八十六通目 確信
「撤収が決まったのは聞いてるか?」
昼近くに朝食を摂りにきたフォルカーに尋ねられ、ぼくは知らなかったと答えつつ、随分とあっさり決まったなと不思議に思った。
昨夜の時点では決定していなかったように思うのだが、いつの間にそういうことになったのだろう。
「あの若造が石化したってのがセルセオの耳に入ったらしい。んで、対策不十分ってことで一時撤退という話になったみたいだな」
あくびを噛み殺したフォルカーに、焼いたドゥンクーと刻んだ野菜の入った汁を手渡すと、嬉しそうな顔で汁を啜った。
朝一番にやってきたウィスクの話でもフォルカーが助言してきたというし、あれこれと調整を終えてから眠ったのだろうか。
「石化してくるような魔物と六層で出くわすとは思ってなかったろうしな」
「そういうものなのですか?」
「一応、傾向というのかな。他の魔窟の情報はサンガに集まるんだ。そこで他の魔窟での魔物の種類、傾向、症状なんかを確認できるようになっている。だから大体どれぐらいの深さに、どういう感じの魔物が出るかは何となく把握してるんだ」
どれぐらいの魔窟があるのかはわからないが、統計が出るぐらいには情報が集まっているということなのだろう。思えば、ウィスクやムスタもよく意外そうに首を捻っていた。それぐらい、その情報には信用性があって、魔物の出現傾向には法則性がある、ということか。
「もちろん、今回のように例外もあるわけだが、目を瞑っていられる例外とそうじゃない例外があるわけだ」
「今回は瞑れないほうなのですね」
「そういうこと。石化なんて、緩やかで絶望的な死でしかないからな。対策しておきたいって思うのは素直な感情だろ」
それはそうだろうと頷きつつ、対策なんてあるのだろうかと内心で首を捻る。ナクタがジーノに対して行ったことは、ナクタでなくてはできないもののような気がしたからだ。
「対策ができるものなのですか」
今回の件をナクタたちは『呪い』と判じ、解呪のための呪文を唱えて成功したようだが、『呪い』以外でも石化することがあるとなると解除の方法も違ってくるだろう。それらへの対策となると、並々ならないのではないだろうか。
「完全な対策はできないだろうな。石化については、わからないことのほうが多い。ただ、わかっていることもあるから、そっちの準備をするってことになる」
石化は死と同等だというのだから、確かに情報は少なそうだ。生きて戻れた人物がどこまで把握できているかということになるのだろうが、ジーノに尋ねてみたところで、どうしてこうなったのかはわからないのかもしれない。
「俺たちにしてもそうだが、この深度で石化の可能性があると思っていたリュマはいないだろう。どう対策していくか考えるところからだが、どんな魔物が石化させたのかもわからない状況だからな。答えが出なけりゃ手を引くという選択を取らなくちゃぁならない」
ドゥンクーを噛みながら、フォルカーは難しい顔をした。
原因が不明なまま対策を取ろうというのはかなり難しい。出来うる限り最大限の範囲に腕を広げるしかないのだろうが、揃えるには金もかかれば、日もかかる。どこのリュマでも負担できるというものではないだろう。
「今回のことで支度金などは出ていないのですか?」
「多少なりとはな。だが、命をかけてもいいというほどの金額じゃあない。それに」
フォルカーはぼくを手招き、耳に顔を近づけた。
「俺たちが命を張ったところで利があるのはセルセオだけだ」
ぼくが眼差しで問うと、フォルカーは頷いた。
「あいつは口が上手い。尊い犠牲とか言い出して、自分の手柄の添え物に使うことは目に見えてるからな。死してなお、あいつの養分になりたがる奴なんていないだろうよ」
なるほど、とぼくは相槌を打った。
冒険者という人たちは、自分たちの腕に誇りを持っている。誇りを持っているからこそ、敗れた時は力不足だったと思うしかないという割り切りも持っているように感じる。だから、基本的には利己的だ。損得の見極めができなければ短命で終わるのだから彼らのありようを責められるわけがない。
今回の潜行は、セルセオの記録更新のためのものだ。セルセオ自体が金を集め、人を集め、開催したものになる。そこでいくら頑張ってもあまり意味がないということなのだろう。
ナクタたちのように、ドジェサを発見しただとか、そこから下の階層に行ったという功績があれば逆転できるかもしれないが、それはそれでセルセオの顔を潰す行為になりかねない。その辺りの駆け引きをするのは面倒くさいというのもあるのだろうと思う。
「しかしまあ、こういうことになったからには、本気になるヤツらが増えるかもしれないな」
フォルカーの言葉がピンとこず、ぼくは首を傾げた。
「この魔窟は底が浅いんじゃないか、って目算する奴が出てくるってことだ」
「強敵がこの層で出てきたから、ですか?」
「その通りだ。おまえさん、勘がいいな。荷運びさせとくには惜しい人材だって言われるだろ」
ぼくは曖昧に笑った。褒められているのはわかるが、その手の言葉に喜んでいいのかどうなのか、ここのところ複雑な心境になっているからだ。
「最下層に到達できれば名が残る。今回戻ることになったが、セルセオは下に行きたいって奴らを抑えられるものかねぇ」
チカチカと、まぶたの裏が点滅した。柴の顔が脳裏を過り、夢の終わりの言葉が甦ってくる。
「あなたも挑むのですか?」
「まあな。まずは、どうやって下の階層を目指すかが問題ではあるが」
そういえば、この六層のドジェサも見つかっていないことになっているのだ。最下層を目指すためには、正攻法で行くかセルセオと同じ縦穴を狙うかの見極めにもなってくるだろう。
「正直、五層のあの状態もよくわかっていない。どの周期で熱波が来るのかもわかっていなければ、熱波の元が何であるのかもわかっていないんだ。そのことを考えると、縦穴を使うのは危険だと思うがな」
氷で覆われた五層目の中央に開いた穴。あの仕組みについても何もわかってはいない。そもそも、魔窟についてわかっていることなんて、ほんの一握りに過ぎないだろうことは、熟練の冒険者なら皆、気づいている。
気づいていながら、博打を続けられる精神を持っているのが冒険者なのだ。並の人間ではとても持たないだろう。いつだって、捨て鉢な気持ちと自己の利益を胸の裡で戦わせている。
「おまえさんはどうするんだい?」
尋ねられても、ぼくに答えなどない。
「今回のことで、おまえさんは同業者の中では一番六層のことを知る者になった。ナビンは匿ってくれるだろうが、噂が広まるのは早い。冒険者だけでなく、同業者からも付き纏われることになると思ったほうがいい」
「何故ですか?」
冒険者に求められることは想定していたが、同業者のことは何も考えていなかった。そもそも、ぼくは頭数調整のために六層に来た人間だ。元々実力十分というわけではない。冒険者にはそこのところが伝わらないかもしれないが、同業者は知っているのだ。
「おまえさんが一番稼ぐ歩荷になるからだ。金のために歩荷を選んでいるのだから、最も稼ぐ同業者に注目が集まるのは当然のことだ。おまえさんの名前を騙って仕事を受けようとする奴も出てくるだろう」
指摘を受けて、ぼくは唖然とした。そんなに大それたことをしてしまったなんて、思いもしていなかった。何も選ばずにいれば、今までと同じ日々を送れるものだとばかり思っていたが、状況がそうさせてはくれないらしい。
「その年で、いろいろ考えたり選んだりしなくてはならないのは大変だと思うが、何も考えていないで渦中に放り込まれるより、考えておいたほうが幾分か気がマシになるだろう。戻るまでにはまだ時間がある。ナビンと話し合うなりして、多少なりとも方向を固めておいたほうがいい」
いつの間にか食事を終えていたフォルカーは、ぼくの両肩を掴み、グッと力を込めた。
「もしかしたら、おまえさんは魔窟に選ばれたのかもしれないな」
「魔窟に選ばれる?」
「たまにいるんだ。魔窟と妙に気が合うとでもいうのか。他の誰よりも困難が少なく、最深層に辿り着く冒険者が。そういう奴を『魔窟に選ばれた』と。俺たちは言っている」
思わずぼくは顔を顰めた。それを見たフォルカーは苦笑して手を離す。
「おまえさんには嬉しい話じゃないか」
「そう、ですね」
「悪いことを言った。忘れてくれ」
「いえ、お話できて嬉しかったです」
フォルカーは「美味かった」と言い残して去っていき、ぼくは台を拭いながら先ほどの言葉を考えていた。
魔窟に選ばれた、可能性について。
正直なところ、思い当たる節しかない。否定したくても否定できないほど積み上がっている。新たなる確信を積み重ねたに過ぎず、ぼくは途方に暮れた。




