七十八通目 解呪
「それじゃ、準備を始めますか」
仕切り直しといった具合にムスタがパンっと手を打つと、デラフがアーレトンスーを開き、木の棒を組み立て始めた。
「こっちのふたりは大したことないから、そっちで見てよ」
ウィスクは動けなくなっているふたりを眺めると、フォルカーたちに言った。
「ふたりに石化の気配はないんだな?」
「ないない。多少消耗してるみたいだけど。こっち使うから、ちょっとどいて」
フォルカーに確認されたウィスクは、ふたりを追い払うように手を振ったが、状況把握がうまくできていないのか、ウーゴとレダに動く様子はなかった。
「邪魔なんだけど」
あからさまな不機嫌に、ロッシが慌ててレダを引きずり、イヴァンに向かって顎をしゃくった。肩を竦めたイヴァンは、ウーゴを引きずろうとしたが重量的に負けてしまい、フォルカーがそれを手伝う。
「はいはい、すみませんねぇ」
組み立てた棒に布を張ったものを、デラフとムスタのふたりが衝立のようにして空間を区切るので、ぼくは慌ててフォルカーたちのほうに寄ったが、ウィスクに「何してんのさ」と引き戻された。
「邪魔になりませんか」
「今のナクタに一番必要なのはソウだよ」
手を引かれてジーノのすぐそばに連れていかれた。
ピュリスは帳面を広げ、ジーノの様子を書き留めているようだ。改めてジーノを観察してみる。灰色がかった石の様子は前世での墓石を思い起こさせる。先ほどはつま先から足の辺りばかりを見ていたから気づかなかったが、顔を見ると表面の滑らかさに気づく。まつ毛や髪の一本までくっきり見えた。レーザー加工が可能だった前世の技術ですら、これほど微細な表現はできないだろう。
「毒によるものですか?」
真剣な顔でジーノを見つめるナクタに尋ねると「どうだろう?」と首を傾げた。
「石化する毒となると、魔物の息によるものが代表的だけど、これだけ見事に石化するとなるとリュマの半分は石化するだろうし」
ナクタの説明から、巨大な魔物から毒の息を吹きかけられる様子が想像された。確かにそれならひとりだけ毒を浴びるということにはならなそうだ。
「この場合は『呪い』なんじゃないかな? どう思う?」
どう、と言われても答えようがない。返答に詰まって、すぐそばにいるウィスクに視線を向けると「ナクタがそう言うならそうなんでしょ」とつれない言葉が返ってきた。
「『呪い』ですか」
とすると、昼間の毒は全く関係がないのだろうか。たまたま、ジーノに不運が重なったということなのか。
「なんで毒だと思ったのさ」
ウィスクに問われ、彼らが昼間の出来事を知らないということに今更気がついた。かいつまんで説明すると、ピュリスがそれを書き付けながら「それが一因だろうな」と言った。
「この男が浴びた毒というのが目印になった可能性がある」
「あー、確かに。この階層にイゲルっぽいのいたもんねぇ」
ピュリスの言葉にウィスクは納得したようだが、ぼくにはさっぱりわからない。ナクタにはわかったのだろうかとチラと視線を移すと、やはり納得しているようだった。
「イゲルって魔物は仲間を呼ぶので有名なんだ」
「粘液を吐いてくるんだけど、それに誘引効果があるらしくて、うっかり体のどこかにつけちゃうと、移動しても次々に襲いかかってきて全滅ってことになるんだよねぇ」
ジーノが浴びた毒は、そのイゲルの粘液のようなものということだろうか。けれど、それと呪いはどう結びつくのだろうか。
「イゲルの粘液が引き寄せるのは、イゲルばかりじゃないんだ。イゲルが生息している階層には、それを目印にしている魔物がいる。共生関係ってやつだな」
「イゲルの毒を浴びたジーノを目印に、他の魔物がやってきて石化の呪いをかけたということですか?」
「たぶんね」
魔物同士が連携して人間を殺しにきているということに、言いようのない恐怖が足元から這い上ってきた。
今までは遭遇した時に攻撃されるというだけの印象だったのだが、こうして明確な意図を持って人間を駆除しようとしているのだと知ると、魔物が意思を持っていることが浮かび上がってくる。
「魔物には明確な殺意があるのですか?」
「まあ、ある。ね」
ウィスクがぎこちない感じで答えた。妙なことを聞かれたといった表情が隠せていない。あまりに愚問だったのだろう。
難しく考えずとも、今まで遭遇した魔物や聞いてきた話からも、魔物が人間を襲うものだということはわかっていた。わかっていたのだが、それはあくまで反応的なもので、意思を持ってのことではないと思っていた。屋敷の中に入ってきたものを駆除しようというだけの、単純な行動なのだと。
「なぜ、魔物は人を殺すんですか?」
「それは、魔物じゃないからわからないけど」
狼狽えたウィスクは、ナクタに助けを求めるように視線を向けた。
「別に、人間を殺すわけじゃないさ。魔物同士だって殺し合ってるしな。単に、縄張りを犯されたら殺すっていうだじゃないか?」
迷いのないさっぱりした顔で言われ、今度はぼくが狼狽えた。
「理屈じゃないと思う。魔物がオレたちと同じ考え方をしているわけじゃないと思うな。まあ、ウィスクの言う通り、魔物じゃないからわからんが」
「共生というところに不気味さを感じたんだろう」
ピュリスがぼくの心中を読んだように言葉を挟んだ。
「協力して人間を殲滅したいというよりは、都合がいいから利用していると考えてみたらいい。イゲルの習性を利用している魔物がいるというだけで、イゲルと相談の上でそうしているわけじゃないさ」
「そうなのですか?」
「少なくとも、イゲルに利点はない。相互共助していると思うから、気持ち悪くなるんだ」
気持ち悪くなる。それはぼくの心中を見事に表していた。悍ましさを覚えて落ち着かなくなったのだ。ピュリスは同じことを考えたことがあるのかもしれない。
「殺意はある。目の前のものを排除しようという意思は感じられるからな。だが、それだけだ。それ以上でも以下でもない。そういう意味では、人間よりもずっとマシかもしれないな」
ピュリスの言わんとしていることは、なんとなく伝わった。魔物には人間のような思惑はないということなのだろう。
「ソウは頭の回転も早ければ、感性も鋭敏だから、想像力に飲まれることがあるようだな。それは美徳だが、自身を追い詰める刃ともなるから気をつけたほうがいい」
「さすが、クーナド候補なだけある」
「やめろ。神職に興味はない」
ナクタが茶化すと、ピュリスは心底嫌そうな顔をした。
「それで、どうする。解呪の魔法陣が必要か?」
「そうだな。ソウ、身体が怠いとか眠いといった症状はあるかい?」
話を切り替えたピュリスに、少し考えるような素振りを見せたナクタは、ふとぼくを見上げて体調について尋ねてきた。
「いいえ。元気です」
意図がわからないので正直に答えると、ウィスクが「へぇ」と感心したような声を出した。
「もし、オレとソウが倒れても、タシサまで連れて戻れるか?」
「問題ない」
「なら、試してみるか。魔法陣はいらない」
不穏なやりとりに、不用意なことを口にしてしまったかと思ったが、もう遅い。ナクタが何故か笑って手招きしてくる。
「さっきと同じように、ここに手を当ててくれ」
トントンと自分のうなじを指すナクタに、なんだか恐ろしいことに加担させられている気分になってくる。
「あの、これに何か意味があるのですか?」
「ハハッ、今更だなぁ」
全くその通りだ。ぼくはすでに、同じことをしていて、それにナクタは満足しているのはわかっている。
「デラフとムスタは目隠ししっかりな。ウィスクは聴覚障害を、ピュリスは何かあった場合の対処を頼む」
あくまで軽い調子のナクタに、ピュリスとウィスクも軽く頷く。ぼくだけが苦いものを胸に抱えているようだ。諦めてナクタのうなじに手を置くと、ナクタは自身の両手を組んだ。
「それじゃ、始めようか」
宣言すると、大きく息を吸って何やら呟き始めた。
それは、ホリーの紡いでいた呪文の旋律にも似ているが、もっと高く澄んで、伸びやかに響く。ホリーのものが笛の多重奏であるなら、ナクタのものは歌であり鐘の音のようだ。
手のひらの先にあるナクタの体温が上がっていくのがわかる。じっとりしているわけではなく、やわらかな温もりとでもいうのだろうか。命の形があるような感覚があった。




