第九話 王子の訴え、王女の嘆き
クエンドーニ王国王都の貴族たちに、衝撃のニュースが流れた。
「アルバラフィ王国から使者がやってきて、南部沿岸の港湾都市に南大陸の亡国の残党を匿っているからと、宣戦布告がなされたようだ」
「やつらのやりそうな交渉の手口だ。最初は思いっきりふっかけて驚かせ、相手が慌てて交渉の糸口を探っている隙に取れるだけ奪い取る。今頃、南部にはアルバラフィ王国の艦隊が本当に押し寄せて、侵攻を始めているかもしれない」
「ニーロ海艦隊はどうしたんだ? 真正面から戦えるのか?」
「それが、あまりにも軍艦の数が違いすぎて、まともにぶつかれそうにない。他の海にいる二つの艦隊が急行しても、間に合わないだろう」
「馬鹿な! 提督たちは何をしていたんだ! 砲を磨いていただけか!」
貴族の邸宅やサロン、街中のカフェで交わされたその話は、あっという間に王都全域に広がる。ついには、緊急事態に対処するためとして、国王を議長とする王国議会が招集されることとなった。
一体、何ができるのか。クエンドーニ王国は南大陸でアルバラフィ王国に滅ぼされた国々と同じ命運を辿るのか。人々は口々に不安を訴え、何とかしてほしいと、何とかしなければならないと主張する。だが、どうやって?
その答えを、イルデブランドは提げて、王国議会に登壇する。
集まった国王以下の成年王族、そして公爵から男爵までの貴族たち、大商人たちまでもが、一流歌劇場のような議会の席にそれぞれ座り、この国の王子が何を話すのか固唾を飲んで見守る。
大した政治的権力もない、少しばかり剣術の才能があるだけの王子様。イルデブランドへの評価は、そこいらの同い年の青年貴族に王族という箔をつけただけ、そう酷評する者さえいた。
もちろん、イルデブランドもそれは知っている。だから、婚約破棄を許してしまった。それほどまでに自分の力を持たない存在だと、何度も嘆き、悔やんだこともある。
それでもだ。今日はこのチャンスを利用して、国や人々を救うのだ。
緊張を飲み込み、いつもよりも王子らしく見える詰襟の白い装飾服を着て、イルデブランドは皆の注目が集まる論壇へ登った。焦る足を抑えて、ゆっくりと辿り着く。
それを確認した議長であるイルデブランドの父、クエンドーニ国王が、隣に控えていた代弁者タンシーニ伯爵へ目配せをして、タンシーニ伯爵はその重厚な声を張る。
「静まれ、王子殿下の演説だ。拝聴せよ」
それだけで、ひそひそと交わされていた声も、聞こえてきていた笑い声も静かになった。イルデブランドはタンシーニ伯爵の威圧感ある声に感謝して一礼し、手元の原稿を壇上へ置いて——それはただの保険で、見ながら話すことはない——尊敬はなく好奇ばかりが先立つ観客へと堂々と目を向ける。
「国王陛下、ならびに諸賢もご存じのとおり、ニーロ海の向こうからアルバラフィ王国の艦隊が我が国へ迫っている。我々はこれに対抗しなければならない、そのためにニーロ海艦隊の視察も行い、現地の状況を確認してきた。提督らは士気旺盛であり、またアルバラフィ王国に滅ぼされた諸国の船乗りたちも結集して、戦争に備えている」
ただの事実確認だが、実際に視察をしてきた王子の言葉となれば、市井で流れるニュースとは重みが違う。アルバラフィ王国の艦隊が迫ってきている、その目的はクエンドーニ王国の制圧にあり、しかし戦争は避けられないのか。そう考えた商人や貴族たちは、頭の中ですでにそろばんを弾いているだろう。
「だが」
音響はとてもよく、大きく息を吸い込む音さえ、議会中に響く。
ただの一言も漏らすことなく、この場にいる人々へ、イルデブランドの言葉は届く。
「私には、それ以外にも戦う理由がある」
イルデブランドの演説が始まったころ、カンディールは港湾都市プリアロッジアと海軍基地ベルガミーニ島からほどよく離れた岬にいた。周囲に人家はなく、絶壁の上で、海を見下ろせば白い泡を立てながら青波がぶつかってきている。岩礁も多いため、岬の付近を船が航行することはなく、どの船も陸地が見える範囲で大きく迂回して通っている。
アドラムの使いの船乗りである浅黒い肌の青年が一人、カンディールに付いていた。遠くを見渡せるよう、しかし目立たぬよう少しばかり背の高い仮設の櫓が作られ、カンディールは登って周囲を見回している。
「どうだ? 多少背があっても夜なら見つかる可能性は低い、海図には何の目印もないところだからな。警戒はされないだろう」
櫓の下から、アドラムの使いはカンディールへそう言った。カンディールは顔を出し、頷く。
「二、三日ここで夜を過ごしてみる。見つからないようにするから大丈夫だ」
「分かった、必要なものがあれば言ってくれ」
すでにカンディールは野宿の準備を整えていた。寝袋と鍋以外には大したものは持っていないが、水と食料さえあれば何日でもここに居座ることができる。
アドラムの使いが、岬の手前にある黄色とオレンジの花畑を通ってきている一団に気付いた。後ろにはスマレーリャ提督とその部下たちの顔も見えるが、先頭切ってやってくるのは、事務職の下士官だ。
「おうい、カンディールってのは誰だ? 頼まれた手紙があるんだが!」
その声を聞き、カンディールは櫓から飛び降りた。事務職の下士官の前に歩み出る。
「私だ」
「おお、通訳さんか。ほら、王子様からの手紙だ。色々な事務手続きに必要な書類が入ってるそうだ。大事なものだから、なくさないようにな」
「感謝する」
事務職の下士官は、いくつかの大きめの封筒をカンディールへ手渡す。ごく普通の書類ファイルもあれば、封緘のある白い封筒もある。その中で、一つだけメモ書きがあった。
「ん? 何か書いている?」
カンディールはメモ書きの文字に目を走らせる。まず目に入ったのはイルデブランドのフルネームのサインで、その前に二つの短い文章があった。急いで書いたのか、殴り書きに近い。
重要なことかもしれない。カンディールは素早く目を通し——それから天を仰いだ。
「カンディール王女、何か」
アドラムの使いが緊迫した面持ちをしているが、カンディールはそれどころではない。
たった二つの文章、それにはこう書かれていた。
一つ、君に頼みがあるんだ。
僕と結婚できないだろうか?
※今回出てきたイタリア語のところ、多分この言葉文法的にも実践的にも使えないと思います。イタリア人に見せないように!文句言われたら「うるせー貴族風のプロポーズの言葉ちゃんと例文でWEBに出しとけ!!!」と言っといてください。