九十四通目 小休止
結局、戦闘らしい戦闘もなく、一度小休止を入れただけで五層を踏破し、四層のタシサに到着した。誰もいないと思っていたのに、いくつかのリュマが滞在しているらしく、タシサ内は賑やかだった。
地上と同じ空の様子を映す魔導具は、夜空を映し出している。急ぐ必要もないということで、一泊することになった。
「全員退去じゃなかったのか?」
「四層までは自由に出入りできるんだ」
同じ疑問を抱いたらしいムスタに、ピュリスが答えた。
普段から四層までは人の出入りが多い。探索も終わっているし、人の手が十分に入っているからだ。魔窟を職場にしている冒険者にとって、全面立ち入り禁止となれば死活問題だ。
「学者たちは退去したんだな」
「粘ってみても、護衛となる冒険者が付き合ってくれなければ戻れなくなるのはわかっているだろうからな」
戦闘経験がないどころか、魔窟自体に不慣れな人物がフラフラと歩いて無事でいられるわけもない。駄々を捏ねてみたところで、置いていかれたら行くも戻るもできなくなるとなれば、退去せざるを得ないだろう。
「食事にしますか?」
ナビンに耳打ちされて、ぼくはナクタに尋ねた。ナクタたちに雇われているわけではないが、世話になっている以上、気ままに過ごすわけにはいかないというナビンの矜持がそうさせるのだろう。
「そうだった。ソウたちはお腹空いてるのか?」
「いえ、ぼくたちは問題ないです」
想像していなかった返しに咄嗟に変な回答をしてしまったが、ナクタはウキウキとした表情を見せた。
「そうか、良かった。四層に戻ったら是非ご馳走しようと思ってたんだ。デラフ、ピュリス! 採りに行こう!」
ぼくの戸惑いも気にせず、ナクタはふたりに声をかける。デラフは待ってましたとばかりに立ち上がり、ピュリスは呆れたような表情を見せたが、タシサを出ようとするナクタに続いた。
「いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振るウィスクと、首を傾げるムスタ。困惑の表情を浮かべたナビンが、説明を求めてぼくを見る。
「なんか、ご馳走したいんだって。採りに行くって言ってたから、魔物料理だと思うけど」
詳しいどころか一切の説明もせずに出て行ってしまったので、怪訝そうな表情を向けられても答えられることは何もない。
「ご馳走ってなんですか?」
ウィスクでもムスタでも、分かる方が答えてくれれば良いと曖昧に言葉を向けると、ウィスクが「気にしないで」と気怠げに言った。
「前に、他のリュマから教わった料理をナクタとデラフが気に入っちゃったんだよねぇ。それをソウたちにも振る舞いたいと思ってるだけだから」
「へぇ? 俺、食ったことあったか?」
「ないんじゃない? 一度食べたら忘れるわけないし」
ムスタも食べたことがないものとは、いったいどんなものなのか。
「忘れられないって、どんな感じだ?」
「見てのお楽しみってことにしといてよ。ねえ、ソウ。あのお茶くれない?」
要求に応じて茶の支度を始めたぼくをみて、ナビンはますます所在無げになり、諦めたようにダクパを咥えて火をつけた。
「あれは、このあたりの嗜好品なの?」
すんとダクパの匂いを嗅いだウィスクが尋ねてくる。
「あれはダクパといって、魔物除けなんです。独特の匂いと味がするので、魔窟に入る時に口にすることは多いですね」
「ふうん。そうなんだ、面白いね」
「魔物除けとして使っているうちに癖になっていって、安心感が欲しい時なんかに燻らせることもあります」
「そういう効果もあるの?」
「実際のところはわかりませんが、ぼくらにとっては『危険から離れた』という感覚と一緒になるので、安堵感と繋がるのは分かる気がします」
ダクパに精神に作用する成分が含まれているかどうかはわからないが、経験や習慣から連なる精神作用はある。おまじないの類のような気もするが、気休めというには実力がある。
「あとは、単に、時間潰しというか、大人の手遊びみたいなものですね」
前世でいえばタバコのようなものだと思う。タシサは安全な場所であるから、魔除け効果を求めているわけではないのに、場が持たない時に口にすると口実を与えられたような気持ちになり、現実逃避が許されたような気になる。
ナビンの心境としては、やることがなく手持ち無沙汰である上に、ぼくには茶を入れるという仕事が与えられたのに、自分は何もしないという所在の無さを誤魔化したい、といったところだろう。ぼうっと空間を見つめているよりも様になるというのもあって、大人はダクパをなんでもない時にも口にすることがある。
「ナクタたちが戻ってきた時のために準備しておくことはありますか?」
何を振る舞おうとしているのかはわからないが、食べ物ということは多少なりとも加工が必要になるのではなかろうか。とすれば、火なり水なり必要になりそうなものだ。
「ないない。気にしなくていいよ、ホントに」
やることができればナビンの所在なさも解消されるかと思ったが、本当にやることはないらしい。ただ待ち続けるというのも難しいものだ。
出来上がった茶をウィスクに渡すと、背後から肩を掴まれた。
「ちょっと、水場に行ってくる」
ナビンの目配せに従って水場を見ると、見覚えのある男が片手を上げた。姿形からして歩荷仲間だろう。積もる話もあるだろうと、ぼくは頷いた。
「仲間と情報交換です。問題ありましたか?」
ムスタがナビンの後ろ姿を目で追っていることに気づき、茶を渡しながら声をかける。
「いや、全然。ソウの噂を流すのに、どんな方法があるかと思ってたんだよな」
「ボクら、あんまり他のリュマと会話しないしねぇ」
「そうなんですか?」
「避けられてる感じはするねぇ」
避けられているというよりは、近寄り難いと思われているのでは、と口にしかけて納得した。他のリュマからすれば、ウィスクたちはかなり上位の冒険者という位置付けになっているのだろう。
目下の側から軽々しく言葉をかけるわけにもいかない、という気持ちはよくわかる。ぼくらにも、チャムキリにはこちらから声をかけないという暗黙の決まりがある。失礼にあたる、というのがその理由だ。
「ナクタはああいう気質だから、自分からガンガン行くんだけどねぇ」
「魔法使いが気位が高いってだけだと思うけどな。俺もデラフも気軽に話すし」
ウィスクがちょっと唇を尖らせて抗議の姿勢を見せるが、何も言わないところを見ると自覚はあるらしい。
「職業によって違いがあるものなのですか?」
「職業によって気質が偏るってだけで、魔法使いだって気さくなやつはいるけど、基本は気位が高い。良く言えば」
「ふうん? 普通に言ったらなんだっていうんだよ」
ウィスクの鋭い視線に、ムスタはニヤニヤしながら「いやいや、なんでもございません」などと言い、ぼくに笑いかけてくる。巻き込まれたくないぼくは苦笑で流してコンロの火を絞った。
「さっきのさ、ダクパだっけ? あれ、ソウも持ってるの?」
「ありますよ」
ズボンの裾に挟んでおいたダクパを取り出して、ウィスクに渡した。ウィスクは手にしたダクパをしげしげと眺め、ムスタも興味深そうに覗き込んでいる。
「魔物が嫌がる匂いがするのかな? あ、辛いような味するね?」
「軽く吸いながら火をつけるんです」
マッチのように摩擦で火をつける仕組みの棒を差し出す。使い捨てではなく、何度も使えるので何かと重宝しているが、少々値が張る。これも、引退を決意した冒険者からもらったものだ。
「タバコみたいなものか?」
小声で尋ねてきたムスタに首を振る。
「肺まで入れるような吸い方はしないで、口の中に溜める感じですね。ピリッとしながらスーッとするので、大人はそれを楽しんでるみたいです」
小声で返すと納得したように頷き「俺にも一本もらえる?」と尋ねてきたので、手渡した。
「昔、吸ってたんだよなぁ」
タバコのことだろう。懐かしそうに言って、ウィスクから棒を受け取り、慣れた感じで火をつけた。
「そちらには、こういうの、ないんですか?」
「ないねぇ」
ゆっくりと吸い込んだムスタが目を細め、煙を吐き出しながら「確かにピリピリするな」と呟いた。
「これ、クラーロフスケ・ヒリアで売れますか?」
ぼくを横目で見たムスタがニヤリと唇の端を上げた。
「それはいいな」




