第六話 言葉は武器である
港湾都市プリアロッジア南東、秘匿された海軍基地ベルガミーニ島。
三日月型の島は、元はプリアロッジアへ入港する前に渋滞や嵐を避けるための場所で、島の外からはマストの先さえ窺えない穏やかな内海を抱えている。のちにプリアロッジアのキャパシティを超えた軍艦を待機させる場所として使われはじめ、そのまま海軍所有の島となり、陸地からの偵察を防ぐために基地機能の大半をプリアロッジアから移した。
そんなベルガミーニ島に、王子とはいえすんなりと入れるわけではない。正確には、イルデブランドに原因があるわけではなく、今集まっている艦隊の二十二隻の軍艦のうち、三分の一ほどに当たる八隻がクエンドーニ王国所属ではない、という事情が大きかった。いくら協力者であっても異国の船、異国の将兵をベルガミーニ島へ出入りさせたくない、と一部の慎重な艦長たちが主張したためだ。
なので、ベルガミーニ島の手前に停泊するニーロ海艦隊旗艦ファヴァグロッサ、そこが臨時の司令部となり、イルデブランドもそこへ招かれた。
旗艦ファヴァグロッサは多少簡素ながらも広い会議室を備え、イルデブランドの到着に合わせて各艦の艦長が集められていた。本来なら出迎えるのはニーロ海艦隊司令官に当たる旗艦ファヴァグロッサの艦長スマレーリャ提督だけでよかったのだが、クエンドーニ王国人も南大陸出身者もいる艦長クラスの良好な関係構築がさほど上手くいっていないため、この機会にと全員を集めて団結の糸口を見つけようと企図されているようだった。
それが上手くいくかどうかはさておき、イルデブランドとしては艦隊の人事全体を把握するためにちょうどよかった。現場に口出しする権限はないが、国王への報告に色を添えることができる。
古びた三角帽を被ったスマレーリャ提督は、丸椅子が点在し、壁に書き込みの入ったいくつもの海図が貼られた会議室で、最前列のイルデブランドと通訳のカンディール、後ろの椅子にそれぞれ座る二十一人の艦長たちを前に、現状報告を行っていた。
「我が国の港へ避難してきた船の乗組員たちによれば、ニーロ海全域にアルバラフィ王国の軍艦が闊歩しており、威圧的な態度を取っているそうです……まるで、自分たちの海のように、と。中には、逃走を試みて沈められる船も見受けられます。従った場合でも、積荷を奪われ、人を裁判も証拠もなしに連行する。抵抗の意思があると見做されれば、命を落とすことすらあります。そのような蛮行を断じて許すことはできませんが、アルバラフィ王国は衝突を、戦争の火種が生まれることを望んでいるのです。南大陸を手中に収めたアルバラフィ王国は、『我々の海』たるニーロ海の支配者クエンドーニ王国に対抗し、北大陸侵攻の足掛かりを得んとしている。それはもはや疑う余地はありますまい」
イルデブランドのすぐ後ろで報告を聞いていたカンディールは、それが事実だと分かっていた。その危機意識がすでにクエンドーニ王国でも共有されていることに安堵し、同時にクエンドーニ王国にも脅威が迫っていることに緊張感を覚える。
スマレーリャ提督はイルデブランドへ訴える。
「殿下、正直に申し上げましょう。戦は近い、すぐにでも態勢を整えなくてはなりません。その旨を陛下と議会のお歴々へお伝えしていただきたい。あなたの言葉であれば彼らも無視はできますまい、戦争が目の前に差し迫っているならば、各地の港にいる軍艦をこちらへ優先的に派遣することも可能となるでしょう。ただし、交易路を守る軍艦を取られる戦時体制を敷くことに、経済を第一に考える商人たちが反対することは目に見えておりますが、それでも手を打たねばなりません」
肌の色、目の色、着る服、故郷の違いがあろうと、この場に歴戦の老将の言葉を否定する者はいなかった。
カンディールはイルデブランドの様子を窺う。このような場で王子として何を言うのだろうか、何かを言える気概はあるのだろうか、そう心配になったからだ。
イルデブランドは穏やかに、振り向いて後ろの椅子に座る艦長たちへと手を差し示し、問うた。
「そちらの客将たちも同じ意見か?」
居並ぶ艦長たちは互いに視線を合わせるが、クエンドーニ王国人以外の浅黒い肌の艦長たちは不思議そうにしているだけだ。カンディールはすかさずイルデブランドへ助言する。
「彼らは正式な軍人ではなく、南大陸の沿岸部にあったいくつかの小国の私掠船団を率いていた船長たちだ」
「私掠船団?」
「アルバラフィ王国の圧力で、小国は自前の海軍を持てなかった。だから、あくまで私掠船団であり、国家の艦隊ではないという体裁を取っていた。しかし、その小国も滅び、他に後ろ盾となるような国家はなく、彼らはクエンドーニ王国へ身を寄せた、そういうことだろう。だが彼らは独自の判断で動くことが多かった、それだけ裁量権が大きく、誰かに従うことばかりやってきたわけではない。そこはクエンドーニ王国の将兵たちには理解しづらいと思う」
「な、なるほど」
そうは言っても、知ったところですぐに対処できるほど、イルデブランドも経験あるリーダーというわけではないし、軍事の初歩も知らないだろう。
となれば、とカンディールは浅黒い肌の艦長たちへ、南大陸の公用語に近い正則言語で問いかける。
『殿下のお言葉を申し上げる。諸将におかれては、アルバラフィ王国を仇敵と見做している、相違ないか』
浅黒い肌の艦長たちの顔つきが変わる。スマレーリャ提督をはじめとする艦長たちも耳にしたことはあるだろうが、正式な場でのみ語ることを許される正則言語を理解できる教養、ただそれだけで一目が置かれるものだとまでは知らないだろう。
その言葉は、カンディールの立場を明確に作り上げた。この場にいる浅黒い肌の艦長たちは、誰もカンディールを無視できなくなったのだ。カンディールを同じ大陸出身の少女としか見ていなかった彼らは、カンディールの背負う背景に意識を割き、彼女がここにいる意味を深く考えざるを得なくなった。
ある一人の浅黒い肌の艦長による、カンディールへの返答に、彼らの背負う背景もまた込められていた。
『無論だ、アルシャムスの娘。我々は仕えた主君も、故郷で待つ家族も、港に住む友も失った。もはや、海にいた仲間たちと船だけが我々に残るすべて』
『では、クエンドーニ王国のために命を懸けて戦う、その士気は旺盛か』
『復讐のためならば。それを信じてくれるか、王子殿下は』
『尋ねてみよう』
カンディールと浅黒い肌の艦長の紡ぐ言葉の音は、クエンドーニ王国人からすればまるで魔法の呪文のようなものだ。その言語に隠された歴史や礼儀、教養といったものは、同じ言葉を使う者にしか分からない。せいぜいが、片言に意味を拾うことはできる程度だろう。
カンディールは、大人しく待っていたイルデブランドへ、言葉をなるべく伝わりやすいように訳す。
「サイフ、彼らは命を懸けて戦うと言っている。それをクエンドーニ王国の海軍、そしてあなたに信じてもらいたい。そのためにはどうすればいいか?」
それを聞いたイルデブランドは、カンディールの投げたチャンスに気付いた。すぐさま、スマレーリャ提督へ、さらにはクエンドーニ王国人の艦長たちへ向けて、大仰に語りかける。
「スマレーリャ提督、彼らが命を懸けるのであれば、その勇敢なる命を預かる資格はあなたにはあるだろうか?」
どうやら、イルデブランドは人の心を焚き付けることが上手いようだった。
そうまで言われては、スマレーリャ提督は首を横に振ることは叶わない。
「もちろん。敵を前に、故郷が違うからと相争う真似はいたしますまい」
クエンドーニ王国人の艦長たちがざわつく。自分たちの上官がそうまで言うなら、大手を振って反対することはできない。敵と同じ浅黒い肌をした艦長たちを信じないとはもう言えない、彼らのプライドが許さないだろう。彼らはぽっと出の王子を立てることはなくとも、自らの信じる上官、すなわちスマレーリャ提督の足を引っ張ることはできない。そういうものだ。
共闘の言質を取った、イルデブランドの顔が気色ばみ、その目には希望の火が灯る。
たったそれだけで何もかも手を組んで、とは行かないにしても、大きな前進には違いない。国の違い、人種の違いを一時的に解消するため、敵を一致させたにすぎないが、それができなければ何も前に進まなかった。
カンディールは、何も言わない。ただ黙って、ことの推移を見守る。
スマレーリャ提督が咳払いし、会議室のざわつきを止めた。イルデブランドへようやく戦いについての話を聞かせようと思ったのか、壁に貼っている海図に刺した大きなピンを動かし、自軍の数を示す。
「クエンドーニ王国勢力圏内で確認したアルバラフィ王国の艦隊規模は、どう低く見積もってもこちらの数倍はあります。正面から戦いを挑むことはできません、そのためにはこのニーロ海を知る船乗りが知恵を出し合い、話し合うことが必要です。当然のことではあります、しかし——烏合の衆とも言える我々は、まずそこから始めなくてはなりません。できるだけ早急に、命を繋ぐために、戦いに勝利するために、あらゆる手を打つ必要があります」
イルデブランドは頷く。先程までなかった熱が、スマレーリャ提督の声には生まれていた。言い争いと諍いで無駄にしないよう、温存していたようだ。
スマレーリャ提督が隣室からテーブルを持ってこさせようとしていた。艦長たちは椅子を部屋の隅に持っていく。海図が壁から剥がされ、テーブルに載せられて、そして待ち構えていた情報士官たちが必要な海と陸の情報をまとめて持ってくる。
ようやくの、建設的な軍議の時間だ。イルデブランドは好奇心と興奮を抑え、付き従うカンディールへこうつぶやいた。
「カンディール、しばらく君にも軍議に参加してもらわないといけないみたいだ」
「除け者にされないようで何よりだ」
カンディールは功を誇ることもなく、淡々としていた。
この日、カンディールが口出ししたのはこれっきりで、あとは正確かつテンポのいい通訳を努めることに終始した。
ミリタリっぽいことは書いてますが、この後の展開でそこまで重要になるわけではないので軽く流して読んでいて大丈夫です。