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ラクシャスコ・ガルブ潜行記  作者: 多寡等録
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九十通目 傲慢な憐み

 ムスタと話してから三日が過ぎた頃、ナクタたちが戻ってきた。

 テントがひしめき合っていたタシサも、何もない空間が多くなっていた。魔窟での状況はこちらの方が当たり前の光景なのに、慣れ親しんでしまったせいか寂しさを覚えた。

「上が詰まってるから、あと三日ぐらいはここにいることになるかも」

 戻って早々、ぼくたちのテントにやってきたウィスクはツォモ茶を所望して、大きなため息をついた。

「上というと、五層ですか?」

「四層から上。今回結構学者がいたでしょ。あの人たちが揉めたりもたついたりしてるみたいなんだよねぇ」

 ウィスクの言葉で、学者の存在を思い出した。すっかり忘れていたが、今回は冒険者ばかりではなく、魔窟に馴染みのない人たちも潜行していた。潜る時に途中まで一緒だった学者は元気にしているのだろうかと、なんとなく懐かしくなった。

「揉めるというのは、順番で?」

「いや、残って研究を進めたい、みたいな感じ」

「想像より強靭ですね」

「ホントホント。『駆け出しは三泊するな』っていうのにねぇ」

 『駆け出しは三泊するな』というのは、経験の浅い冒険者が魔窟で三泊もすると精神を乱すことになるからやめておけ、という教訓めいた言葉だ。ウィスクも知っているということは、ラクシャスコ・ガルブだけでなく、多くの魔窟でいわれていることなのだろう。

 魔物が闊歩する場所に緊張状態のまま三日もいれば気がおかしくなる、ということの他に、昼夜がわからない場所に三日もいれば具合が悪くなる、ということもあるらしい。

 大規模先行かつタシサという安全地帯にいるとはいえ、魔窟と縁遠い学者が長らく滞在していても問題ないというのは意外なことだった。

「好奇心は何にも勝るってことだ」

 眠そうな顔でウィスクの隣に腰を下ろしたのはムスタだった。あれから毎日顔を合わせているので、気まずさはない。が、ムスタはぼくの様子が気になるのかもしれない。窺うような視線が、今日もぼくの顔をひと撫でする。

「ああ、ムスタもあっち寄りだもんねぇ。仲間のことはよくわかるか」

「あっちとかいうな、あっちとか。まあ、否定はできないが」

 言われてみれば、魔法も剣も使わない冒険者というのは珍しいかもしれない。それもこれも、一緒にいるのが相当に腕が立つ冒険者であるからできることだろう。

「そもそも、何かにのめり込む人間にとっちゃ、朝も夜も関係ないんだよなぁ」

 大あくびをするムスタの足を蹴ったウィスクは、ぼくを見て肩を竦めた。

「面白いものを作るけど、礼儀作法がなってないんだよねぇ」

「かしこまったところに出入りするわけじゃなし、顰蹙買わない程度にしてたらいんだよ。なあ、ソウ」

「ソウにおかしなこと教えないでよねぇ」

 茶番めいたやりとりを聞きながら、出来上がったツォモ茶をウィスクの前に出した。

「ムスタの分もありますけど、濃いめにしますか?」

「とっても気が利くぅ。ありがとぉ」

 眠たげな目を瞬かせながら、ムスタは嬉しそうに身を捩った。鍋を洗っているナビンに声をかけ、余ったお茶をすすめると嬉しそうに頷いて、ぼくの後ろの岩の上に腰掛けた。

「上が詰まっているから、あと三日はかかるだろうって」

 ウィスクに聞いたことを伝えると、神妙な顔で茶を啜ったナビンはそのままの顔で頷いた。

「食料は問題ない。詰まっているのはどうしてだ?」

「学者が帰りたくないと言っているみたいだ」

「何故?」

 ギョッとした様子のナビンに気づいたウィスクが、窺うような視線をぼくに向ける。ぼくは笑って軽く首を振り、ナビンに向かって「学者とはそういうものらしい」と答えると、ナビンは眉を寄せて渋い顔をした。彼らの考えが理解できないのだろう。

「学者が帰りたがらないのが理解できないみたいです」

「なるほど。まあ、普通はそうかもねぇ」

 ウィスクにナビンの様子について説明すると、彼は理解を示すように頷いた。

「ぼくらの場合は信仰にも関係しているので、尚更です」

「信仰?」

「ぼくらの信仰の対象は山なんです。グムナーガ・バガールからも見える、白い美しい山で、その山頂に神がいるとされています。地下に入るというのは、神から遠ざかることになるので、信心深い人には嫌がられる行為です」

「なるほど」

 ウィスクの表情が硬いことに気がついて、ぼくは慌てて言葉を添えた。

「信心深いのは年寄りばかりです。ぼくらはそれほどではありません」

「ついつい、俺たちの常識で考えちまうけど、それはやっぱり奢りだよなぁ」

「ふたりとも、長いことここにいるけど大丈夫なの? 特にソウは入ってから一度も外に出ていないだろ?」

 簡単な答えは「仕事だから問題ない」だが、この場面では適切な回答ではないとわかっている。

「ぼくに関しては全く問題ありません。ナビンについても、心配はないと思います。本当に信心深い人間ならば、この仕事はしません。それに、信仰というものは信じる側の心の有り様ですから」

 ぼくの考え方の根底は前世の慣習にある。ここで生まれ育った生粋の人間ではないから、信仰についてどれぐらい迫った発言ができるかはわからないが、集落の年寄りと同じような考え方を持つ人間は、魔窟になど絶対に入らない。

 どれぐらいの抵抗があるかは本人しかわからないことだが、信仰と仕事を天秤にかけて、仕事のほうに傾いたからここにいることは間違いない。

 ナビンが学者の様子に驚いたのも、心の底からの信仰心からというよりは、集落での慣習的な反応なのだと思う。

「ナクタに、ソウをリュマに誘ったって聞いたけど、ナクタは信仰の話とか知ってるの?」

「知ら、あ、いやどうでしょう」

 市場で会った翌日、周辺を散歩をした時にそんな話をしたかもしれない。

「知っていてもいなくても、問題はないですよ。ぼくは、本当に集落の慣習の外にいるので。姉のことがいい例でしょう?」

「ああ、うん。そうだね」

 頷きながらも、ウィスクはどこか気遣わしげな様子を消していない。ムスタのほうは、前世持ち同士であるから納得はしてくれるだろう。

「気を遣ってくださるのはありがたいですが、必要以上に気を回してもらわなくて大丈夫です」

 ぼく自身、チャムキリ寄りの視点を持っているので、彼らが心を痛めたり、ヤキモキしてしまう気持ちはよくわかる。自分たちの生活環境が良ければ良いほど、そこから離れた文化には哀れみの感情を持ってしまうのだ。相手が望んでいるかどうかもわからないのに、自分が良いと感じるものを与えるべきだと考えてしまう。

「あなたたちから見れば、ぼくたちは遅れていて、可哀想に見えるかもしれませんが、こちらが望んでいる以上に手を出すとなると、それは却って傲慢なことではないですか?」

 けれど、文化が異なるのだから価値観も異なるのは当たり前のことだ。

 人権的な配慮から鑑みて、変えたほうがいいだろうと思うことも多々あるが、それが理不尽なものでない限り、そして本人たちが変えたいと望まない限り、手出しをしてしまうのは傲慢なのだと思う。

 ぼくの抱える問題でいえば姉のことだ。姉が望んでいないのに、姉をひとりの人間として扱おうとしてしまうのは、果たして良いことなのかどうか。あの集落の中で生きていくには、現状維持のままのほうが上手くやっていけるのかもしれない。

 けれど、姉はそれを拒んだ。名前を持ち、ひとりの人間として生きていくことを選んだ。だから、手助けをすることは間違いではないはずだ。

 この辺りは難しいところだと、憐れまれそうな立場にいると感じる。選択肢がない中で自身が選んだ判断を、可哀想にと言われてしまうと、この上ない無力感を覚える。選びようがなかった他の道を示されて、こちらのほうがいかに素晴らしく正しいかと言われても、存在しない選択肢を選ぶことなどできるわけがない。

「ソウ? どうした?」

 緊迫した空気を感じたのだろう。ナビンが控えめに声をかけてきて、ぼくはゆっくりと息を吐いて、気持ちを切り替えた。

「ちょっと意地悪を言ったかもしれない」

 驚いたナビンが恐る恐るウィスクたちを見る。怒らせてしまったのではないかと思っているのだろう。

「すみません。卑下が過ぎましたね」

 ふたりに向かって謝罪すると、ウィスクは「いやいや」と苦笑いした。

「ソウが謝ることじゃない。ボクが妙に深刻になっちゃったのが良くない。ごめんね」

「俺たちは、お互いに言葉の裏まで読もうとしすぎなわけよ。それほど知らないのに気を遣おうとして嫌な回り方になったっていう」

 ぼくのこともウィスクのこともわかるような立場にいるムスタは、困ったような気配を漂わせながら、うまいこと纏めようとしているようだった。

「変な空気になったことは全員に問題があるということで、ナビンに謝ろう」

 その提案に同意して、ぼくはナビンに「ボードン」と謝罪すると、ウィスクとムスタもそれに倣った。言い慣れない言葉を受け取ったナビンはギョッとしたように顎を引き、ぼくに妙な視線を向けた。

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