七十七通目 合流
「人がいるぞ!」
前方から声がして、ぼくは目的を思い出した。
ジーノたちの救助のためにここにいるのだ。ピュリスの魔法に驚いている場合ではない。
一瞬駆け出そうかと考えたが、ぼくが行っても足手纏いにしかならないし、ぼくよりも早く到着したほうがいい人は沢山いると気づき、出そうになった一歩を踏みとどまった。
「行かないんですか?」
ムスタはわかるが、ナクタにもウィスクにも慌てる様子がない。対して、フォルカーたちはいち早く先に駆け出している。
「ソウをおいていけないでしょ」
「あ、すみません。走ります」
言われてみればその通りで、丸腰の人間を置いていけるわけがない。慌てて走り出そうとしたが、ムスタに襟の後ろを掴まれた。
「急いでも窮屈になるだけだから、いいって、いいって」
「でも、ジーノたちの状態を確かめないと」
「フォルカーたちがなんとかするし、できなかったらピュリスがなんか言ってくるだろうから慌てなくていいって」
それはそうかもしれないが、それでいいのだろうか。
「あの人たち、人助けしたいみたいだし、いいんじゃないの」
あの人たちというのはフォルカーのことだろうか。どこか棘のある言い方が気になる。仲が悪いのだろうか。
「気にしない気にしない。こいつはソウが取られたから不機嫌になってるだけだから」
「そうじゃないって言ってるだろ!」
ムスタがぼくの肩を押して歩き出すと、ウィスクはその背を思い切り叩いた。
「イッて! 暴力反対!」
痛みに抗議するムスタを無視し、ウィスクはぼくを横目で見て言った。
「知らないヤツらと探索に出るなんて、危機管理が足りないんじゃない?」
その言葉に、ぼくはちょっと衝撃を受けてしまった。なんと表したらいいのかわからないが、新鮮な驚きだった。
ウィスクの言うことは、ある意味正しい。冒険者の全員が全員、善人ではないというのは当たり前で、冒険者とそうでない人たちを比べた時、犯罪者や暴力的な人数の割合は冒険者のほうが多い。魔窟の中での殺人を始めとした犯罪は発覚がしにくいこともあって、把握されている数よりも実際の犯罪率のほうがずっと高い、というのも確かだ。
しかし、ぼくの仕事は、そういった冒険者に雇用される荷運びだ。冒険者も歩荷もサンガに登録するし、契約書も交わすが、圧倒的に立場は下だ。ニーリアスのような特殊な例を除いては、ほとんど地元の人間が担う役割であるし、現地人の命は冒険者よりもずっと軽い。緊急事態で見捨てられることは多いし、酷い場合には「炭鉱のカナリヤ」のように使われることだってある。
そのぼくに「見知らぬヤツら」だとか「危機管理が足りない」なんていう言葉を向ける人がいるなんて、思ってもみなかったのが驚きの源にあるのだと思う。
そんなことを気にしていたら仕事にならない、というのが最初に浮かんだ感想であるし、それを言ったらウィスクやそのリュマだって「知らないヤツ」にほど近い関係だ。
「拗ねてるだけさ」
ぼくとウィスクの間に割って入ったナクタが言った。
「ソウが知らないところを見せる役割を取られたみたいで面白くないんだ。ムスタに今回のことを聞いて飛び上がるほどびっくりして、真っ先に駆け出したのはウィスクだぞ」
ナクタが面白がるような顔をして教えてくれるその背後で、ウィスクは思い切りその背中を叩きながら「そんなんじゃない」と喚いている。
「まあ、それはオレも同じだしな」
「それ、とは?」
「ソウを取られたみたいで面白くない、ってこと」
真顔でそんなことを言うナクタに、ぼくは困惑した。喜べばいいのか、迷惑がればいいのかわからない。
「そういうものですか?」
「年を取ると、若い子に何かしたくなるものなのさ。そしてできれば、その何かが人生のきっかけになってくれれば良いなと思ってしまう。される方にしてみれば有り難迷惑だろうけど」
その気持ちはわかる。
見た目は子どもなぼくとて、生きている年数を合算すれば中年ぐらいにはなる。なんなら、ナクタよりも年上だろう。そんなぼくだから、年若いウィスクなどを見ていると「健やかであれ」という、老人めいた気持ちになることがある。
若者には多くの経験をして、色々なことを知り、その時が来た時に栄光を掴み取るための準備をして欲しいと願っている。
それをそのまま、ナクタたちがぼくに抱いている感情なのだとしたら、なんともちぐはぐであるが、くすぐったいような気持ちである。
「わかります。ナビンもそうですから」
ナビンやニーリアスが、ぼくに未来の展望を持てと言うのも、そういうことなのだろう。自分ごととして考えると確かに、無理を言うなと思うところはあるが、彼らが口を出したくなるのは、彼らの後悔の轍を、ぼくに踏んで欲しくないからなのだろう。
大人の願いは無責任だ。それは、ぼく自身が若者に対して抱くものだから、よくわかる。潰えてしまった自分にあったかもしれない可能性を、誰かに託したいという感情は、身勝手で独りよがりなものだと切り捨てることもできるが、純粋な祈りでもあるから難しい。
もちろん、それらのことを歪むことなく真っ直ぐに伝えることができないから、行き違ったり鬱陶しくなったりするのだが。
「ナクタ!」
前方からかけられた声は緊迫していた。
「何かあったか」
ムスタがナクタを見やり、ナクタの顔つきが少し険しくなる。ぼくは思わず走り出し、それにナクタが続いた。
進むに連れ、水の音が聞こえてきた。空気も水分を持ち、寒さを感じる。
「どうした」
現場に着くと、フォルカーたちが厳しい顔をして円を描くようにして立っていた。
その中央には、地面に座り込んで泣きじゃくる男性と、顔を覆って動かない女性がいた。ふたりがウーゴとレダだろう。
そしてふたりと並ぶように、大きな岩があった。
「石化、か」
ムスタの言葉で、それが人の形をしていることに気がついた。
よく見れば、周囲の壁や地面のオレンジがかった色合いとは異なり、灰色っぽい印象だ。倒れた後、背中を壁に寄り掛からせた姿勢にしたあたりで石化してしまったのだろう。
「予想通りだったな」
ムスタが言葉を向けた先はイヴァンだった。タシサを出発する前に、ムスタのところに話を聞いてくると言っていたのを思い出した。
「泣いてるふたりのほうは問題ない。ショックでそうなってるだけだ」
イヴァンの言葉にも、ふたりは反応せずにいる。仲間が石化してしまったのだから、心が折れるのもわからないではない。しかも、その状態の仲間を見ながら魔窟の中でふたりきりで過ごしたのだから、心的疲弊はかなりのものだろう。
「これはどうにかなるものなんスか?」
ロッシがナクタに視線を向けた。
「見る限り、完全に石ッスよ」
石化したものを見るのは初めてなようで、興味深げに眺めているが、触れるのは抵抗があるのか近づきはしない。
「表面的なものじゃないのか? 頭がやられたら終わりな気がするんだが」
素直な感想だが、仲間の姿に衝撃を受けているふたりの前で口にする言葉ではない。イェナが容赦なく、イヴァンの脇腹に拳を入れた。
ぼくはイヴァンの指摘した状態を想像してしまい、思わず身震いした。
ぼくの想像する石化は、一瞬にして中身まで完全に石になってしまうものだったが、つま先からゆっくりと石になっていくことだってあるかもしれない。イヴァンの指摘した通りの石化であれば、中身は生身のままということだ。その場合、即死にはならないということにならないだろうか。確実に訪れる死を感じながら、何もできずにいるというのは恐ろしい。
「それは解除してみないことにはわからんな」
普段と変わらぬ口調で、残酷なことを言う。
同じリュマのふたりの身体がビクリと跳ね、ウーゴは声を上げ、レダは頭をゆるく振った。泣く気力も体力も尽きかけているのかもしれない。
「石化にも種類があるんだ。一瞬で石化するものは大抵中身まで石になる。この場合は砕けなければ元に戻る可能性が高い。時間をかけて石化するもののほうが複雑で、数時間で石化するものもあれば、何十年とかかってするものもあって、それぞれ状態が違うから、悪いが安請け合いはできないんだ」
ジーノの場合はどうなのだろうか。昼間の毒が原因なのだとしたら数時間をかけて石になったと考えられるが、その後の探索で石化する原因があったのだとしたら、一瞬とはいわないが短時間で石化したことになる。
「それで、これ、なんとかなるのか?」
「なんとかしてみるさ」
深刻さなど微塵もない様子で、ナクタは頷いた。




