七十六通目 貫通
どれだけ見つめたところで壁が消えることはない。
全員の心の中に焦りにも似た感情が募るのがわかる。しかし、なにも出来ないという現実を前にしても、突破口を必死で考えているのも伝わってくる。魔窟の中で、諦めるというのは最も死に近づくことだと、彼らはわかっているのだ。
それと同時に、限界を見極められる能力も必要だ。自分たちを生かすために、諦めなくてはならないこともある。
何も出来ないぼくは、ただただ無事を祈るしかない。祈りの方向性は曖昧で、皆が無事であって欲しいという、我儘なことを考えているということが、とても場違いにも思えた。
視界の端にゆらめく光を感じて振り返る。
「ピッケエレイン」
見覚えのある光は、希望そのものだった。
「ソウ!」
「ここにいます!」
咄嗟に動き出しそうになった足を止め、ぼくは声を張り上げた。聞こえた声はウィスクのもので、すぐに足音が近くなる。
「早いな」
ナクタたちの到着に気づいたフォルカーは、驚いた顔で呟いた。
「良かった。無事だー!」
湾曲した岩の先から姿を現したウィスクは、ぼくを見つけると声を上げ、すぐ近くまで寄ってくると足元にしゃがみこんだ。
「ソウ! 無事なんだな!?」
次に現れたのはナクタで、いつもの隊列を思い出していたぼくは思わず首を傾げてしまった。
一緒に探索した時も、ウィスクが先頭になるのはよくあることで、ナクタは後方でのんびりしている印象があった。ウィスクの後に顔を出すならピュリスだろうと思っていたし、ナクタの顔を見るとしたら最後のほうだと思っていたので不意を突かれた気分だ。
「無事です」
「はぁ、無茶するよ」
かなり急いで来たのだろう。よく見ればウィスクもナクタも汗だくだ。
「すみません。勝手なことをして。このほうが早いかと思いました」
「それは確かにそう」
ウィスクが膝に手をついて立ち上がると、周囲に視線を向けた。
「それで、問題の彼は?」
「この先だ」
応じたのはフォルカーだ。
「壁の先ってこと?」
ぼくと話す時よりは冷ややかな声を出したウィスクにちょっと驚いたが、思えば最初の頃はこんな感じだったようにも思う。他のリュマとのやりとりは仕事として応じるものなのかもしれない。
「そうだ。ソウの説明によると、あのリュマにはこんな障害はなかったようだが」
「ふーん。仕掛けがあるってこと」
腕を組んで壁を見たウィスクは「破ってもいい?」とナクタに尋ねた。
「破る? 壁をか?」
「他に何を破るわけ?」
驚いたイヴァンにウィスクは冷めた視線を向けた。
「そ、それは危険ッスよ! この先のことわかんないんスよ? もしすぐそこに残った三人がいたら大怪我になるッス!」
ロッシの言葉に、フォルカーたちは頷いた。
確かに、すぐそこにジーノたちがいる可能性はある。モニカの話通りなら、この湾曲した岩からそう遠くない場所で別れたと思われた。ジーノは動かせないだろうから、同じ場所にいる可能性は高そうだった。
「なら、ピュリスにやらせよう」
ナクタが振り返るのに合わせて見ると、丁度ピュリスとデラフ、そして息の上がったムスタが現れたところだった。
「ピュリス、あの壁に穴を開けてくれ」
ナクタの指示に、ピュリスは意外そうな顔をして何か言おうと口を開いた。
「だから! 穴なんか開けたらあっち側にいるヤツらが大怪我だって言ってんだろ!」
ピュリスの言葉を遮るように、イヴァンが声を張り上げる。それをナクタは「まあまあ」などと宥めながら、改めてピュリスを見た。
「できるか?」
「構わないが、リュ、ナクタこそ大丈夫なのか?」
一緒に探索していた時にも見たことがないやりとりに、今からピュリスが行おうとしていることは大掛かりなことなのだと察せられた。
「問題ない。ソウがいるからな!」
「は?」
急に名を呼ばれてぼくは間抜け顔を晒してしまった。何故呼ばれたのか理解ができない。フォルカーたちも意外そうな顔をしてぼくを見つめたが、見つめられてもどんな顔をしたらいいのかすらわからないからやめてほしい。
「さあさあ、ソウ、こっちに来てくれ」
ナクタはピュリスとともに壁の前に移動すると、ぼくを手招いた。
ぼくはみんなの視線を独占したまま、わけもわからずナクタの近くに移動する。
「そうしたら、オレの首筋に手を当てていてくれ。気分が悪くなったりしたら、すぐに言うんだぞ?」
気分が悪くなりそうなことがこれから発生するようだ。自分の身に降りかかるかもしれない災いの予測が全く立てられず、しかし断ることもできずにただ頷いて、しゃがんだナクタに促されるままに首の付け根に手のひらを当てた。
「それじゃぁ、他のみんなはちょっと離れてくれ」
デラフとムスタが線引きするように、フォルカーたちを奥に誘導し、ウィスクはしゃがみこんで楽しそうな顔でこちらを見ている。
「ウィスクは風を送ってくれ。それじゃ、ピュリス」
「わかった」
ナクタはピュリスの背中に手を当てると、ピュリスは壁に向かって両手を突き出した。
背後からは、ウィスクが操っているらしい風が壁に向かって吹き付ける。囂々と耳元で音が聞こえるぐらいには強いため、ぼくは両足に力をこめた。
顔が熱いと感じるのと同時に、風に乗ってどよめきが聞こえた。強風のせいで目が乾いてしまい、開けていられない。何かが生じていることはわかるが、それがなんなのかまではわからなかった。
先ほどまでちょっと寒いぐらいだったのに、今では汗が滲むほどに暑い。こんなに強い風が吹いているのに、熱気を感じる。ナクタの首に当てている手のひらの汗が気になった。
しばしそうしていたが、急に風がピタリと止んだ。熱気も先ほどまではひどくはない。
「ありがとう」
立ち上がったナクタに礼を言われて、作業が終わったのだと気がついた。
「穴は空いたのですか?」
目を瞬かせながら尋ねると「大成功だ」と嬉しそうな返事があった。
「いや、すげぇな」
すぐ近くでフォルカーの声が聞こえた。いつの間にか移動していたらしい。
「ツルツルッスね」
少し離れたところから聞こえるのはロッシの声だ。何がツルツルなのか気になって、ぼくは目を擦って、数度瞬いた。
目に飛び込んで来たのは、大きなトンネルだった。綺麗にくり抜かれた筒状の穴は、大柄なフォルカーでも難なく通れるほどの大きさがある。
驚くべきは、その表面だ。穴の内側の表面は、磨き抜かれた石材のように、艶やかな光沢に覆われていた。
「大丈夫だったか? ソウ」
背後から肩を叩かれて見上げると、ムスタがいた。驚いている様子はないので、こうなることはわかっていたのだろう。
「ぼくはなんともないです。それより、あれはどうやったのです?」
ムスタはぼくを促すように歩きながら「溶かしたんだよ」と、とんでもないことをなんでもないことのように言った。
「溶かした?」
「ピュリスは熱を扱うのが得意だろう? だから、丁度いい大きさに穴を開けてもらったんだ」
ニコニコしながらナクタが教えてくれる。となると、あの表面の光沢は、壁を作る土に含まれていたガラス質のものが溶けて固まったということなのだろうか。
「体はなんともないのか?」
ただただ驚いていると、ムスタが再度、体調を気遣う声かけをしてきた。
「なんともないです」
そう答えたものの、何故そんなに体調を心配するのかがわからなかった。先ほどはナクタの首に手を当てて立っていただけだし、ここに来るまでも大きな出来事はなくやってこられた。ムスタの心配がどこにあるのかよくわからない。
「あれ? 灯りが消えてますね」
ムスタを振り返っていて気づいたが、モニカが設置したであろう照明からは光が失われていた。先ほどの強風で不具合が生じたのだろうか。
「まあ、あれだけの魔力が使われたらそうなるよねぇ」
ウィスクの言葉に、そういうこともあるのかと思い、土を溶かすだけの熱とあれだけの強風が吹き荒れれば、かなり魔力が消費されるのも当然のことかと納得した。




