九十一通目 告白
「ソウ。シュゴパ・ナクタが来てる」
タシサから冒険者が減るにつれ、ぼくたちの自由時間が長くなった。ぼくは読んでいた本を閉じ、ひとつため息をついて立ち上がった。
本はあと数ページで読み終わるところまできていた。そしてぼくは、この本がなんであるのか、どうしてムスタには読めなかったのかを理解していた。
「ドゥケ」
明るい顔のナクタに同じ言葉を返す。歩み寄ると、ナクタはぼくの顔をしげしげと見つめ、ちょっと狼狽えたような表情をした。
「どうしましたか?」
「話がしたくて。あれから、ほとんど話せてないだろう?」
戸惑ったまま、ナクタは用意してきたような言葉を口にした。ぼくは頷き「ここでいいですか?」と尋ねると、ナクタは別の場所を指定した。
リュマが去ってできた空き場所で、残っているテントからは離れている場所だった。そこに魔法陣を描き、持ってきた椅子に座るように示された。
「盗聴防止の魔法陣だ。ソウとオレだけにしか聞こえないから、悪口でも暴言でも言ってくれていい。ここで話すことはふたりだけの秘密だ」
戯けるようなナクタに合わせて、ぼくはちょっと微笑んだ。
ナクタはぼくの正面に椅子を置いて座り、向かい合う形になった。不意に、前世での面接を思い出して、懐かしさとともに緊張感を思い出した。あの頃のぼくは、相手の望むままに返答をして、余計なことを言わないようにしていた。なんとなく、選ばれる側だと感じていて、どこか卑屈な気持ちがあったように思う。
「どうした?」
「いえ、ちょっと緊張して」
遠い過去を思い出してぼんやりしていたところに声をかけられて、当たり障りのない言葉を返したが、ナクタは微かに眉を寄せ、気にするような素振りを見せた。
「それはオレが『チャムキリ』だから?」
「そういうわけではないです。ふたりきりで秘密の話だというから、重大なことなのかと思いました」
「本当に? 立場的なことは関係してない?」
同じことをウィスクともやったなと思い出し、少しばかり苦い笑みが浮かんでしまった。住んでいる場所、文化の違いがあるだけなのに、いつの間にか上下ができていて、それを互いに過剰に意識してしまっている。それはナクタたち本人の問題ではなく、今までの赤の他人が積み上げてしまったもののせいだが、それをないことにはできないから、ぼくたちはすれ違ってしまう。
「同じような会話をウィスクとムスタともしたんです。なかなか本音を通すのは難しいですね、お互いに」
笑みの理由を誤解されないように説明したが、これもまた誤解の元になるのかもしれないなと、頭の片隅で思った。
「本当に気になることがあれば伝えるので、そんなに気を回さなくても大丈夫です。むしろ、ぼくのほうが不躾なことを言ってしまうかもしれません」
大袈裟に肩を竦めて見せると、ナクタ頷き、姿勢を少し崩した。
「この間は突然、あんな時に、打診してしまって申し訳なかった。ソウをリュマに誘おうかとは、前々から思っていたんだ」
「前々から、というのは?」
「ここにソウを連れてきてから少し経ったくらいかな。魔力の流れが違うことに気がついて調べたんだ」
「だから、ぼくを探索に誘ったのです?」
「だから、というわけではないけれど、結果的に確信することになったからそういう意味になってしまうかもしれないな。誘ったのは、ずっとここにいたら退屈だろうと思ったというのがひとつ」
「他にもあるのですか?」
「オレがソウぐらいの年の頃は、好奇心の塊で、知らないことをなんでも知りたいと思っていたから、同じような感じなんじゃないかなって。あと、これは、ソウのいうところの過剰反応になるだろうけれど、その年でそういう仕事をしているというのがね。傍観者の勝手な言い草だけど、胸にくるものがあったんだ」
なるほど、とぼくは頷いた。ナクタの気持ちはよくわかった。ぼくだって、ぼくぐらいの年端の子どもがこんな危険なところで、地味で辛いだけの仕事をしているのだと思ったら、何かできないだろうかと考えてしまう。なので、ナクタがそう感じたのは仕方のないことだし、責める気はない。
「連れ出した探索で、あんなことになるとは思ってもみなかったから、それについては本当に申し訳なく思っている。けど、そのお詫びに誘ったわけではないから、そこは間違えないで欲しい」
ぼくは少なからず罪悪感を覚え、慌てて取りなしの言葉を口にした。
「あの時のことは、どうしようもなかったとわかっています」
今になって思えば、被害者なのはぼくではなくナクタたちのほうだ。責任を負うと請け合って連れ出した子どもと、魔窟の中ではぐれてしまったのだ。地上であっても身のすくむ話だが、魔窟の中となれば命が縮んで無くなるぐらいの焦燥と不安があったことだろう。
「ムスタにも話は聞きましたし、シュゴパ・フォルカーにも色々と助言されたので、ぼくも色々考えました。ぼくやナビンだけではうまい手立てが思いつかなかったので、リュマへのお誘いはすごくありがたいことだと思っています」
「たぶん、ムスタが伝えていると思うけど、本当に、利用してくれて構わない。もちろん、加入してくれるならそれに越したことはないけれど。それに、将来的に進みたい道が見つかったなら、リュマから抜けてもらっても構わない」
「あまりにも、ぼくに都合の良い話すぎますね」
「これも過剰な気遣いになるのかもしれないけれど、ソウはまだ子どもだからね。将来への道を示すのは大人の役割だと思っている」
中身はそうでもないのだがと思いつつ、こちらの世界での経験は見た目通りの年月しかないのだから、大人と同じ選択ができるわけがないのも当然かもしれない。もっともこの集落に住んでいれば、選択できることは多くはないのだが。
「ナクタに、お願いしたことがあります」
姿勢を正して真っ直ぐに見つめると、ナクタも姿勢を正して真正面から受け止めるかのように頷いた。
「姉のことをお願いしたいんです」
「前に少し話してもらったことだね。ムスタからも聞いてるよ」
「姉が冒険者としてやっていけるように、手を貸して欲しいんです」
「『適正証明』の手続きのためには、お姉さんに改宗してもらうのが一番早いけれど、ソウはそれでもいいの?」
「ぼくは構いません。姉もきっと大丈夫です」
説得などせずとも、姉は喜んで記名するだろう。
「ソウはどうするんだい? オレたちのリュマに入るという形をとるなら『適正証明』が必要になる。お姉さんと同じく、改宗するかい?」
「そのことですが、姉が手続きを終えるまでの間だけ、ナクタたちのリュマに入るという噂で済ますことはできませんか?」
ぼくの言葉に、ナクタは首を少し首を傾げた。
「もちろん、それは構わないが」
他にアテがあるのかと問いたいのだろう。ぼくは少し視線を落として、言った。
「ぼくは、どうしようもない人間で、流されるままに生きていきたい人間なんです。なんの決断もせず、無責任に過ごしたい」
言葉にしてみると、なんと情けないことを口走っているのかと、我がことながら思った。
ナクタが何かを言おうとする気配を感じ、手のひらを向けて言葉を止める。
「子どもだから考えあぐねて放り出しているというわけではなく――ぼくは『前世持ち』なんです」
隠していたひとつを口にすると、身体が少し軽くなるのを感じた。思っていたよりも、秘密を抱えることは負担になっていたらしい。身体が軽くなると、口も軽くなるようだ。溜まっていたものを吐き出すように、ぼくは言葉を続けた。
「前世のことを明確に覚えているわけではないですが、ぼくは前もそういう生き方をしていて、そのまま――一度死んだとしても、変わることなく怠惰で、無責任なんです」
「クラーロフスケ・ヒリアに行くことに決めた、ということかい?」
問いかけに顔を上げると、ナクタは静かな目でぼくを見つめていた。突然の告白にも動じていないように見える。
「ぼくが『前世持ち』であることに気づいていましたか? それともムスタに聞きましたか?」
「いいや。今の告白で初めて知って、驚いてる。――ムスタは知っていたんだね」
とても驚いているようには見えない顔で伝えられたが、後半部分はやや不満な様子が滲み出している。
「やはり、『前世持ち』だとクラーロフスケ・ヒリアに行かなくてはならないのですか?」
「いや、必ずしもそうではない。本人の希望であったり、『適正証明』の内容次第であったり」
そこで言葉を止めたナクタは、ぼくの考えに気づいたようだった。
「鑑定をしたくないんだね?」
「はい」
「自分の能力について、知っているのか?」
「はい」
二度頷いたぼくに、ナクタは腕を組み「なるほど」と呟いて頷くように俯いた。




