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ラクシャスコ・ガルブ潜行記  作者: 多寡等録
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十九通目 六層

 何事もなくタジェサを抜けて、六層に続く竪穴の前に立った。整備されていないため、下層へはロープを伝って降りるのだという。荷物のこともあるので、深さを尋ねてみると「ナクタふたり分じゃない?」とウィスクが答えてくれた。ざっくり四メートルほどになるだろうか。

「じゃ、ツィプイ」

 荷物を担ぎ直す間もなく、身体が浮かび上がった。焦りを覚えている間に動かされ、竪穴の上から下へと移動していた。

「――そういや、そうだったな」

 地面の感触を確かめるように地に両手をつけるニーリアスの心境は、ぼくのと全く同じだろう。すっかり忘れていたが、このリュマは簡単に魔法を使って移動するのだ。

「何もいなくて良かった」

 魔窟の中で、先が見通せない場所に移動させられるというのはなかなかの恐怖だ。魔物がいるかもしれないし、他のリュマが戦闘しているかもしれない。何もいなかったとしても、ガスが発生しているかもしれないし、地形が大きく変化している可能性もある。なんといっても六層は、まだまだ未知の空間なのだ。

「あ。先に言わないといけないんだったな。すまんすまん。移動、した」

 とってつけたようにナクタが謝ってきたが、事は済んでしまっているし、無事なので何も言いようがない。ロープを伝って降りたほうが良かったか、と問われれば、こちらの方が断然楽だろう。先に言ってもらえさえすれば。

 気持ちを落ち着けながら周囲を観察する。降りた部分は通路の途中のようで、前後に通路が伸びている。ナクタに聞いた通りだ。

 むわっとした熱気がこもり、少し空気が薄いような気がする。壁はてらてらと濡れて光っている。壁の色は黄土色だが、足元はテラコッタ色になっていた。

「あっちが奥で、こっちに最初のタシサがある」

「では、タシサの方に」

 ナクタが頷き、ウィスクが光球とともに歩いていく。いつものことだが足取りに躊躇というものが全くない。地上にいるかのような気軽さで、一歩を踏み出す。自分の技量に絶対的な自信を持っているから、できることなのだろうか。

「こんなに楽に六層に来たのは初めてだ」

 ニーリアスが溜息混じりに言った。確かに、こんなに難なく来られる場所なら、もっと多くの冒険者が出入りしていることだろう。全員の顔に余裕がありすぎて、わかっている限りの最深層にいるとは思えなかった。

「ニーリアスは六層のタジェサに入ったことは?」

「ない。六層のタジェサは未だ攻略されてないはずだ」

 ぼくはちょっと驚いた。てっきり一度は攻略されているのかと思っていたのだ。セルセオ・ガットンは七層をどうやって発見したというのだろ。

「未踏なんですか? ガットンは、どうやって七層に行ったんです?」

「亀裂だよ。そこを降りて、七層を見つけたんだ」

 ぼくはナクタが描いてくれた、簡単な地図を思い浮かべた。奥のタシサまではこの通路一本で行けるらしいが、亀裂はその先にあるのだろうか。

「亀裂といっても大きなもので、こちらから反対側まで大体ム・ケーシある。今回もそこを懸垂下降し更に下層を探る、というのがガットンの計画なんだ」

「下層の目星はついているんですか?」

「七層まではな。亀裂は深く、下まで続いているようだが、どうなっているのかは誰も知らない」

「タジェサからの攻略は無理そうなんですか?」

「ほとんどの連中がそう提案してるんだが、当のガットンが亀裂を降りたいといってきかないんだそうだ」

 溜息混じりの答えに、ぼくは大きく息を吸い込んだ。そうしないと「無謀なのでは?」と言ってしまいそうだったからだ。目星もつかない暗闇に、ロープ一本で降りていくというのだから、正気を疑うというものだ。これが地上のことであっても無謀といわれるだろうが、魔窟でするというのは狂気の沙汰だ。

 セルセオが何を考えているのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。

「功名心に駆られてんのかもしれねえな」

 ぼくらの話を聞いていたらしいデラフが、難しそうな声音で言った。

「功名心?」

 七層を発見したことで一躍有名人となった男が、これ以上の名声を集めてどうするというのだろうかと思ったが、ニーリアスはデラフの言葉に同意した。

「ラクシャスコ・ガルブといったらセルセオ・ガットンと言われるぐらいにしたいんだろう。もしここで、他の誰かが八層を発見したりしたら、ガットンの名前は簡単に書き換えられるからな」

「それって十層に到達したところで、ってことじゃないです? 一番最初に最深層を見つけた人の名前だけが残ることになるんでは?」

「だから、無茶をしてでも早く先に進もうってところなんだろ」

 なるほどと合点したものの、無茶をしたのでは最深層に到達する前にどうにかなる可能性が高まるのではないかと思った。『急がば回れ』という言葉があったが、できるだけ安全で、確実なルートを探したほうが結果として良いのではないだろうか。

「功名心ってのは、大事なものを見誤りやすくて良くねぇ。乗せちゃいけないもんを天秤に乗せちまうからな」

 苦々しげなデラフの様子に、過去に何かあったのだろうと察した。ニーリアスの表情も暗く、それぞれが抱えた過去があるのだろうと想像させる。

 ぼくはふたりほどの感慨が浮かばず、それは薄情だからなのか、それとも親しみを覚えていないからなのかと考えていた。セルセオもニーリアスもデラフもチャムキリであるから同胞の不幸と捉えて深刻になるのだろうか。これが、タバナだったらぼくはシリアスになるのだろうか。それとも『前世持ち』であることが影響しているのだろうか。

「着いたよ、お疲れさまー」

 少し離れた場所から聞こえた声で我に返った。六層に入ってからは魔物に遭遇することなく、タシサに到達できたらしい。運の良さに、ぼくは大きく息を吐いた。うっかり考え込んでしまったが、初めての階層で思考に耽るなど命がいくつあっても足りない行為だ。


「ありがとうございました」

 ぼくはリュマのひとりひとりに礼を言い、握手をした。誰かが欠けるどころか、傷ひとつ無い状態で到着できた喜びを感謝で表したが、ウィスクは不思議そうな顔をして小首を傾げていた。彼にとっては当然のことすぎて、気持ちが伝わっていないのだろう。

「オレたちもここを拠点にしているから、これからもよろしく」

 ナクタの言葉に頷きながら、彼らなら六層のタジェサも攻略できるのではないかと思った。どこからどう見ても余裕が有り余っているのだから、まだまだ下の層でも活躍できそうだ。

 ひとまず彼らに別れを告げ、ニーリアスとともに水場へと歩いていった。急いで荷解きをして、拠点を整えなければならない。

「ドゥケ。無事に着いてよかった」

 先に到着していたナビンが設営の手を休め、ぼくとニーリアスの肩を抱きながら再会を喜んだ。任命した責任を感じているのか、その言葉には挨拶以上の重みがあった。

「凄腕のリュマだったんでね」

 ニーリアスの含みのある言い方に、ナビンは小首を傾げ、ぼくを見た。ぼくは頭を一振りしてナビンの視線を誤魔化した。ぼくから言えることは何もない。

「そういえば、ぼくたちについてくれたリュマは、何人構成なんですか?」

「五人だったと思ったな。先にガワンを連れて入ったはずだ」

 ということは、あとひとり、ぼくが知らない人がいるということになる。ここを拠点としているのなら、会うこともあるだろう――と考えて、思わずため息を零しそうになった。今更ながら、彼らの正体をうっかり知ってしまったことを悔やんだ。冒険者の正体なんてものは、こっそり知っておけばいいものであって、名乗ったり名乗られたりしないほうが安全なのだ。

 こちらにおける王族というものについての知識が全くないのが不安だった。そもそも、王といってもはどの程度の規模なのだろうか。戦国武将の殿と同じようなものなのか、前世の近代以降の国家規模なのか。象徴的な存在なのか、主権を持っているのか、影響力はどこまであるのか――何から何までわからないことだらけだ。

 思えば、己の属する国家がなんであるのか、というのは、どうやって理解していくものなのだろうか。前世ではどのタイミングでそれを認識したのか、全く覚えていない。周囲との会話だとかテレビからの情報で、意識らしい意識を向けなくても理解していったような気がする。

 そういったもののない、こちらの集落の人々は、何をどこまで把握しているものなのだろうか。父親や兄たちは、他の国にも出入りしているので、国家というものの概念はあるのだろうけれど、それが家庭での会話に登場することはなかったように思う。母は知らないままなのだろうか。

「ソウ、何か手伝おうか?」

 思考を止めて顔を上げれば、楽な格好になったナクタが立っていた。

「あ、ああ、いえ。大丈夫です」

 金茶を淡くした髪色はチャムキリの呼び名に相応しく、きらきらと輝いている。けれど、他のチャムキリも似たようなもので、それは特別なものではないのだろう。あの時ニーリアスが指摘したのは瞳の色だった。

「みんなでやったほうが早いだろ? さっさとやってツォモ茶を飲もう」

「ナクタ」

 拭きあげたばかりの折り畳み机を組み立て始めたナクタが、ぼくを見つめる。瞳の色は、記憶の中の人々と同じ、茶褐色をしていた。

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