだが、どちらかといえばグロテスクな印象のほうが強い。ぼくの場合は、クコールに食べられかけた冒険者の話を聞いてしまったのもあるのかもしれない。
「つまり、溶けかけてるってことだろ?」
両腕を抱くようにしてムスタが慄いているのを聞いて、先ほどの粘液まみれ状態を思い出した。
「シャーンタ・クコールは、窒息させたあと溶かして吸収する魔物なんっですよね?」
聞き齧った記憶を思い出して尋ねると、ナクタが頷いた。
「良く知ってるな。コレーデの毛は刃物を通しにくいから、捌くのも大変なんだ。そこをシャーンタ・クコールにやってもらうと、傷もなく、皮下にある脂もちゃんと残っていい具合になるんだ」
コレーデはもちろん、シャーンタ・クコールにも可哀想な話だ。食事を得たぞと思ったところで、利用されて伐採されてしまうのだから、ぬか喜びどころの話ではない。
「テンユン・クコールで蒸し焼きにすると、コレーデの脂がいい具合に熱されて、表面を揚げたような食感になってな。身はふっくらしつつもしっとりしていて美味いんだ」
「コレーデは美味しいからねぇ」
楽しみにしている面々に対し、ムスタは言い表しようのない表情をしている。食した感想的には美味そうなのだが、その前の状態を考えると本能的に気持ち悪さを感じてしまう、そんな顔だ。多分、ぼくも似たような表情をしているのだと思う。
「ナビンはコレーデを食べたことある?」
「美味いとは聞いているがないな。買おうにも高額だろ」
「だよね」
魔窟で魔物を食べるということが無いわけではない。食料が尽きれば食べられるものを食べるしかないのだし、その対象が魔物になるのは自然な流れだ。ぼくも、この四層にいる魔物の実を食べたことはある。が、動物っぽい魔物を食べたことはない。
高値のつく魔物は冒険者が持ち帰ることになるし、そうでない魔物は食べられるかどうかが不明なことが多い。なので、困ってもいないのに積極的に食べるということはないのだ。
「コレーデを食べるのは初めて?」
ウィスクに問われて、ぼくは頷いた。
「そっかー。この食べ方が、一番美味しいよ」
自信満々に言われて、気持ち悪いよりも好奇心と期待のほうが大きくなる。
クコールの口部分から湯気が吹き出す頃になると、タシサの中には垂涎ものの匂いが充満していた。他のリュマからも、物欲しそうな視線が集まっている。
「よし、食べごろだな!」
魔法陣を崩して、剣で上部を削ぐように切り落とす。クコールの綿のようなフワフワの中に、パリパリとした質感の琥珀色の物体が包まれていた。より一層匂いが強まり、思わず唾液を飲み込んだ。
「こいつは削ぎながら食うのが一番美味い」
ナクタが削ぎ落としたクコールの一部を拾い上げ、適当に切ったデラフが、その一片にコレーデの肉を乗せて寄越した。
「ほら、食べてみろ」
受け取ったクコールの皮の表面はほんのり温かいだけだった。断熱性が高いようだ。ぼくはナビンに手渡そうとしたが、ナビンに首を振られた。
「いらないの?」
「ソウから食べろ。今現在、俺よりもソウのほうが立場が上田」
「いや、そんなことはないよ。ナビンのほうが年上だし、経験も豊富だ」
ぼくらの集落では、立場が上の人間から食事を始めるという風習がある。それに倣ってのことだったが、ナビンは背中に手を隠して、首を振り続ける。
「もしかして、魔物がイヤだとか?」
「そういうわけではない」
ぼくと同じく、美味そうな匂いに喉を鳴らしているのだから、食べたくないわけではないのだろう。とすれば、毒を気にしているのだろうか。ならば、先に口をつけたほうがいいだろう。
「じゃあ、先に食べてみる」
未だ音がしていることといい、脂の溶け出た量といい、熱々であることは間違いない。ぼくは、腰に挟んだナイフを抜いて、コレーデに刺して口元に運んだ。
獣臭さはあるものの、香草が打ち消しているのかそれほどキツくはない。むしろ、この臭みは美味さの要因となり得た。デラフの言った通り、パリパリとした皮の質感と、むっちりとした肉質に歯を立てる。溢れ出る熱々の肉汁に舌が焼けるのを感じたが、甘みのある肉の味が口内に溢れ、舌が喜びに震えた。
美味い、という言葉が音もなく脳を駆け巡る。
今までに、こんな美味いものを食べたことはないのではないか、と思うほどの、圧倒的な旨みが髄を貫いた。口一杯に頬張りたい欲求に抗えず、貪るように押し込み、十分に咀嚼する。肉質はしっかりとしていて、とろけるような質感ではないが、それがまた旨みを引き出しているように感じる。
クコールの皮に残った脂も飲み干し、ぼくはようやく息をついた。
なんだか頭がぼんやりとする。
「ソウ?」
どこか心配げなナビンの声が聞こえ、ゆっくりとそちらに首を捻った。
「すごく、旨い」
ため息のように漏れ出た言葉に、ナビンの喉が上下するのが見えた。
「気に入った?」
「とても。美味しいです」
美味さに脳が痺れ、誰に問われたかはわからなかったが、はっきりとぼくは答えた。大規模潜行も終わりを迎える今になって、強烈な思い出ができてしまった。
「すごく、美味しい」
繰り返したぼくの横で、ナビンがクコールを受け取るのを感じた。そしてウィスクやナクタもコレーデを口に運び、顔を綻ばせているようだ。
確かにこれは、多少苦労をしてでも食べたくなるものだ。
ナクタが出て行った時は、何もわざわざ面倒なことをしなくてもと思ったが、この味には変え難い。
存分に美味の余韻に浸るぼくの耳に、おずおずとしたムスタの声が聞こえた。
「じゃ、じゃあ、俺も」




