七十五通目 罠
ホリーはぼくたちに黙っているように言うと、かぶっていた頭巾を外した。
そして不快そうに顔を顰めると、大きく息を吸い込んで唇を横に引いて、金属のような高い声を発した。
ぼくは不快を覚えて耳を手で覆ったが、フォルカーとイヴァンは何ともないようだった。イェナとロッシは少し眉を寄せているが、ぼくほど反応はしていない。不快感の原因はホリーの声なのだと思うが、彼らは平気そうにしているのは慣れの差というものだろうか。
ホリーは少しずつ体の向きを変えながら、同じことを繰り返したが、ある方向で動きを止めて、確かめるように何度か声を出してから、頭巾を被った。
「ここからすぐに空洞がある」
ホリーが刺したのは、湾曲した先ではあったが、ぼくたちが進んだ方向とはズレた向きだった。移動して確認してみたが、他と同じオレンジの壁があるだけだ。通路が見えているわけではない。
「何をしたんだ?」
フォルカーが尋ねると、ホリーは面倒臭そうな顔をした。
「声の通りでわかる」
説明にはなっていないように思うが、先ほどの行動は意味があったということだけはわかった。ぼくには違いがわからなかったが、ホリーは声に力があるだけでなく、耳も良いのだろう。
「声の通りって、なんか言ってたのか?」
フォルカーの問いに、気だるげに頭を振っただけで、ホリーは何も言わなかった。寂しい反応に、フォルカーはぼくたちの方に顔を向けた。思春期の娘に拒否された父親のような顔をしている。
「うるさかっただろ」
身も蓋もないイェナの言い方に、ロッシが肘打ちを喰らわせる。
「金属の摩擦音みたいなのがしてたの、聞こえなかったんッスか?」
「そんな音したっけ?」
「音っていうか、声だと思うッス」
イヴァンが心当たりがないといったような顔をするのに、ロッシが渋面を作った。
どうやらフォルカーとイヴァンが平気な顔をしていたのは、聞こえていなかったからのようだ。だから平然とした顔をしていられたのかと羨ましく思った
ぼくの耳に聞こえていたのは、黒板に爪を立てた時のような不快音に近い。あれよりもっと高音で、肌の間に入り込んで逆撫でするような音だった。思い出すだけで、今も鳥肌が立つ。
それはさておき、通路だ。
ホリーの示した場所に通路はない。それに、モニカたちは壁を抜けたとは言っていなかったはずだ。何か条件が揃うと壁が消えてなくなるのだろうか。
「これといって仕掛けがあるわけじゃなさそうッス」
壁を触りながらロッシが言った。幻覚のような作用があって壁があるように見えているだけではないようだ。同じようにイヴァンも触って確かめているが、何も起こらなかったし、何も感じないようだった。
「うーん。移動した感じもないし、どうなってんだ? おっさんが殴ったら崩れるって感じでもないよな」
「そのあたりは何か聞いてるか?」
イェナに問われて、ぼくは「いいえ」と答えた。
「壁があったとか、崩したとか、そういったことは言っていませんでした」
「ということは、疑いもなく通路だと思って進んだってことよなぁ」
「もう一度聞いたことを話してもらっていいッスか?」
ロッシに問われ、ぼくは聞いたことを思い出しながら説明した。その場にいた全員が真剣な顔でぼくの言葉に耳を傾け、壁をじっと見つめる。
ぼくが説明し終えると、ロッシは通路の方を指差した。
「今の話だと、こっちの通路はなかった感じッスね」
「そうですね。戻った時は、行き止まりになっていたみたいです」
その点はぼくも気になっていた。ティントとモニカが戻ろうとしたら行き止まりになっていたと言っていた。今現在のように別の通路が見えていたのなら、そう言ったであろうし、灯りも設置しただろう。
「そうすると、人数の問題ッスかねー?」
ロッシが顎に手をやりながら言った。
「人数?」
「ジーノ氏たちが五人で進んだ時はこっち側に通路があって、ふたりだと壁になってたってことッスよね? 今、わっちらは六人ッスから、こっちが空いてるんじゃないッスか?」
言われてみればそうだ。人数によって通路の出現条件が変わるというのはあり得そうな話だ。
「そういや、ドジェサの扉も不思議な仕組みだもんな」
ドジェサの石扉も仕組みとしては似ている。あれは単純な人数の問題ではなく、実力によって決まるという謎仕様だ。
「石扉と似たようなことだと厄介だぞ。あいつらとの差を見つけなくちゃならなくなる」
苛立ったイェナが舌打ちするが、残念ながら単なる人数の問題ではないだろうとぼくは考えていた。
フォルカーたちが前回捜索した時は、ここまで来れなかったと言っていた。ということは五人なら良いというわけではないのだ。人数以外の問題があるのは明らかである。
すぐに調整できることといえば、男女比ぐらいのものだ。ティントたちは男三、女二のリュマだったようだから、同じ割合にすればすぐに試せる。
しかし、それ以外が条件であった場合、全く見当がつかないのでお手上げだ。
「あいつらの構成がわからんとどうにもならんな」
フォルカーが両腕を胸の前で組み、壁を睨めつけるようにしていった。
「そうねぇ。魔力量によってとなったら、どうにもならんね」
「その時はムスタ氏たちを待つしかないッスね」
ここまで来て自力突破できないというのは歯痒いものがある。それはぼく以上にフォルカーたちの方が感じているかもしれない。
「試せるのは男女比でしょう。聞いた感じでは、男三、女二のようでしたし」
「それなら試せる、と言いたいところだが。ひとりだけ残るのは流石に不安だ」
フォルカーの懸念はもっともだ。浅層であっても、魔窟にひとりで残れと言われて頷く人はいないだろう。そしてここは六層だ。危険度合いはかなり高い。
こうなってしまえばやれることはない。おとなしくナクタたちの到着を待つほかないということだ。
「そういや、あちらさんは男女比どうだっけ?」
「男四、女一です」
「ということは、男ふたり残ればいいってことか」
「男女比が答えではないかもしれませんよ」
イヴァンの言葉を否定しつつ、ウィスクがいたら全部解消されてしまう問題だろうなと思っていた。ウィスクには壁を破壊するという実績がある。
「それ以外で何かあるかねぇ」
「色々あるでしょう。たとえば、毒とか」
咄嗟に思いついたものを口にしたが、それが答えなのではないかという予感に背中が震えた。今までもこの辺りを縄張りとして行動していたジーノたちが、たまたま今回だけ先に進めた理由の説明がつくような気がするのだ。
ぼくは早口で色々と捲し立てたいような気持ちになったが、言葉にしたいと思えばチャムキリの言葉で考えなくてはいけないのに、圧倒的に語彙が足りず、もどかしさに頭を掻き毟った。
「どうした!」
フォルカーが慌てたように寄ってきたのに「大丈夫」と答えるが、脳内は全く大丈夫ではない。
「毒、か。見落としてたな」
イヴァンの呟きに、フォルカーが首を傾げる。
「なんの話だ」
「ジーノたちが壁を通過した条件だよ。ソウが言ったんだ。毒じゃないかって」
「毒? 毒って昼間のか」
まだ話が飲み込めない様子のフォルカーに説明するというよりは、独り言のような調子でイヴァンが続ける。
「ジーノは毒を喰らった。だから、通路が現れた。いつもこの辺りを歩いていたのに、水場に出たことはない。だが、今回は水音が聞こえてきた。それは、通路が現れたから。いつも歩いていたのに今回だけ通路が現れたのは、いつもと条件が違ったから」
「それが毒ッスね。確かに、そうなると」
ロッシも気づいたようで、暫し、沈黙が落ちた。
ぼくは前世で聞いた虫の話を思い出していた。ハリガネムシは昆虫に寄生して成長し、産卵のために宿主の脳をいじって水に飛びこませるのだそうだ。寄生された昆虫は水に落ちて死ぬか、カエルなどの餌になってしまう。
ハリガネムシとジーノが浴びた毒は、同じような仕組みを持っているのじゃないだろうか。毒で獲物をマーキングして、捕食する。壁の仕組みも毒に反応しているから、ジーノと離れたモニカたちは壁を通過できなくなった。とするなら、ぼくたちの誰も毒を浴びていないから、通路が現れないのではないか。
「あいつら、罠にかかったんじゃねぇの?」
イヴァンの言葉に顔を上げると、全員の顔が強張っていた。




