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太陽を巡る三つの儀式に関する考察(抜粋)

架空神話


彼らの神話、信仰における重要な儀式を三つあげるとすれば、それは「日食の儀式」「冬至の儀式」「夏至の儀式」だろう。いずれも太陽運動に関連したものである。彼らの神話における最高神は太陽神でもあるので、重要視されるのも頷けるところである。この三つはそれぞれ、「太陽の新生」「太陽の復活」「太陽の殺害」を象徴していると考えられる。冬至と夏至はセットである。この二つは毎年行われる。日食の儀式はその名の通り、かの地で皆既日食の起こる時のみ行われる。

冬至の儀式は、神話の神による人類再生を模していると考えられる。彼らの神話によると、世界は何度も滅びており、その都度に違う方法で作り直されているのである。そして現行人類は冥界の底から持ち帰られた骨を基にして作られたとされている。すなわち冥界行による転生である。冬至の儀式においては、選ばれた生贄は冥界の奥底から春の種を取って帰ってくるのだという。

日の出ている時間の長さは冬至が最も短く、夏至が一番長い。これは逆に言えば、冬至を境に太陽は勢いを増し、夏至を境に衰えるとも言える。この解釈の根拠は夏至の儀式にある。夏至の儀式は水の神に供物を捧げてこれ以上太陽の力が増すことがないよう祈る儀式である。祈りが聞き届けられれば雨が降り空に虹がかかるとされている。

日が差さなくては作物が育たず、しかし日が強すぎても干上がってしまう。そのバランサー的な役目は太陽神自身ではなく彼と対抗できる水神に委ねているようだ。他の神話では太陽神と対になるのは月神であることも多いが、この神話では月神は影が薄い。太陽神の弟であるらしいことが薄っすら語られている程度である。

三つの儀式の内では夏至の儀式だけ生贄を伴わないのは、太陽が弱まりすぎては…太陽神が完全に殺されてしまっては困るからだろうか。太陽は無くては困るのだ。

日食は天体運動を計算できれば予測することが可能である。地球全体で見れば程度の差はあれ毎年日食が起きていると考えられるが、地域と形を限定すれば不定期かつ何十年に一度という頻度になる場合もある。古代からこの地では日食の予測を可能とするほどの算術や天体観測技術が存在したようだ。ただしその方法は神官たちの秘められた知識であり神秘であったようだ。現在も太陽神の神殿の頂上には日食を計算するための暦石が置かれている。ただ、日食の予測計算は最近ではコンピューターでも行っているらしい。

日食の儀式は平たく言えば生贄の心臓を神の化身たる巨大なジャガーに捧げる儀式である。生贄として選ばれた人間は日食までの一年を神の現身として何不自由なく過ごし、儀式の日に生きたまま胸を開かれ心臓を取り出されるそうだ。ジャガーは心臓を一飲みにして、太陽は新しく生まれ変わるのだという。

彼らの神話の太陽神は黒き太陽とも称される。これは皆既日食や金環食の時に見られる(月に隠れて)黒い太陽から来ているのかもしれない。また、その象徴としては黒曜石も使われる。黒曜石で作られた儀式用の鏡が太陽神に関連する神殿や儀式の場には必ず置かれている。実際のところ、黒曜石で鏡を作っても鏡面としての用途はいまいちだと思われるが…太陽と鏡の結びつきは他の地域でも見られる。光を映すということが重要なのだろう。

彼らの信仰においては、力ある神はいずれも直接現世・地上への干渉力をもち、現身を置くようである。太陽神の現身は先述の通りジャガー。水神は蛇であり、冥界神はコウモリになる。蛇と水、コウモリと冥界の繋がりはなんとはなしに察せられるところもある。水と蛇を結びつけるのは神と見るのであれ、怪物と見るのであれ、他所でも見られる仮託である。コウモリは洞窟という暗いところを住処にして夜空を飛ぶ生き物であるところからだろうか。かの地では血を好むコウモリが生息していることも無関係ではないだろう。冥界の神には供物として血が捧げられているという。ジャガーと太陽には一見して明確な繋がりは見当たらない。また太陽以外にも多くのものを司っており、ややもすると太陽神というのは後付けの役職である可能性すらある。

彼らにはいわゆる祖霊信仰があり、部族ごとに異なる動物が祖霊、部族神として崇められていたようである。太陽神がジャガーであるのは、ジャガーを祖霊とする部族が他の部族に勝ち従えることで祖霊も彼らの神話の中で高い地位を得ていったという事なのかもしれない。多神教における神の序列とは、それを信仰する民の序列の影響を受けていることもままあるのである。

神話によるとこの三つの儀式の三柱の神はあまり仲が良好とは言えない。特に太陽神と水神は殺し合いの争いをしている逸話が複数ある。協力している話もあるが。基本的に仲が悪いという解釈で良いのだろう。故に拮抗しているのだとも考えられる。




自国じゃなくて外国の神話に対する考察なので実は正しくない

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