七十二通目 例外
後ろめたい時は饒舌になる。
ナビンが口を開くより先にあれこれと顛末を語り、勢いのままに捜索に加わることを伝えると、大きなため息が返ってきた。
「言いたいことは山ほどあるが、無事に帰ってこい。それだけでいい」
様々な感情を飲み込んだような顔でぼくの両肩に手を置くと、それだけ言った。
「わかってる。無茶はしないよ」
力強く頷くと、ナビンはぼくの肩を撫でるようにして、叩いた。
ナクタたちと探索に行き、戻らなかったのはついこの間のことだ。その間ナビンは生きた心地はしなかったろうとわかるのに、懐かしい思い出に変わる間も無く、危険に飛び込もうとしている。
経験が少ないぼくを六層に配置することになった時も、ナビンは渋ったに違いないのだ。けれど、他に候補者もいないとなったとき、自分の目の届く範囲にいるのならと決断したのだと思う。
だというのに、庇護の傘から飛び出そうとするぼくを、どう思っているのだろうか。選択を間違えたと思っているだろうか。それとも、ぼくという人物像を見誤ったと己の見る目の無さを後悔しているだろうか。後者だとしたら申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ぼく自身、自分がこんなに積極的に行動する人間だと思っていなかった。危険なことに興味が全くないかと問われたらそういうわけでもないのだろうけれど、危険だとわかっていて飛び込むような無謀さを持っているとは、自覚していなかった。
けれど気づいてしまったのだ。ぼくは地上にいる時よりも、魔窟にいる時の方が少し元気であるということに。罪悪感めいたものが、ほんの少し軽くなることを知ってしまった。
すぐに自分の荷物とザックを担いでイヴァンたちのテントに戻ると、用意された荷物を手早く詰めた。
「ソウ氏はこれだけを覚えてくれればいいッス。左腰に袋、右腰に回復薬、心臓に毒消し」
ロッシはぼくに着せた自分の服のポケットに、口にした順に口にした品物を収納していった。
「回復薬はホリーが左手を挙げたら渡して欲しいッス。まあ、ホリーも自分で持っているので予備ッスね。毒消しは何かあったら迷わず使って欲しいッス。足りなくなったらイヴァンがチャチャっと作るんで躊躇せずに使ったほうがいいッス。そして袋は、使用済みの瓶を入れるものッス。嵩は減らないッスけど、重さが消える魔導具なんで便利なんッス」
一息に説明されたが難しいことはない。重さが消える魔導具というのに興味がわいたが今はそれに気を取られている場合ではない。
靴の紐を結び直し、装備を確認したところで、バサッと出入り口の布が捲られた。
「それじゃあ、俺はナクタのところに行くから」
顔を覗かせたのはムスタだ。こちらに見せるように胸の高さに持った石は、ぼくの血液を塗りつけたものだろう。強い光を放っている。
「この通り、ちゃんと機能してる。じゃあ、現場で会おう!」
芝居めいた様子で、揃えた指二本を眉のあたりにつけて離す。ぼくの緊張をほぐすためにおどけているようにも見えるし、素でやっているようにも思える。
ムスタと入れ替わりにイヴァンが顔を出す。
「準備がいいなら、俺たちも行くぞ」
「石化についてはどうなったッス?」
「ムスタの方でなんとかできるらしい」
どことなく不満げな様子に、ロッシとホリーは顔を見合わせ、次いでぼくに視線を向けたロッシは肩をすくめて見せた。
「準備は万端ッス! いざ! いざ!」
元気に声を張り上げたロッシがテントを出ていくと、ホリーがぼくを小さく手招いた。
「元気になる薬。口に入れていくといい」
ぼくの手に何かを握らせ、ボソボソと小さい声でそれだけいうと、テントから出て行ってしまった。
手の中にあったのは綺麗な色をした飴のようなものだった。ぼくの集落ではもちろん、グムナーガ・バガールでも見たことがない透明感のある鮮やかな色をしている。元気になる薬だといっていたが、イヴァンが作り出したものだったりするのだろうか。
少し迷ったが、このままではベトつきそうな気配が濃厚なので口の中に放り込んだ。やはり、飴のような感じだ。つるりとして滑らかで、甘酸っぱい味がする。不快感はない。
口に含んだままテントを出て、フォルカーたちと合流する。
フォルカーが先頭で、中央にホリー。その後ろにぼくで、殿はロッシという並びで移動することになった。
「勝手に荷物漁るけど、そういうもんだと思って気にしないで」
何かと入り用だというロッシとイヴァンの前を、荷物持ちであるぼくが歩くことによって、彼らは好き放題使えるという形になるようだ。ホリー用の回復薬を渡されたのも、この順番だからなのだろう。
タシサを出て、通路を進み、柱が視界を遮る広間に出る。太い柱に設置された灯りが暗闇にぼんやりと滲み、幻想的な雰囲気を作り出している。
進み出すと、どこからか笛の音のようなものが聞こえてきた。ナクタたちと歩いた時にはそんな音はしなかったが、風が何かを震わせているのだろうかと思って首を巡らすと「ホリーだ」とイヴァンが教えてくれた。
「この笛みたいな音がですか?」
笛の音はひとつではない。二つか三つの音が絡み合うように揺らぎながら響いている。
「どうやるのかはさっぱりだが、ホリーの口からは幾つかの音が同時に出てくるんだ。器用なもんだよな」
ずっと呪文を唱えていると言っていたが、想像していたものとは全く違った。何かを言っているような気もするが、どちらかといえば楽器を奏でているかのような音で、音楽のように旋律がある。
「今のは魔除けッスね」
どこか寂しげな落ち着いた旋律だ。戦闘意欲を失わせる効果があるように感じはするが、音の発生場所を特定されたりはしないのだろうかというほうが気になる。
フォルカーは迷いなく歩を進め、ぼくはティントに聞いた道順を頭の中に思い描いた。
「こっちに進むと寒くなるんだよなぁ」
首元を気にするようにしてイヴァンが言った。
その言葉の通り、奥のタシサ側とは違い冷気が上から降りてくるようだった。首筋から背中に入り込んで、気持ちをゾッとさせる。
「イヴァンはマムアが嫌いッスからねぇ」
茶化すように言ったロッシをイヴァンが睨みつけた。
「あんな目にあったら誰だって嫌いになるだろうがよ」
「あんな目にあう前からじゃないッスかー」
ウシシッと意地悪そうにロッシが笑い、イヴァンは動物的な声をあげて威嚇した。
「マムアとはなんですか?」
聞いたことがない単語だ。魔物の種類や固有名詞だろうか。
「わっちの国の言葉で『アーヴェ』のことッスー」
アーヴェとは幽霊のことだ。ぼくらの集落ではズンミョンという。単なる霊魂とか魂といったものとは違い、悪意ある存在を呼ぶものなので『幽鬼』という表現の方が的確かもしれない。
「イヴァンは昔からマムアが嫌いなんスー」
「好きなヤツなんかいねぇだろ」
「ホリーは友達のようなものだっていってたッスよ」
幽鬼が友達のようなものというのもどうなのかと思ったが、今響いている旋律のうちのひとつが幽鬼のものだと言われたら納得してしまいそうだ。
「マムアにはイヴァンの作るものは効果無いッスからねー」
物理が効かないから嫌いだと言っている人もいるので、同じようなことかもしれない。もっとも、肉体を持たない魔物も存在するというので、前世のようにまるっきり架空の存在というわけではないのだが。
「こんな浅いところには出ねえよ」
「それはどうでしょう」
思わず口走った否定的な言葉に、拗ねたような顔をしていたイヴァンの表情が凍りついた。
「え? いるのか? アレが?」
「いえ、アーヴェがいるというわけではなくて」
ぼくは慌てて言い訳を探した。
「ラクシャスコ・ガルブの六層は他の魔窟とが違って、複雑で魔物が強いと聞いたのです。シュゴパ・ジーノの石化のこともありますし、思っても無いことがあるのではないかと」
この六層が複雑であることは、ここにいる彼らなら嫌というほど知っているだろう。それに、ジーノの状態が石化である可能性も匂わせれば、そんな考えに囚われたと思ってくれるのでは無いか、と考えた。
「それは確かにそうッスね」
ロッシが幾分真面目な声で頷いたが、イヴァンは鼻に皺を寄せた。
「冗談じゃなくッスよ。確かにこの階層はちょっと複雑ッス。わっちらもそれなりの腕だと思ってるッスけど、これだけの時間をかけても、ドジェサへの突破口が見つけられないまんまッスからねー」
すでにドジェサ主に面通りし、倒されてしまっていることを知っているが、素知らぬ顔でぼくは頷いた。
「マムアがいてもおかしくないッスね」




