六十七通目 予感的中
いつ戻ってくるかわからない人を待つのは辛い。不穏な状況であるなら尚更だ。
夜が深くなってきたためムスタは自分のテントに戻り、ぼくは起きてきたナビンと交代することとなった。
ウィスクが作ってくれた寝台の上に布を広げ、腰に巻いていた道具類を外して横になる。眠くはなかったが、ちょっとした時間があれば強引にでも休むというのは、ぼくらの生業に必要な技術だ。
目を閉じると、それまで頭の中で渦巻いていた様々な事が遠くなる。
赤髪の冒険者のこと、ナクタたちのこと、戻ってからのこと、姉のこと、謎の本の中身と、気になることや考えなくてはならないことはたくさんあるが、思い悩む前に全てを放棄して眠ってしまえる鈍感力こそが、ぼくの強みなのかもしれない。
後頭部が重くなり、寝台に吸い込まれるような感覚と共に、ぼくは何もない眠りの世界に落ちた。
意識が浮上したのは、ざわついた気配を感じたからだった。
覚醒しきっていない重い身体を起こしてみると、タシサ内は夜の色だった。眠ってからそれほど経っていないらしい。
眠る前に外した道具類を掴んで流し場に出てみると、難しい顔をしたナビンが、両腕を組んでタシサの出入り口のほうを見ていた。
「何かあった?」
「今しがた、騒がしくなったところだ。何があったのかはわからないが、あまりいい気配ではない」
ナビンの言う通り、聞こえてきたのは焦燥に塗れた声だった。内容までは聞こえないが、状況から察するに、赤髪の冒険者がいるリュマが絡んでいるのだろう。
念の為、彼らは戻ってきたのかと尋ねてみると、ナビンはため息をついて頭を振った。
「そのリュマ絡みだろうね」
眠る前にムスタから聞いた話を掻い摘んで伝えると、ナビンは呆れたように鼻を鳴らした。
「フォルカーの懸念していたことが的中したということか」
フォルカーというのは年嵩の男の名前だそうだ。六層に到達したのは二ヶ月前で、ナビンとの付き合いは三ヶ月ほどになるという。冒険者歴は長く、他の魔窟も探索したことがあるらしい。
未知の魔物への警戒感はそういった経験からのことなのだろう。ナクタたちといい、他の魔窟も経験している冒険者は堅実こそが生き延びる術だと学んでいるように感じる。逆に、ラクシャスコ・ガルブが初めての冒険者は、名誉を求め過ぎるきらいがある。赤髪の冒険者たちは、後者なのだろう。
喉の渇きを覚えたぼくは、残っていたツォモ茶をひと口含んだ。朝の目覚めに飲んでいることもあってか、頭に残っていた眠気の残滓が消え去り、すっきりとした気分になった。
「思ったよりも深刻そうだ」
難しい顔のままのナビンは、苛立っているのか、自身の腕を軽く叩きながら言った。
ぼくも改めて騒ぎの方に意識を向けてみたが、聞こえてくる声に涙声が混ざっているのに気がついた。だいぶ、嫌な予感がする。
切迫した雰囲気が伝わってきて、何かしないといけないのではないかという気持ちになるが、ぼくらの出番はないだろう。毒をどうにかする知識も技能も持ち合わせてはいない。
出来ることといえば、湯を用意することぐらいだが、それが必要かどうかもわからないし、湯ならばもう沸いている。
もうもうと立ちのぼる湯気を眺めながら、あのリュマが手ぶらで戻ったら、この大量の湯はどうなるのだろうかと、場違いなことを考えていた。
未だ火にかけている鍋はどうしたものだろうか。この雰囲気では使われないと思うのだが、火を落としてしまうと不謹慎の誹りを受けそうでもある。
「どうしたものかな」
「ムスタに聞いてきたらどうだ?」
思わずこぼれた言葉は単なる独り言だったが、聞き留めたナビンは相談だと思ったらしく、そんな提案をしてきた。
騒ぎの最中に何もできないぼくがのこのこと出ていくのは、彼らを煩わせるだけではないだろうかと思い、思わず顔が渋ると、ナビンは苦笑いを浮かべた。
「フォルカーを頼りにするにも、俺は言葉が上手くないからな」
「聞きに行くのが嫌なんじゃなくて、今は忙しいんじゃないかと思ってさ。聞いたところで、ぼくらにできることなんてないだろうし」
面倒で行き渋っているわけではないと伝えると、ナビンは軽く頷いた。
「出来ることがなければそれまでだが、人の手がいくつあっても困らないこともあるだろう。邪魔になったら謝って引っ込めばいいだけのことだ」
言葉が通じにくいのに、ナビンたちは遠慮せずに聞きたいこと聞きに行くところがある。その姿をぼくは、図々しいのではないかとか、空気を読んだ方がいいんじゃないかとか思ってしまうことがあるが、これは前世の経験を引きずり過ぎているのかもしれない。
言葉も違えば文化も違うのだ。ぼくの考え方は消極的すぎて、やる気が感じられないと捉えられそうである。幸いなのは、ぼくが子どもの姿であることだ。経験が少ないのだから仕方がないと思ってもらえるありがたさは、大人を経験すると身に沁みる。
子どもらしくわかったと頷き、早速ムスタの元に向かった。
夜更けだというのに、いつもの朝よりもずっと騒がしい。
普段と違うタシサの様子に、ますます嫌な予感が悪い方向に傾いていき、ぼくは大きく息を吐いた。
全くもって深い関係ではないが、見知った誰かに不幸が訪れるのは、気持ちの良いものではない。
フォルカーもナビンも、自業自得といった表現をしていた。その通りだとは思うが、割り切ってしまえるほど、心が鈍化しきれていない。そう言った彼らでさえ、冷たく突き放せるものではないから、こうしてタシサ全体が慌ただしくなっているのだと思う。
魔窟の中での同情は命取りではあるが、他者への心配りができないほどに冷酷になってしまえば、地上に戻っても人には戻れないような気がするのだ。
押し殺した啜り泣きの声が近くなる。周囲のテントからは慌ただしく身支度をする音が聞こえてきて、緊張感に飲まれそうになる。
「おっと、悪い!」
突然横手のテントから飛び出してきたのは、フォルカーと同じリュマの錬金術を使えるといった青年だった。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
素早く端に寄り、頭を下げる。青年は「いやいや、気にしないで」とだけ言って、すぐに立ち去った。顔を少しあげて青年の後ろ姿を盗み見ると、彼はしっかりと探索の準備を整えた格好をしていた。フォルカーのリュマは、これから探索に出るのだ。
やはり、良くないことがあったのだろう。泣き声の発生源はすぐそこだ。そろりと足を進めると、地面に座り込んだふたりの冒険者が見えた。
赤髪と同じリュマにいた顔だ。上から下まで装備を固めているものの、どこか薄汚れ、くたびれているように感じる。赤髪の姿はない。
「予感的中だ」
すぐ後ろで声がして、思わず飛び上がる。振り返るとフォルカーがびっくりした顔で立っていた。
「すまん。驚かせたな」
「大丈夫です。泣き声が聞こえたもので」
言い訳めいたことを口にすると、フォルカーはへたりこんでいるふたりに視線を向けた。
「解毒剤を使ったリュマのヤツらだろ?」
「はい。毒を浴びた方はいませんが」
「どうも、そいつが動けなくなっちまったらしい」
「解体の時の毒のせいですか?」
「さぁて、どうだかなあ。意識もなく、少しばかり奥に進み過ぎたせいで引き摺って帰ってくるわけにもいかず、三人残して、ふたりで戻ってきたんだと。まったく。欲深すぎて目も当てられねぇ」
呆れ口調だが、フォルカーはしっかり装備を整えている。
「探しに行くのですか?」
「まあな。命からがらふたりで戻ってきたんだ。行ってはみるさ」
軽い調子で言ってはいるが、どこか哀れみを含んだ響きを感じ取り、ぼくは視線を流した。フォルカーは最悪のことを想定しているように感じたからだ。
「あの、これ。気休めですが」
ぼくは腰にくくりつけた道具入れから、ダクパを引っ張り出した。
「ダクパといって、魔物除けになります。特に虫系の魔物には効果があるので」
赤髪の冒険者が動けなくなったと聞いて脳裏に過ったのは、吸血毒虫の噂だった。解体時に浴びた毒によるものだと考えるのが自然かもしれないが、吸血毒虫は血を吸うほかに、麻痺させて動けなくすると聞いている。
ナクタたちと歩いている間は、吸血毒虫の気配を感じることはなかったが、あれはナクタによる魔物避けの効果のためだろう。
「どうやって使うんだ?」
「口に咥えて、火をつけて、ふかすだけです」
「そうか。ありがとな」
フォルカーは笑顔を見せると、ぼくの肩を力強く叩いた。




