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ラクシャスコ・ガルブ潜行記  作者: 多寡等録
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九十三通目 帰還行

 ナクタとの会話を終えてテントに戻ると、ナビンがそわそわとした視線をぼくに向けた。何を話したのかが気になるのだろう。

「ナクタにお世話になることになった」

「そうか。良かった」

 喜びよりも安堵が強く出た彼の表情にぼくは罪の意識を感じた。これから先、何度もこの感情を覚えるのだろう。

「一番いいところに落ち着いて良かったな」

「そう思ってたんだ?」

「そりゃそうだ。あれだけ人のいいチャムキリはそうそういない。彼らならソウを大切にしてくれるはずだ。探索の腕もいいから、命も随分伸びるじゃないか」

「確かに、そうだね」

 ナビンのナクタたちへの評価はかなり良い。探索に一緒に出たのが大きいのだろう。実力ギリギリで進むリュマでは、ぼくらの命は風前の灯と同じだ。冒険者自身も危険に晒されるだろうが、ぼくらはそれ以上に危険になる。下手をすれば逃げるために生贄として差し出されることもあるのだ。

 地上で荷運びをするぼくの兄のような人は、地下でのぼくらの扱いを知ると「動物と同じじゃないか」と鼻に皺を寄せ、それでも魔窟で働くことを選んだぼくらを侮蔑の目で見ることがある。

 その気持ちもよくわかる。地上の道を行く彼らは、何かに襲われた時、荷運びに使う動物を同じように生贄とするからだ。自分たちの命を救うための道具として使われる動物と同じような扱いを、同胞が受けているというのは、哀れである以上に、自分たちの尊厳を損なう姿勢だと感じるのだろう。

 ただでさえチャムキリに低くみられているというのに、更に粗末な扱いをしてもいい存在のように振る舞うのが気に食わないという気持ちも理解できる。

「姉のこともお願いできたし、本当に良かったよ」

「そうか。これでやっと、願いが叶うんだな」

 喜んではくれているようだが、心からとはいかない様子なのがわかる。集落の男にとって、ぼくの姉のような女が増えるのは困りものなのだ。集落では、女性は貴重な働き手だ。名前を与えないことで制限をかけ、集落から出られないようにして囲い込む。男性が外に働きに出てしまい手薄になる集落の仕事を、女性に担ってもらうために。

 姉という成功例が出てしまえば、後に続く女性が増えるかもしれないと、危惧しているのだと思う。

 前世の感覚を持っているぼくからすると不思議な話で、こちらの女性は妊娠出産をしない。人はミヒルの実から生まれるからだ。ミヒルの実の成長には両親の愛情が不可欠だとはいうが、それは別に異性でなくても構わない。だから絶対に、男女でなければ成り立たないというわけではない。だというのに、前世に似た男女観のようなものが横たわっている。

 それがずっと謎だったのだが、原因は聖女信仰にあるのだと本が教えてくれた。

 王と聖女の在り方を模倣する形で、人々は男女観というものを得ているという。聖女信仰が浸透していないのに、より強固な上下関係のようなものがぼくらの集落に定着しているかといえば、都合がいいからに他ならない。最初に集落から出て、聖女信仰を知り、それを都合のいいように改変させたものを持ち込んだ人物がいるのだろう。

「姉が望んで、ナクタが許すなら、他の土地に連れて行くのも良いかなと思ってるんだ」

「なんでまた。それじゃぁ、親御さんや兄弟と会えなくなるだろう。悲しむんじゃないか?」

「遠い土地に行ってしまえば、集落に話が届かなくなる。そのほうが、お互いに都合がいいんじゃないかと、ぼくは思う」

 その言葉に、ナビンはハッとしたようだった。

 集落にいる時から爪弾き者だった姉が、集落を捨て、宗教を捨て、劣等感を覚えるチャムキリと同じようなものになってしまったら、集落の男たちは耐えられないんじゃないかと思う。

 気に触る存在を排除しようとするのは人の性だ。理性を持って踏みとどまる人の方が多いだろうが、ちょっとしたことで理性は崩れる。そして崩れた時、魔窟というのは最悪な考えを実行しやすい環境にある。

 遠く離れた地であれば、互いに顔を合わせる機会はぐっと減る。それは、互いの心身の安定にも良いことなのではないかと思うのだ。

「おまえは、そんなことまで考えてるんだな」

 ナクタからの提案だと言って誤魔化そうと思ったが、やめた。本当のことを告げないまま嘘の共犯になってもらうのに、勝手に名前を使うのは悪いような気がした。今更気にしたところで、何かが軽くなるわけではないのだが。

「ぼくは性格が悪いんです」

 冗談めかしてそういうと、ナビンは少しばかり表情を和らげた。


 フォルカーたちが地上に戻る日に、ナクタのところに厄介になることを伝えると、彼らはとても喜んでくれた。

「さりげなく盛大に噂を撒いといてやる」

 そう言って彼らが去ると、とうとうタシサにはナクタたちとぼくらだけになった。壁なんて見えないぐらいにテントだらけで狭苦しかったのに、こうなってみると結構広いものだと感じる。

 翌日の朝まで、ぼくらはテントを片づけたり、荷物の整理をしたりして過ごした。大きな鍋類については、アーレトンスーを貸してもらえることになり、かなり楽に運べるようになってナビンは嬉しそうだった。

 そうして六層での最後を夜を静かに過ごし、ぼくにとっては久々の地上に戻る日となった。

 ぼくは荷物の最終確認をし、ダクパを足の裾に挟んだ。腰の包みにはいつの間にか本が潜り込んでいて、地上にも着いてくるようだった。

「それじゃぁ、行こうか」

 ナクタの言葉を合図に、先頭にウィスク、続いてデラフ、ムスタ、ピュリス、ナビン、ぼく、ナクタという隊列となって、地上を目指すことになった。

 行きよりも帰りのほうがリュマの空気が柔らかだった。互いに慣れたというのが大きいのだろう。行きはニーリアスが彼らの素性をさりげなくだが探っていたのも緊張感を生んでいたのかもしれない。

 すぐに五層のドジェサに出る。幸いなことに、今回も上から降る魔物には遭遇せずに済んだ。速やかにドジェサを出て、螺旋状の道を行く。

 六層の暑さに慣れてしまっていたため、急な真冬の寒さに身体が悲鳴をあげた。

「さっむ!」

 声を上げたのはムスタで「そういやそうだった」と言葉を漏らしたのはデラフだ。彼らもぼくと同様、六層の滞在が長かったので、この寒さを忘れていたのだろう。

「ソウ、大丈夫?」

 ふたりの反応をみて思い出したのか、ナクタが焦ったように耳打ちしてくる。ぼくは「大丈夫」と頷いて、両手で耳を揉んだ。

「ウィスク、気持ち早めに行こう」

「はいはーい。動くと暖かくなるしね」

 緩やかな上り坂を黙々と歩き続ける。魔物除けの魔法でも使っているのか、それとも連日の冒険者の帰還行のせいで、あらかたの魔物が狩尽くされてしまっているのか、驚くぐらい魔物に遭遇せずに進んだ。

「魔物が出ないな」

 同じことを思ったのか、ムスタが疑問を口にした。

「そりゃぁ、気が立った冒険者がわんさか通過したら何も残らないだろ」

「気が立った?」

 答えたデラフに、ムスタは不思議そうに首を傾げる。

「成果も出ずに手ぶらで帰るともなれば、普通は気が立つだろう」

「ああ、なるほど。そういうこと。手ぶらで帰るのもなんだし、懐の足しに魔物でも狩って帰ろうってわけか。元気だねぇ」

「そういうムスタは元気がないな。随分呼吸が乱れてるようだが」

「そりゃずっと上り坂なんでね。息が切れるのが普通でしょうが」

 ピュリスに揶揄われたて反論するムスタだが、生憎と強靭な精神と肉体の持ち主ばかりであるこのリュマに、息を切らせている人物などひとりとしていない。

 ぼくはといえば、長らく長距離移動もせず、タシサの中だけで過ごしていたので身体の鈍りが不安だったが、今のところは問題なく、彼らの速度に着いていけるだけの体力はあるようでほっとした。

 心配する必要などないと思いながら、近くを歩くナビンを見やる。寡黙な彼は、ただひたすらに前を見つめ、しっかりとした足取りで歩いていく。真面目で、勤勉。文句も言わずに働く姿は、尊いものだと今更ながらに感じた。

 ぼくも彼と同じ道を行くのだと、少なくとも以前ここを歩いた時には思っていたはずだ。なのに、帰り道では全く別の進路を決め、ぼくらの営みを感慨深く感じるなんて思いもしなかった。

 覚悟というものは、一度決めてしまうと、全てのことがとても希少で、二度とない瞬間なのだと感じてしまうもののようだ。なんでもない、これまでに何度も過ごしてきたものの全てが、妙に愛おしく、有り難いものに様変わりする。

 感傷的に過ぎるなと息を吐き、拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込む痛みで、乖離しそうな精神を繋ぎ止めるよう心がけた。

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