八十一通目 選択肢
しかし、ぼくには魔力を分けたという感覚はなかった。
そもそも、魔力というものを具体的に感じたことがない。魔窟に入った時に感じるものが魔力なのだろうか。地上よりも息苦しく、圧迫される気はするが、それは単に危険なところに入った故の本能が示す警戒心によるものなのではないかと思っていたのだが。
「魔力とはどういうものなのですか?」
「うーん。一言で答えるのは難しいな。人によって感じ方が違うものだし」
答えながらナクタはムスタを見た。
「俺に言われてもな。それほど多くの魔力が扱えるわけじゃないし」
視線を受けたムスタも答えに詰まり、顎に手を当てて唸った。
あちらにない魔力というものを説明してもらうのには、ムスタが適任のような気がするのだが、言語化するのは難しいものなのかもしれない。
「魔法に転用されるものが魔力で、それは人間の体内にある、というか、通過するというか、そういったもので、自然にあるものを魔素と呼んでるって感じか?」
ムスタは捻り出したらしい解釈を口にしたが、自分の言葉を怪しんでいるせいか表情が不審だ。
「まあ、そうだな。魔力といった場合は、魔法に使われる場合か」
ナクタの反応もぼんやりとしている。ムスタは人間といったが、ナクタはそこを引き取らなかったあたり、魔物が使っているものを含めたのだろう。
「俺の感覚としては布漉ししてる水みたいな感じで、細く長く出せるかなぁって感じだな。扱える魔力量が少ないから、そういう感覚になるんだと思うけど」
「オレはもっとこう、ふわっとした感じだな。温石を抱いた時みたいな」
温石というのは温めた石のことで、温めた石を布で包み、カイロのように使う。小さい頃に祖母が布団に入れてくれたことを思い出し、懐かしい気持ちになった。
「扱うときの感じも影響してるのかもな。俺は加工する時に使うから、一定の量を長く使いたい。ナクタの場合は、相手を包むようにしたいわけだろ?」
使い方によって魔力というものを意識しているということだろう。だとするならば、先ほどぼくが何をしたのかでわかるかもしれない。
「では、さっきぼくはどう使ったのですか?」
「――筒?」
「筒?」
端的なナクタの言葉に、ぼくとムスタは異口同音に鸚鵡返しした。
「ソウは魔素を取り込むことができるだろ? それを送ってもらったんだ」
「そんなことができんのか!?」
「できませんよ!」
驚いたムスタが前のめりになってきたので、ぼくは思わず身を引いた。
「魔素を取り込めるって、だから魔窟のほうが調子がいいとかなんとか言ってたのか」
そんなことは言っていないと答えようとしたが、それを言ったのはナクタだということに気がつき、言いたかったことを今更ながらに理解した。
ムスタはぼくが魔素を取り込めると思っているから、地上よりも魔素の濃い魔窟のほうが調子が良いと思った、ということか。
「魔素を取り込むなんて、できるものなのですか?」
「どうだろうな。魔力というものがどういう仕組みで作られているのか、はっきりとはしていないから、できないとは言い切れない、と思う」
慎重なムスタの答えに、可能性が全く無いわけでもなさそうだと思った。
人はミヒルの実から生まれる。それはこの世界の常識だ。誰も疑うことはない。
そのミヒルは魔素を集め、魔物も生み出す。人にならなかった実は、魔核の代用として使われる。これも周知の事実だ。
では、人とはなんなのだろう。
同じような話を前にもしたような、気がする。
「いや、できるだろう」
それまで黙って先頭を歩き続けていたピュリスが口を開いた。
「我々のような戦闘特化型の魔法は、地上で使うことがほとんどないから純粋な比較はできないが、魔窟のほうが調子が良いというのは確実にある」
「そういうもんなの!?」
「ああ。おまえだって知っているはずだ。十年ほど前に出た論文でいわれていたじゃないか」
正面を向いたままのピュリスに近づき、ムスタは答えた。
「『研究機関を魔窟に作るべきだ』ってやつか。いやでも、あれは机上の空論というか、実際は無理だって話だっただろ。魔導具が誤作動を起こしやすいから正確な数値は出ないって」
「誤作動を起こしやすい理由は魔導具が魔素を取り込んでしまうから、だろう? 調整された魔導具が魔素を取り込んでしまうんだ。人が取り込まないと考えるほうが不自然だろう」
「実際のところ、どうなんだ? ピュリスは魔窟のほうが調子良いのか?」
言い合いになりそうなところにナクタが割って入った。ピュリスはチラとぼくを見ると、すぐに前を向いて頷いた。
「魔法を操る人間なら全員同じでしょう」
ピュリスほどの使い手がいうのなら間違いがないのだろう。言い振りからは意図的に魔素を取り入れているわけではなさそうだが、影響を受けている感覚はあるようだ。
なるほど、と頷きかけて、ふと気になった。
ピュリスは今、魔法を操る人間なら全員同じだ、と言った。それはつまり、ナクタも当てはまることになりはしないだろうか。
ナクタが魔法を使っているらしいところを見たのは、ジーノを治療した時だけだ。
四層から降りてくる時も、一緒に六層を探索した時も、ナクタが魔法らしいものを使っているところを見たことはない。戦闘に参加することもなかったので、一体何を得意とする人なのだろうと思っていたのだ。
「ナクタは魔法を使っているのではないのですか?」
ナクタが魔法を使っているのなら、ピュリス同様、魔素の影響を受けている感覚を知っているはずだ。
「魔法といえば魔法だが」
「彼のは『祈り』だ」
いつものようにどう説明したものかといった様子のナクタを無視して、ピュリスが短く答えた。
「『祈り』、というのは」
魔法とは別物なのだろうか。
「王族だけが持つ力だ」
ムスタが小さな声で耳打ちした。
ぼくはハッとしてナクタを見た。その双眸の色を見ることはできない明るさだが、その瞳の色が王族の証であるという話を、思い出した。
「『祈り』とは、人を癒す魔法のことをいうらしい」
ナクタはどこか他人事のように、そう言った。
人を癒す魔法といえば、白魔法だとか治癒魔法だとかいった治療師の持つ魔法のことだと、ぼくの前世の記憶に刻まれている。人の怪我や症状を癒し、時には蘇生までこなす魔法使い。
そこでぼくは思い出した。
王家に繋がる人間には治癒能力がある。ということは、他の人にはない、ということなのだ。
今まで関わった全てのリュマに、そういう魔法を使う人がいなかった、という事実。イヴァンやロッシのように、薬品などを用いて治療する冒険者はいたが、魔法での治癒は一度も見たことがなかった。
チャムキリなら誰でも知っている神話で語られる、聖女と王様の物語。聖女には特別な力があり、それが治癒能力だった。王家に連なる者にだけ治癒能力が受け継がれていくため、王位を奪うという考えすら浮かばない――ニーリアスがそんなことを言っていた。
今まで忘れていたのは、ぼくたちの集落では知られていない話だったのと、前世の記憶に引っ張られていたせいだ。物語に描かれる冒険者パーティにはかならず回復役がいて魔法で傷を治していたから、そういうものだと思い込んでしまった。
「とはいえ、オレのは大したことはないんだ」
「石化を治したのに?」
急に自らの能力を卑下するナクタに驚いて、ぼくは率直な感想を口にしてしまった。イヴァンもロッシも、石化は無理だろうといっていたのだ。それを治療したのだから、大したことはあるだろう。
「いやいや、嘆いているわけじゃない。大した能力の持ち主だったら、こうしてフラフラしていられないからな。逆に幸運だったと思ってるぐらいだ」
「そうなのですか?」
「そうさ。大した能力があったら、大神殿行き決定なんだぞ」
「それが誉だろうに」
茶化すムスタに、ナクタは顰めっ面をした。
「あんなキラキラした重そうなものくっつけて、偉そうにしてないとならないなんて、絶対に嫌だ」
一般的には名誉なことでも、本人が望んでいないならありがた迷惑というものだ。
「だから、ソウが警戒するのもわかるつもりだ」
急に確信に迫るような言葉を言われて、ぼくはドキリとした。
「望まないことを無理強いするつもりはない。けど、オレとしてはお願いしたいと思っている」
妙に改まった口調に、追い詰められた気分になる。
「オレのリュマに入ってくれないか?」




